楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

秋深まる

2019年10月30日 04時27分33秒 | 日記
天皇即位があった後、急激に秋の様相となった。

しかし、関東地方は10月は一日として雨が降らなかった日は無いと、

天気予報のお姉さんが伝えている。

一日24時間で考えると確かに雨の無かった日はなさそうだ。

しかし、昼間だけを取って見ると、

秋晴れだった日もある。

秋の青空に雲がニョキニョキと出てる様子は、

久々の晴れ間の所為か、うれしくて小躍りしたくなるようだ。

(晴れ間の入道雲)


公園も、落ち葉が広がって秋らしくなってきた。

落ち葉を見るとシャンソンの「枯れ葉」を思い出す。

(枯葉【訳詞付】- イブ・モンタン/YuoTubeより)


お年寄りも、晴れ間を狙って親子で散歩する姿が、

見て居て心がほっとするのはボクだけだろうか。

(秋らしい公園の様子)


(落ち葉が少し寂しい気配)


(親子が連れ立って散歩する光景)


しかし秋は次に冬が来ることを想像させる。

女優の八千草薫さんや国連の難民高等弁務官だった緒方貞子さんの訃報が入った。

二人とも昭和を象徴する女性たちである。

八千草薫さんは国民から愛された女優で、

緒方貞子さんは、ついこの間皇后陛下になられた雅子さま憧れの国連の弁務官であった。

そんな寂しい季節が足音もなく近づいている。
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天皇 即位を宣明

2019年10月27日 04時30分15秒 | つれづれなるままに考えること
十月22日この日は国民の祝日になった。

それは天皇陛下が、「象徴としてのつとめ果たす」と即位を宣明される日だったからだ。

この日は東京は朝から、台風20号の影響であいにくの荒れ模様であった。

雨風が激しく、午前中の散歩も下半身ずぶ濡れの状況であった。

午後一時から、天皇陛下即位の儀式が行われ、TV中継されると言うので、

帰宅して昼食も済ませ、お茶を飲みながら中継を見た。


天皇陛下が即位を宣言される段になって、

あんなに風雨が強く空はくらい厚い雲に覆われていたのに、

不思議なことに雲が割れ青空が見えるようになると、

太陽が出て、晴れ間が出来た。

即位を祝う如く、東京の空に虹もかかった。

夕方のニュースで知る。

(その虹/ネットから)


そして儀式が終わるやまたも空は黒い雲で覆われ、

冷たい風が吹き出した。

天皇の言葉の最後に、

「国民の叡智(えいち)とたゆみない努力によって、

我が国が一層の発展を遂げ、

国際社会の友好と平和、

人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします。」と

締めくくられた。

その後、総理大臣の安倍さんがお祝いの言葉を述べられて、

万歳 三唱 !

ここまでは良かったが、

誰が考えたのか、祝砲と言うか礼砲と言うか、号砲が放たれた。


世界の友好と平和、人類の福祉と繁栄を願う、

と述べられたお話とは、全く正反対の大砲を撃つとは、

全く持って考えられない行いである。

平和を考えていない大砲は、軍隊が戦争に使用するものだ。

言っていることとやって居ることが解らない。



大砲はともかく、お話にあったお言葉が、

天皇の御代を通じ、永久に平和のあらんことを 

お祈りするばかりである。

翌日は快晴に晴れ上がり、

天皇の即位を祝うがごとく富士山は初冠雪であった。

(初冠雪の富士山/我が家のベランダから)



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十月のつぼみ

2019年10月25日 04時35分08秒 | 日記
今朝、気が付いた月下美人のつぼみ、



栽培してから30年以上たつのに、

月下美人の十月の蕾は初めてのこと。

過去に9月に咲いたことはあるが、

十月に咲いた話は聞いたことがない。

うまく育つとよいが、つぼみは全部で5個ついている。

一つくらい咲いて欲しいものだ。



咲いたら報告します。

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ジジイの孫自慢

2019年10月23日 04時07分03秒 | つれづれなるままに考えること
大きくなった孫息子(孫息子その1)
来年大学を卒業する孫(娘の男の子)がいる。この夏、就活解禁になった途端に、就職先が決まったと言う。何でも、ボクも良く知って居る名の通った企業である。ボクが大学を卒業し......



この孫息子、今年社会人になって入社後、

すぐ缶詰状態で、先ず住まいは借り上げアパートに、

新入社員がそれぞれ一室をあてがわれて生活。

取りあえず親から独立心を植え付けられ、

六か月間講習。

何を教わって居るのか知る由もないが、

「今までは授業料を払って教わったが、

今度は給料をもらって教わるのだから、

並大抵では無いよ」と

教えて置いた。

この孫息子、小学校五年生の時、

NHKの理科オリンピックに出場した。

代表校が何校か覚えていないが県内の小学校が揃って居るのを見学した。

NHkでは各県一校づつ代表校が集まり、全国一を決めるのであろう。

一校ニ名づつ一組になって理科の知識を競う競技に出場。

問題が提示され回答を誤った小学校から脱落して行き、

最期に二校になった時、孫息子と女の子が出ている学校と

もう一校が残った。

最終決戦で惜しくも二位だった。

小学校に帰って大いに褒められたようだ。


公立中学に進むにあたって、進学する学区の中学は、

悪い噂の学校で、学校は荒れ放題であると評判の学校、

中学校は学区をまたいで選択できるようになっていたが、

小6の人達は、この中学を敬遠して他の中学に行く人が多かった。

そんな話をしていた孫息子、親に相談もしないで、

当の中学へさっさと決めて入学する手続きをしてきた。

中学は、すでに学校の体質を変えるべくかなりの努力中であった所為か、

規律も正しく、入学人数も減って居たので、

個別に、素晴らしい教育が行われたらしく、

孫息子も良い成績でめでたく中学を卒業。

中学校では、県立の東大入学者を多数輩出する高等学校を進められていたのに、

親も高校進学に当たって当然その難関校へ行く物と、

しっかり勉強する様に激励していたにもかかわらず、

さっさと偏差値が二段階下の高校へ進学するよう手続きしてきたと、

親に報告、親の落胆も相当なものであった。


当然のことかどうか知らないが、

高校に入学して、クラス分けも終わり、

担任の先生が、最初の授業の時の第一声で、

「このクラスに入学試験で一番よい成績の人がいるのは楽しみです」

と話をされた。

学校から帰るやそのように親に報告をしたそうである。

「あら、すごい人がいるんだね、

あなたもしっかり勉強しないといけませんよ」で終わったそうだ。

ところが、最初の保護者会で、

保護者達からずいぶんもてはやされたので、

どうしたのかと思ったら、

実は自分の息子が受験の時の成績がナンバーワンであったと言うのだ。

娘もビックリしたらしいが、その時はそれで治まった。


どうも孫息子は自分の能力をよく知っているように思える。

そしてその能力内で楽に出来ることが、

はっきりしてそうな学校を選んでいるように思える。

大学もそうだ。

いくつか受験し置いて、自分で苦労をしない所を選んでいる。

所が就職は、大学のセミナーの先生が選んで、

「ここへ行ってくれないか」と頼まれ入った。

果たしてうまく行くのだろうか・・・・。

孫息子のことだから、きっとうまくやるに違いない。

六か月の研修も終わって、配属先も決まった。

実家から十分通える場所なのに、

同じ時間がかかるアパートを借りて、

一人住まいをするとのこと。


孫息子の考えに、最早ついていけないジジと我が娘の母親であるが、

これもまた、うまくやって行けると信じてやることがベターなようだ。

娘に言わせれば、

「彼女も居るみたいで、今度は結婚の話で驚かされそう・・・・。」

らしい。


ジジの知ったことではないが、やっぱり気になる・・・。
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良き時代に

2019年10月19日 04時12分12秒 | つれづれなるままに考えること

平和で良き時代にボクは今生きている。

平和の祭典オリンピックを生きている間に2回も見ることができる。

昭和、平成、令和と三代に亘って生きてきた。

戦争の時代、終戦後の苦難の時代に教育を受け、

社会に出て、猛烈社員として率先垂範、

働いたときは半年間一日も休まなかった記憶がある。

怒りっぽくなってきて、「休んだらどうか」とたしなめられて、

休んだ記憶がある。

そんなことをして働いた挙句が、

日本を経済大国世界第2位にしていた。

今、振り返り定年後、計画していた夫婦での海外旅行で、

60ヶ国を歩きまわり、経済大国世界第二位を感じた。

さらに西洋の人々の生きる上での行動は、

経済的に豊かかどうか、教養の豊かさなどの違いはあるが、

その生きざまは日本人と変わりがないことを知った。

そして今や毎年のように、

日本人がノーベル賞を頂き、

(ノーベル化学賞・吉野彰氏71歳)


全英女子オープンで優勝者として渋野日向子さん、


全米オープンテニスでは大阪なおみさんが優勝し、


ラクビーではかって無い力で優勝を目指せる位置にある。

【リーチマイケル】リーチコール キャプテンリーチ ラグビー


沢山の世界を目指せる若い力が活躍して、

さらに日本が世界に羽ばたける時代に、

ボクは生きている。


こんな幸せなことがあるだろうか・・・・。

ボクは今、幸せのど真ん中におぼれそうになっている。

こんな日々がさらに続きますように・・・・。

そんな中、自らをを奮い立たせて、

さらに研さんして向上したいと願っています。





コメント (10)
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