楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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     ・おくのほそ道を歩く

思い出のハワイアン・ウエディング・ソングーHAWAIIAN WEDDING SONG

2023年04月24日 04時23分14秒 | 海外旅行2


(2015/8/1 )暑い陽射しの中、PM13:00頃、
家から散歩に出ました。
十メートルも歩かないうちにどっと汗が出て、
引き返そうかと思ったほどでした。

今日も予想では猛暑日になりそうです。
日陰を選んで歩くのですが、家に帰るまでの一時間の内、
日差しの中は25%、十五分程度ですが、
家に帰ると汗で着ていたものが搾れるくらいになります。


その日は近所のスーパーの日陰で
ハワイアン・ミュージックのイベントがあり、
生演奏のベースギター、ウクレレが2人、
エレキギターでハワイの音楽を奏で、
前には三名のダンサーが居て、
フラダンスショウを見せていました。
ついハワイアンの音楽に聞きほれて、
立ち止まりました。


思えば、結婚して七年目に良い仕事をしたと言うので、
会社からご褒美に「ハワイ旅行」に夫婦で参加の案内がありました。
ちょうど二人目の子供が二歳になったばかりで、
カミさんは行けなかったので、ボク一人で参加しました。
ボクを入れて総勢33人で、その他はみんなカミさん連れで、
つまらなかった10日間の思い出。

これが最初のハワイ。


その後、二回目のハワイは、
第一次オイルショックのあと、
省エネがどのように進んでいるかの調査に、
(調査は建前で、業績が良かった人7名のご褒美)
アメリカに一か月間の出張。2月から3月に掛けてでした。
シカゴ、ワシントン、ニューヨーク、カナダ、ナイヤガラ、ラスベガス、
グランドキャニオン、テキサスのヒューストン、
ニューオルリーンズ、サンフランシスコ、ロサアンジェルス、
最後にハワイから日本へ。
出張の仕事はその間、一週間程度。


三回目のハワイ。
勤続30周年の会社からの労(ねぎら)いで、
お祝いで夫婦そろって10日間のハワイ旅行、
お小遣いに30万円付き、これは出張手当?
ボクは通算ハワイ滞在30日。
思い出は、やはりカミさんと一緒の三回目が多い。

その思い出の1番は、
ビュイックのリムジンの送迎で、
翌日オアフ島一周観光。
途中、運転手さんの友達が経営しているパイナップル農園で休憩。
冷たいパイナップルを戴いて食べたパイナップルの美味しかったこと。
パイナップルをボクはそれまで缶詰でしか食べたことが無かったので、
こんなに美味しいものかと感激したこと。

思い出の2番は、
エルビス・プレスリーのブルーハワイで有名になったハナウマ・ベイ。
透き通る海に点々と見える青いサンゴ礁、
群れ泳ぐ魚に、
千切ったパンを自分の手から食べさせたこと。
海で遊んでいる間、
一時間後には帰ってくるからとタクシーを待たせたこと。
どのように英語で話したか覚えていないが、
英語を話すボクにカミさんが目を白黒させて驚いたこと。
こんな特技があったのかと思ったのか、
変な英語を話していると思ったのか・・・。
それは知らない。

(ブルー・ハワイ/Blue Hawaii - Elvis Presley)
 

思い出の3番は、
マウイ島のしだの洞窟を見学の時、
二人で洞窟から出てきたら、
出口でギターをかき鳴らし、
声高らかに、朗々と唄ってくれたハワイアンのウエディング・ソング。
サプライズと感動で、この時はチップ(御祝儀)をはずんんでしまった。

(思い出3)(ハワイアン・ウエディング・ソング)
HAWAIIAN WEDDING SONG - Rudi van Dalm
  

思い出の4番、
ハワイ島の火山で、冷(さ)めて黒くなった岩の下に赤く流れる溶岩、
その黒い予熱のある岩の上に立たせてカミさんの写真を撮った事。

思い出の5番、
今までコーヒー豆は、茶色なものと思っていたし、
マメはえんどう豆のように莢(さや)の中にあるものと思っていたが、
マメは枝に並んでついていて、
色も艶のある緑だったり赤い色だったりしたのには驚いた。


そして強烈な最後の思い出、
ハワイ島から飛行機でオアフ島に帰るに当たって、
ハワイ島の観光を終えて飛行場についたら、
乗客が空港に溢れていて、
それも、どの顔もすごく緊張しているのに出会ったことだ。
どうしたのかと搭乗口に行くと、
ボクたちが乗る飛行機の一つ前に離陸した飛行機に事故があって、
空の上で客席の屋根が飛んでしまった。
乗客はシートベルトをしていたので全員助かったが、
シートベルトをしていなかったCA(キャビンアテンダント)が
上空で放り出された。
後に映画になったこの事故に、
一つ間違えば乗っていたかもしれない。


こんなことを思い出しながら、
暑いのに30分もハワイアンを聞き入ってしまった。
そしてもう一度、ハワイへ行きたくなった。
美味しいパイナップル、
太平洋戦争のきっかけになったパール・ハーバー、
香りの良いコナ・コーヒー、
サンセット・ディナー・クルーズ、
数えだしたらきりがない・・・。

もう一度元気なうちに、カミさんを連れて、
ハワイに行きたいと思うが、
こんな感動はもうないかもしれない。

しかし、なによりも真っ先に、
体力面から希望は叶わないに違いない?

だろうか・・・。

アロハ!
(Aloha!)


【和訳付き】アロハ・オエ(ハワイ民謡)"Aloha Oe" - カタカナ付き

思い出があまりにも鮮烈で、
生涯忘れられない旅でした。

今回で二度目の掲載です、
長々とご覧いただき恐縮に存じます。
ありがとうございました。
コメント (4)
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ハワイアン・ウエディング・ソング(Hawaiian Wedding Song)

2021年01月21日 04時34分35秒 | 海外旅行2
思い出があまりにも強烈で、
2021年に掲載したものの再掲です。

(2015/8/1 )暑い陽射しの中、PM13:00頃、
家から散歩に出ました。
十メートルも歩かないうちにどっと汗が出て、
引き返そうかと思ったほどでした。

今日も予想では猛暑日になりそうです。
日陰を選んで歩くのですが、家に帰るまでの一時間の内、
日差しの中は25%、十五分程度ですが、
家に帰ると汗で着ていたものが搾れるくらいになります。


その日は近所のスーパーの日陰で
ハワイアン・ミュージックのイベントがあり、
生演奏のベースギター、ウクレレが2人、
エレキギターでハワイの音楽を奏で、
前には三名のダンサーが居て、
フラダンスショウを見せていました。
ついハワイアンの音楽に聞きほれて、
立ち止まりました。


思えば、結婚して七年目に良い仕事をしたと言うので、
会社からご褒美に「ハワイ旅行」に夫婦で参加の案内がありました。
ちょうど二人目の子供が二歳になったばかりで、
カミさんは行けなかったので、ボク一人で参加しました。
ボクを入れて総勢33人で、その他はみんなカミさん連れで、
つまらなかった10日間の思い出。

これが最初のハワイ。


その後、二回目のハワイは、
第一次オイルショックのあと、
省エネがどのように進んでいるかの調査に、
(調査は建前で、業績が良かった人7名のご褒美)
アメリカに一か月間の出張。2月から3月に掛けてでした。
シカゴ、ワシントン、ニューヨーク、カナダ、ナイヤガラ、ラスベガス、
グランドキャニオン、テキサスのヒューストン、
ニューオルリーンズ、サンフランシスコ、ロサアンジェルス、
最後にハワイから日本へ。
出張の仕事はその間、一週間程度。


三回目のハワイ。
勤続30周年の会社からの労(ねぎら)いで、
お祝いで夫婦そろって10日間のハワイ旅行、
お小遣いに30万円付き、これは出張手当?
ボクは通算ハワイ滞在30日。
思い出は、やはりカミさんと一緒の三回目が多い。

その思い出の1番は、
ビュイックのリムジンの送迎で、
翌日オアフ島一周観光。
途中、運転手さんの友達が経営しているパイナップル農園で休憩。
冷たいパイナップルを戴いて食べたパイナップルの美味しかったこと。
パイナップルをボクはそれまで缶詰でしか食べたことが無かったので、
こんなに美味しいものかと感激したこと。

思い出の2番は、
エルビス・プレスリーのブルーハワイで有名になったハナウマ・ベイ。
透き通る海に点々と見える青いサンゴ礁、
群れ泳ぐ魚に、
千切ったパンを自分の手から食べさせたこと。
海で遊んでいる間、
一時間後には帰ってくるからとタクシーを待たせたこと。
どのように英語で話したか覚えていないが、
英語を話すボクにカミさんが目を白黒させて驚いたこと。
こんな特技があったのかと思ったのか、
変な英語を話していると思ったのか・・・。
それは知らない。

(ブルー・ハワイ/Blue Hawaii - Elvis Presley)
 

思い出の3番は、
マウイ島のしだの洞窟を見学の時、
二人で洞窟から出てきたら、
出口でギターをかき鳴らし、
声高らかに、朗々と唄ってくれたハワイアンのウエディング・ソング。
サプライズと感動で、この時はチップ(御祝儀)をはずんんでしまった。

(思い出3)(ハワイアン・ウエディング・ソング)
HAWAIIAN WEDDING SONG - Rudi van Dalm
  

思い出の4番、
ハワイ島の火山で、冷(さ)めて黒くなった岩の下に赤く流れる溶岩、
その黒い予熱のある岩の上に立たせてカミさんの写真を撮った事。

思い出の5番、
今までコーヒー豆は、茶色なものと思っていたし、
マメはえんどう豆のように莢(さや)の中にあるものと思っていたが、
マメは枝に並んでついていて、
色も艶のある緑だったり赤い色だったりしたのには驚いた。


そして強烈な最後の思い出、
ハワイ島から飛行機でオアフ島に帰るに当たって、
ハワイ島の観光を終えて飛行場についたら、
乗客が空港に溢れていて、
それもどの顔もすごく緊張しているのに出会ったことだ。
どうしたのかと搭乗口に行くと、
ボクたちが乗る飛行機の一つ前に離陸した飛行機に事故があって、
空の上で客席の屋根が飛んでしまった。
乗客はシートベルトをしていたので全員助かったが、
シートベルトをしていなかったCA(キャビンアテンダント)が
上空で放り出された。
後に映画になったこの事故に、
一つ間違えば乗っていたかもしれない。


こんなことを思い出しながら、
暑いのに30分もハワイアンを聞き入ってしまった。
そしてもう一度、ハワイへ行きたくなった。
美味しいパイナップル、
太平洋戦争のきっかけになったパール・ハーバー、
香りの良いコナ・コーヒー、
サンセット・ディナー・クルーズ、
数えだしたらきりがない・・・。

もう一度元気なうちに、カミさんを連れて、
ハワイに行きたいと思うが、
こんな感動はもうないかもしれない。

しかし、なによりも真っ先に、
体力面から希望は叶わないに違いない?

だろうか・・・。

アロハ!
(Aloha!)


【和訳付き】アロハ・オエ(ハワイ民謡)"Aloha Oe" - カタカナ付き

コメント (6)
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