楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

50回目の結婚記念日(中国地方)

2014年04月26日 09時47分00秒 | ひとり歩き旅
今日は、50回目の結婚記念日になる。

つい最近のこと、

「なんでボクなんかと結婚したの?」と訊いたら、

カミサン 少しも躊躇のない声で答えて曰く、

「信頼できたから」

つまり、結婚して一緒に暮らしても安心できたからの一言。

本当にそうだったのか、ボクには自信がない。



50回目の記念に、旅をした。

外国人に言わせると、「セカンド・ハネムーン」。

日本語で言うと「フルムーン」。

 遷宮のあった縁結びの出雲大社に出かけた。

(どうでも良いことだが、ハネムーンはHoney moonで蜜月旅行=新婚旅行。
Fullmoonは満月で新婚に対し、「古ムーン」で日本で作った造語、
Second honey moonは二回目の蜜月旅行。念のため。)

(出雲大社)

旅のついでに、神戸から日本三大名園 岡山の後楽園。

東京にも「小石川後楽園」なるものがある。

これは水戸藩上屋敷跡で当初は広さ22万坪だったそうだが、

今はおよそ五万坪。水戸藩邸の一部と庭園が残っている。

後楽とは、「先憂後楽」から採ったもの。

(上にたつ者は人民に先立ちて憂い、人民が楽しむのを見て楽しむ。)

 倉敷の伝統的建造物群。

(神戸の異人館)
(神戸の街灯の、カナダのヴィクトリアシティを思い出させる花飾り)
(岡山後楽園)
(後楽園から見たコンクリートつくりの岡山城)
(伝統的建造物群)

宍道湖から松江城、鳥取砂丘から日本三景の一つ「天橋立」。

 有名な天橋立の股覗きは、少し異次元の世界であった。

(新装成った木造の松江城)
(鳥取砂丘)
(天橋立)
(有名な天橋立の股覗きの光景)

播磨、加古川を抜けて、今、NHKで放映中の黒田官兵衛を念頭にいれて

約1000kmを観光バスで走り、

 伊丹空港から東京へ帰ってきました。

(大山別名伯耆(ほうき)富士)
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幸手市街の歴史を感じる建造物(旧日光・奥州道中ひとり歩る記 30)

2014年04月23日 09時04分34秒 | ひとり歩き旅

(岸本家)


(幸手宿3)
幸手宿に残る歴史を感じる建造物には、
紺地に白で「日光街道幸手宿」と書かれた暖簾(のれん)が出されている。
信号を渡ってすぐ右側に小島商店。元薪炭商であり、絹糸商であった。

(小島商店)


少し先の右側にお酒類を商う永文商店、
右側の壁にでかでかと芭蕉と曾良の図が描かれ、

・ 幸手を行ば栗橋の関      焦(芭蕉)
・ 松風をはさみ揃ゆる寺の門   良(曾良)

連句の一部が記入されている。
ここにある曾良が読んだ寺の門は、
幸手市のこの先にある聖福寺にある門を指していると言われる。
芭蕉の詠んだ句の中にある関は、栗橋のどこにあるのだろう。
先行きが楽しみになってきた。

(永文商店)

(永文商店の右側の壁の芭蕉と曾良の旅姿と俳句)


さらに進むと右手に小公園があり、問屋場跡の説明板がある。
その後ろに幸手福祉会館があって、
お手洗いがあるので用のある方はここで済ませて置きたい。

(問屋場跡)


各街道の宿場には、荷捌きをする問屋場があり、
宿場ごとに荷物の運賃が定められていた。

さらに進む、元石炭商の竹村家がある。昭和初期の建物だそうで、
現在は、建物だけ残って生活の痕跡が見られない。

(竹村家)


次いで平井家、元米穀賞でもあり、
味噌を商っていたのか味噌増の屋号があるという。

(平井家)


次が幸手宿の中心となる本陣家、知久家跡。
(知久家は本陣、問屋、名主の三役を兼ね、
幸手宿ではもっとも重要な役割を果たした家柄でした。
初代帯刀(たてわき)は、長野県伊那郡の豪族の出で、
同郷の関東郡代伊那熊蔵より幸手宿の久喜町開拓を命じられ、
諸役を務め、明治三年(1870)に本陣が廃止されるまで、
代々幸手宿の繁栄に尽くしました。
明治六年、知久家の書院で小学校が開設され、
明治九年、明治天皇が東北巡行の折に宿泊されています。)
(幸手市教育委員会)とある
(幸手宿本陣 知久家跡)


その先同じく左手に(ならいち)文房具店があり、
その手前にも古い家が見える。

(古い家)

(ならいち文具店)


この(ならいち文具店)では、
幸手宿について地元の歴史家が調べた歴史書を購入することが出来る。
さらに進むと、同じならびに往時を感じさせる高浜商事の家がある。
ここでは今も昔と変わらぬ肥料店を商っていると言う。

(高浜商事)

これで幸手宿の旧家は終りを遂げる。
「幸手桜まつり」の現地はまだまだ先だ。
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歴史を感じる幸手宿(旧日光・奥州道中ひとり歩る記 29)

2014年04月19日 09時02分17秒 | ひとり歩き旅

(東武幸手駅)


(幸手宿2)
2014年4月1日晴れ、気温19℃の予定。
二日続く五月並の陽気に、桜が満開になる。
幸手駅は、花見客が電車を降りるためか、普段の日というのに、
老若入り混じって混雑している。

駅を出ると観光協会が大声を出して、
「権現堂桜まつり行きのバスが発車しま~す」と声を張り上げて、
一人一人にパンフレットを渡している。
花見で有名な幸手の権現堂堤は、今朝NHKのニュースで映像が流れていた。
幸手駅まで、上野駅から急行でおよそ60分かかると言うのに、
この人出である。
日本人の桜好きは今始まった事ではないが、
それにしても上野公園や、墨田公園、千鳥ヶ淵公園だけでは飽き足らず、
埼玉県の幸手まで足を伸ばしたのであろうか。

いやいや上野の山や隅田川、千鳥ヶ淵の足の踏み場もない混雑から言えば、
多分、埼玉の方へ行けば混雑が緩和されると思って、
みんな出かけて来るのであろう。

駅を出て旧日光街道まで出る歩道を歩いて居ると、
(桜祭り)ののぼり旗がはためいており、
よく見ると街灯の頭にも桜のマークが入っている。
幸手市は、この桜堤のお蔭で潤っているのであろう。

(のぼり旗のある街灯)


話は飛んだ方向にずれてしまったが、
今日は幸手宿を歩いて栗橋まで行く予定である。
時計を見ると11:30分である。
時間を知ったら、急にお腹が空いて来た。
目の前にあるお蕎麦屋さんに入って腹ごしらえ。

店内は桜見物のお客さんで殆んど埋っており、
やっと座る場所を見つけて、
「大盛りそばは量がたくさんありますか?」と聞く。
その昔、信州の小諸のお蕎麦屋さんで、
「大盛そば」と注文したところ、
お店の女性がメニューを差し出した。
見ると、もりそば、中もりそば、大盛蕎麦と、
三段階に分けてある。
その女性が言うには、
「大盛りは、1kgありますが・・・」と。
そこですぐ察して、「もり一枚に訂正」と変更した経験がある。
「もり蕎麦」だけでも、東京の「大盛り蕎麦」に匹敵した量であったのだ。

女将さん曰く、「一人前半ですよ」それで納得して、
改めて「大もり蕎麦」と元気よく頼んだ。
店内のお客さん達は、まだお店に入ったばかりであったと見え、
「大盛りそば」が目の前に現れるまでかなりな時間が掛かった。

お蕎麦屋さんを出たら、12:30分。一時間も掛かっている。
少し歩いて、(幸手駅入り口)の交叉点にでる。

(幸手駅入り口の信号のある旧日光街道)


ここの左右が旧日光街道である。
信号の向うに、旧家らしい建物が目に付く。
目を右に移すと塀に(歴史を感じる街 幸手)の大きな看板が見える。
交流により幸手の街の活性化を図る団体NPOの看板であった。

(旧家らしい建物)

(歴史を感じる街 幸手)の看板)

(街並みの地図)

(街並みの地図2)

(街並みの地図3)

(街並みの地図4)


建物は(コーヒーショップ)になっているが、
説明によれば、国登録有形文化財に指定されている
(岸本家住宅母屋)で、元しょうゆ醸造業。
上埜屋(うえのや)の屋号で、
その醤油はパリ万博で銅メダルを獲得していた家である。
そう言えば、お店の横に国登録有形文化財の標柱があった。

(国登録有形文化財の標柱)


この看板を一所懸命見ていたら、見知らぬ男性から声を掛けられた。
「はいっ!」と手渡された小冊子
「日光街道幸手を感じる会」の発行の看板と瓜二つの内容の印刷物であった。
欲しいと思って写真を撮っていたので大助かり、
厚く礼を言って、印刷物を頂戴した。
(パンフレット)(左側は旧日光街道 幸手宿の延絵図)


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どこもかしこも満開

2014年04月02日 11時38分00秒 | ひとり歩き旅
今、どこもかしこも桜が満開。

近所のお寺、竜福寺のしだれ桜。



左手に見えるのは紫木蓮、ここには御手洗不動尊が祭られている。

このお寺の崖下にある湧水池から発見され、

村人により、ここに祀られた。元は大山詣での際、

この湧水池で禊(みそぎ)をして出かけたと言う。

またこの水で目を洗うと眼病に効くと昔からの言い伝えがあった。

(御手洗不動尊)


(竜福寺の本堂)
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