楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

終わりに!

2004年06月30日 09時37分00秒 | つれづれなるままに考えること

(何を言いたいのだろう?)
そんな足跡をたびたび目にするようになった。
自分で読み返してみて、(?)何を言いたかったのだろうと
自分で疑問に思うことが多くなってきた。

この日記を始めてもう十ヶ月になる。

「三年間生存率 30%」を告知されて、
‘01年5月5日に入院して、
悪性リンパ腫と戦い、抗がん剤の副作用、
そして副作用を緩和する薬物の副作用に負けずに、
七ヶ月の入院生活を無事乗り切ることが出来たのは、
毎日のように送られてきたPCによるメールと、
月一回送られてくる友人の写真に励まされたからでした。

その経験を生かし、
ボクの日記(闘病中に考えたこと、今考えていること、
今後について考えること)を読んでもらい、
ほんのわずかな時間でも、今、闘病中の方々の
気分が晴れればと思い、日記を続けてきました。

しかし、冒頭に述べたように、
「何を言いたいのだろう?」と足跡が残るようになったので、
この日記を止めようと思います。

「三年間生存率 30%」の三年には、あと半年ありますが、
半年毎の検査では、特に異常は認められず、
三年間は生き延びられることが、判っています。
しかしその後の半年間はまだ不明です。

今現在の摂生状態を維持できれば、
(何が何でも意志の力で維持しますが)
「三年間生存率 30%」の中に入ることが出来ると
思っています。

人は自ら自然治癒能力を持っていると言います。
「もっと生きたい」気持ちが強ければ、
治癒能力は増進するものと思われます。

「もっと生きたい」気持ちは何処から
出てくるのでしょうか?
それは将来への希望からです。

いつか述べましたが、ボクには今三人の孫たちが居ます。
その孫たちが成長したら、一緒に外国旅行をしたいという
望みがあり、孫たちに伝えてあります。
ただし、孫たちが行き場所を決め、ホテルから
航空機に至るまでの予約を自分たちですることが、
条件です。

そのためには、少なくも後十年は必要でしょう。
十年は少なくも生き延びたいと摂生に努力しているのです。

十年後になると、次は、きっと彼らの結婚式に出たい
希望が湧くに違いありません。
さらに生き延びなければなりません。
そんな希望が命を永らえさせてくれると信じています。

昨晩、九十九歳になり、四つの博士号を持ち、
63歳でハングルを学び始め、68歳で韓国の学生の前で
韓国語で講義をされている人のインタヴューを、
ラジオで聞きました。
95歳から中国語を学び、まもなく中国の学生の前で、
「中国語で講義ができるようになりたい」とおっしゃっていました。

そのラジオ番組を聴いて、改めて勉強をやり直そうと思います。

旧中山道を歩き始めました。奇しくも芭蕉が奥の細道を旅立った
3月27日でした。(ボクは陽暦ですが)
今、まだ浦和宿ですが、涼しい時を選んで、
史跡を訪ねながら歩きたいと思っています。
少なくも二年はかかるでしょう。
その紀行文を皆さんにお見せしたいと思っています。

夏の暑い間はカナダで、冬の寒い間はニュージーランドで
過ごす夢も捨て切れません。
カナダは東京の80%、ニュージーランドは70%の
物価ですから実現の可能性はあります。

学生時代に読み残したエッセイを読み漁りたいし、
現役時代に用意して、引退後に読もうと思っている
日本の歴史書30冊がまだ手付かずで残っています。

ゴルフのハンデキャップは最低でも14にはなりたい。
友人に全米オープンに出たいと言って笑われていますが、
出場できなくても、見物人として一度行ってみたい。

外国旅行は、目標の105カ国は、まだ40カ国で、
目標達成には程遠い。

やることは尽きることなく、沢山残っています。
あと30年は必要になるでしょうか?

すると100歳を超えて行かねばならないが、
体力が必要なものから、一つずつ着実に実行していきたい。

最後に、本日でCafeの日記は終わらせようと思いますが、
日記をはじめた動機から、このCafeの「日記」は閉じないで、
そのままにして置きたいと思います。

やり遂げたい目標を少しでもクリヤーできたら、
「よこがお」の欄を修正してまいります。

「掲示板」も「足跡」も開いたままにしておきますので、
どうぞお気軽にご記入ください。

また、繰り返しCafeにお訪ねいただけるよう、
昨年九月から書き込んだ内容に少しずつ手を入れながら、
ご覧頂くつもりです。

ボクの一文が、少しでも皆さんの人生に役立つことがあれば、
これに勝る幸せはありません。


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お伝えしておきたくて !

2004年06月29日 20時07分00秒 | つれづれなるままに考えること
(人生)
ボクは「人生如何に生きるべきか」を15歳で考え決めた。
(今、しなければならぬことを、全身全霊で実行する)である。

それが間違っているか居ないかを確かめる生活を始めた。
大学では、文学部を選び人生哲学を探求した。
文学とは「人生いかにあるべきか」を探求する学問である。
卒業後の支えになるように、英語の文学を選んだ。

文学は人生の真実を追究する。
卒業後は、沢山の人に会える営業かジャーナリストの仕事を選んだ。
残念ながらジャーナリストにはなれなかったが、
営業マン(今ではセールス・パーソン)になり、
沢山の人に会い、人生のあり方について、先輩たちの沢山の意見を聞いた。

奈良の薬師寺の坊さんや鎌倉の建長寺の坊さんの意見も聞いたが、
ボクの考えが正しいことを知った。

さて、日本ではこの生き方で正しいが、
果たして世界ではどう受け止められるのだろうか?
外国を旅して、一般庶民に接し、人生のあり方について、
ボクの考えは今のところ間違っていない。

さて、仕事をする上で色んな出来事に遭遇する。
解決が出来そうもないトラブルに巻き込まれることがあり、
人間をやっていることが嫌になることが何度かあった。
そんな落ち込んでいる時、ボクを支えてくれたのが文学であった。
困った時に読んだ本は忘れられない。
吉川英治の「新書太閤記」何度も読んだが、何度目に救われたかは、判らない。

その中の一文、「真実には反論できない」
その信念を貫き、トラブルを解決した記憶がある。

次が司馬遼太郎の「功名が辻」山内一豊の物語に救われた。
どんな文章であったか思い出せない。
平均的には、ボクに残された命は、あと10年。

長ければ30年、もっと勉強して、悔いが残らないようにしたい。
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爺(じい)の社会見学 (最終章)

2004年06月29日 09時21分00秒 | つれづれなるままに考えること
(Unicef)
「学校に来るな!」
「村から出ろ!」
親がエイズで死んだら、みんなにそう言われた。
冷たい言葉が心に突き刺さる。

孤独、苦境、絶望、飢えに耐えている何千万人もの
子供たちに、あなたの支援の手を
差し伸べていただけませんか?

親を失った悲しみに耐え、差別と飢えに苦しむ子供たちが、
笑顔を取り戻し、希望を持って生きていかれるように!

これは、支援を募るUnicefが創ったキャッチフレーズ。
生と死の間(はざま)が垣間見える。

このunicefの文字を写真で表現すると、

World Press Photo ‘04
(世界報道写真展 2004)

今、東京都写真美術館で開催されている写真展になる。

世界報道写真大賞となった写真は、

手前には無常な有刺鉄線が渦巻き、その向こうに
イラク人男性が、砂漠にサンダルの足を投げ出し、
息子を抱える構図である。
4歳の息子も裸足の足を投げ出し、父親は息子の
額に左手を乗せ、右手でしっかり抱きかかえている。
子供の足元に古びたスニーカーが、両足揃えて置いてある。

フランスの報道写真家の作品である。

戦争の生々しい衝撃的な写真が多かったのに、
その中にカメラマンの美の追求を感じないわけにいかない。
総数で展示点数は少なかったのに、
事実と美の接点を探しながら鑑賞したので、
見終わるまでに一時間以上かかった。
生と死の間(はざま)を、ズバリ見せる。

衝撃的な写真が多かった。
イラク、アフガニスタン、チェチェン、ラオス、
ナイジェリアなどの写真、何の罪もない子供たちが
戦渦に巻き込まれるのは耐えられない。

飢えと苦境にある子供たちにどんな言い訳も通用しない。

どんな理由があるにしろ、
戦争は絶対に避けたい!!!

罪のない子供たちに、援助の手をお願い!!!





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生きる (最終章)

2004年06月28日 12時51分00秒 | つれづれなるままに考えること
(人)
人間とは何か?
人生のうちで何度問い掛ける質問であろうか?

思春期の頃、考え思い悩んだ記憶がある。
学校の(カトリック系の)宗教の時間で実に簡単に解決が付いた。

言う、
「人間とは、智恵、意思、感情を持った動物である」

この定義で色んな思いや悩みが解決する。
辞書にも書いていない。

広辞苑では
「サル目 ヒト科の動物」
「出生から死にいたるまでの自然人」
法律では
「権利義務の主体たる人格」
とある。

人生を歩む上では、参考にならない。

人の心は何処にあるのであろうか?
心はハートであるから胸の奥にある?
いえいえ、智恵と意志と感情が一つに
まとまったものだから、心は頭の中にある?

人間は動物だから、子孫を残そうとする本能を持っている。
セックスの仕方なんて、誰に教わらなくとも、
本能だから分かっている。
通常、動物は春秋に交尾期が来る。
人も同じだ。だから、結婚が多いのは春秋になる。

しかし、動物は交尾期以外に交尾はしない。
人は智恵、意思、感情があるから、意志に基づいて
感情を発露することが出来る。

子孫を残し、齢を重ね死んでいく。
智恵があるから死後の世界はどうなっているか考える。
そして勝手に想像する。
人生がつらかったから、死後はきっと良い所であろうと。
あるいは、良い人生であったから、死後また甦ると。

生きている間に、悪いことをしたら地獄に、
良いことをすれば極楽にいける。

地獄極楽行きは、誰が決める?
そこで神様のお出ましだ。

天国、地獄、煉獄(天国と地獄の中間)
すべて、人が勝手に考えたことに違いない。
人が空想したことだから、地獄も極楽もあるはずがない。

死後には何もない。

ただ物としての体が残るだけだ。
衛生上良くないから、荼毘に付す。

また、人の意志は弱いもの。
確固たる意志を持った人は一割以上いるだろうか?
意志が弱いから、一寸困難に出会うとすぐ挫けてしまう。
そんな時は、神様にお祈りする。
何の役にも立たなければ、解決にもならない。

人はもともと怠け者というのが原則だ。
ご飯を炊くのが面倒だから、炊飯器が出来る。
ご飯を炊くのに、米を洗わなければならないが、
面倒だから、無洗米が出来る。
歩くのが面倒だから、自転車が出来、
足で漕ぐのが面倒だから、
モーターをつけてバイクが出来る。
バイクでは二人乗りは出来ても、家族では乗れない。
そこで、車が出来る。

人は楽な方へ楽な方へと傾いていく。

本来の自然な食事をしないし、
体も動かさず運動もしないので
成人病になりやすい。

頭デッカチで文句だけ言う。
けちをつける。
相手の立場、気持を理解しようともせず、
自分の経験だけを土台にして判断する。

水戸光圀(黄門さま)が先憂後楽を説いて、
後楽園を造った。
「先に難しいことを行い、その後で楽しみなさい。」
「先に困難にチャレンジすれば、後が楽だよ。」
「若い時には、苦労を買ってまでする、
人の嫌がることは、率先して実行する。
そんな方の人生の後半は悠々自適でとても素晴らしい。」

そんな人生を送りたいものである!!

「人は生まれると同時に死に向かって歩み始める。」
そしてそのゴールは、誰にもわからない。

そのゴールに向かうプロセスに、楽しみや苦しみが
待っているが、元気良く過ごしていきたいものだ。











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爺(じい)の社会見学 6

2004年06月24日 09時20分00秒 | つれづれなるままに考えること
(統計調査 2)

事業所を一軒一軒歩いて統計調査を依頼して回る。

相手の応対で、先方の事業内容が見えてきてしまう。
営業の仕事を長年やってきた経験がそうさせる。

この会社の従業員は経営者を信頼している。
経営者は、従業員を大切にしている。
従業員の応対が落ち着いている。
かかる調査の担当は誰かはっきりしている。
その担当者がさっと応対する。

このように従業員を手厚く大切にしている会社は、
仕事の内容も利益が十分に上がっているし、
その先の取引先も内容のしっかりした、
お得意様が多いに違いない。

反面、挨拶の仕方も知らない従業員が居る会社もある。
経営者は相手を見て態度をかえる人だ。
沢山居る従業員の中で、誰がかかる調査に対する
担当かはっきりしていなくて、応対者がはっきりしない。
誰かが応対するだろうと、譲りあって誰も応対に出てこない。

挙句に、「そんな調査をやっている暇はない」と
「××長」と思われる人が答える。
時には、応対に当たった女性が「××長」と
助けを求めると、チラッとボクの方を見ただけで、
顎をしゃくっている。

女性は意味がわかったらしく、
「本社へ行って 社長に話してください」という。
本社では、社長が出てきて、胡散臭そうに眺めて、
「どうしても、やらなきゃならないか」と聞く。
「国民の義務ですので、御協力お願いします」と依頼する。
こちらの応対も当然強くなる。
こんな会話がある会社は、事業内容がよくない。
つまり、何かに追いかけられて、仕事に余裕がないのだ。

建物は立派でも、中身は大したことがない。

余裕のある会社では、
「初めてなので、記入の仕方教えてください」
ものの10分とかからない内容なのだ。
こんな人は、会社の内容をよく把握していて、
記入するにも恥じるところがなく、
すらすら書き終える。

事業とはこうありたいものだ。
事業は永遠でなければならない。
利益を得て、税金を沢山払い、社会に貢献して欲しいし、
第一、 従業員が安心していつまでも働ける
会社経営が大切である。





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