楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

コブシの大樹 満開

2015年03月28日 08時56分07秒 | ひとり歩き旅
散歩道の先に、自然観察公園がある。
その公園ではコブシの木が何本もあるが、
池の脇にあるコブシの大樹は殊のほか美しい。

(崖の上のコブシ)

(その二)


この大樹、樹齢はいったい何年か気になったので、
管理している東京都北区役所に問い合わせた。
残っている記録では、昭和38年に幹回り205cmあったと言う。
推定では、樹齢 80年位らしい。

この自然観察公園には、東京名湧水100選に選ばれた湧水があり、
湧水で凍らないせいもあって、小魚が居るいて、
「かわせみ」や「しらさぎ」が飛んできて餌をあさる。

その「かわせみ」を狙ってカメラマンが大勢来ている。
もちろん子供たちもあたたかくなると遊びにやってきて、
かやぶきの「ふるさと農家」を見学したり、
池で小魚捕りを楽しむ。

(ふるさと農家)

(その二)


春先でもあり、タンポポが陽だまりで花開いていた。


(レンギョウ)
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西洋砲術演武(梅まつりの余興)

2015年03月24日 09時03分28秒 | ひとり歩き旅
大阪の千里ニュータウンに並んで、東京では高島平大団地が比較されます。

高島平は、徳丸ヶ原と言って荒川の氾濫原で湿地帯でしたが、

高島秋帆が西洋砲術訓練を披露したことで、有名になり高島秋帆の名を取って

「高島平」と呼ぶようになった。

近くに、松月院なる寺院がありますが、その時高島秋帆がこの寺院を本陣としたので、

この寺院に大砲が残されている。

(板橋郷土資料館に残された大砲と
西洋流火術鉄砲隊保存会の兵隊さんは特別撮らせていただいた)

(資料館に残された大筒)


しかし古文書を読むと、秋帆が演習のために本陣としてこの寺院を利用したのは、

わずか三日間のことのようだ。

たった三日間、徳丸ヶ原で西洋砲術の訓練を披露しただけで、

地名にまでされた「西洋砲術訓練」は、当時は画期的なものであったに違いない。

板橋区民祭りや、梅まつりには必ず西洋砲術隊の行進、

砲術訓練の演習が披露される。

今日は梅まつりの模様を、写真でご覧いただきたい。

(西洋砲術隊の入場、赤い法被の背中は高島秋帆の紋所)

(バグパイプも勇ましく行軍)

(入場)

(隊長の試射)


(立ち位置での射撃)

(座位置での射撃)

(座位置での射撃2)

(全員による射撃)


空砲とは言え、かなりの爆発音ともうもうたる硝煙のにおいに包まれる。

その昔、猟銃で小鳥を撃った時の衝撃の感触を思い出した。

(演武の終了)

(鉄砲隊保存会メンバーそろって)







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鷹匠(梅まつりで)

2015年03月21日 09時19分29秒 | ひとり歩き旅
梅まつりに出かけた。

アトラクションでいろいろな催しが実演された。

その場所は、下総国の守護職 千葉自胤(これたね、時にはよりたねと読む)の居城、

赤塚城址で実演される。梅林はこの城址後に隣接している。

(赤塚城址入口と梅林)

(梅林)

(城址の碑)

(演武場)


もともと板橋区の志村坂上から戸田にかけては湿地帯であった関係で、

一帯は鷹狩が行われた狩猟場であった。

それで志村坂上には鷹匠屋敷があったと伝えられ、

鷹の餌になる螻蛄(おけら)などを捕って年貢の代わりにすることが出来たと、

古文書にもあるようだ。

また埼玉県の戸田市には、尾張藩領鷹場と書かれた石碑が今でも30個以上残っているらしく、

その一つが戸田市歴史博物館に展示されている。

話が反れたが、鷹匠の実演は毎年行われるそうで、

ある時、沢山のカラスに驚いて鷹が逃げ出す騒ぎがあったとか。

鷹匠が毎日、一週間ほど朝早くこの城址に来て探したと言う。

(鷹匠と鷹)

(猛禽類のフクロウ)

(演技をした鷹)

(鷹を放す瞬間)

(受けた鷹)


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あしび

2015年03月19日 09時02分17秒 | ひとり歩き旅
散歩の道路脇に咲いていた。

桜のはなと一緒の頃に咲く花である。

あしび=馬酔木=あせび=あせぼ、少しづつ呼び名が違うが同じ花。

馬がその葉を食べると、酔ったようにふらつき「あしがしびれた」ように見えるから、

「あししび→あしび」と聞こえたからだろうか?

真偽のほどは定かではない。

(あしび)
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まんさく

2015年03月17日 09時08分14秒 | ひとり歩き旅
「まんさく」の花を見ると「与作」を思い出す。

花の名前の読みが似通っているからだ。

「まんさく」は、花びら(?)が髭のようで、

「与作」はその髭の濃い農家のおじさん「与作」に似通っていて思い出す。

そのマンサクは、ふつう黄色であるが、

今年あかいマンサクを見つけた。

毎年、毎年、咲いていたのであろうが、全く気付かなかった。

目立つ黄色に押されて、ボクには見えなかったに違いない。

(マンサク)


(赤いマンサクの木がある)


この写真で見るように、黄色のマンサクは良く目立って見えるが、

赤いマンサクは、黄色に隠れて見えにくい。

見え難いのは、色弱のボクだけかも知れない。

ボクは、赤が見え難い色弱だからだ。

普通、「色盲」は赤が緑に、緑が赤に見えると言う。

「全色盲」は白黒映画のように見え、色は見えないらしい。

「色弱」でも、かなりなハンデキャップがある。

先ず理系の学部ー生物、物理、化学、医学などを選んで大学には入れない。

色による判断が必要な学問だからだ。

15年前に、血液のがんで7か月入院をした。

入院前に「三年間生存率 30%」と言われた。

末期がんだったらしい。この時、生きながらえたら、

もう一度チャレンジして医者になろうと考えた。

しかし「色弱」では、医師に成れない。

色で判断しなければならないことがあるからだ。

それこそガンであるかどうかさえ判断が出来ないからだ。


話を戻そう。

とにかく赤い「まんさく」が在るのだ。

(赤いマンサク)


このようにして、拡大すれば、あるいは近づいて、よくよく見れば、

赤いマンサクに気が付いたと思われる。


さて、黄色から赤色に花が変わると、

同じようにマンサクと言うのかと、疑問がわいてきた。


調べたら、

赤でもマンサクはマンサクであることが分かったが、

日本の原産ではないことも分かった。

しかも名前は「Diana](ダイアナ)と呼ばれているのだ。

マンサクも人の名に似ているが、ダイアナも人の名にある。

ただ花が赤色では、髭(ひげ)をイメージすることが出来ない。

きっと外国人は、赤い髪をイメージしたに違いない。

それで「Diane]と言うのだろう。

春の日に他愛のない空想をしているのは楽しい。




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