楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

今年の終わりに!

2004年12月31日 09時31分00秒 | つれづれなるままに考えること

その辺でやめときな。
  
   りっぱすぎる決心は、

      きっと三日ぼうずになるから

    どらえもんより<藤子・F・不二雄>





コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サッカー

2004年12月30日 09時59分00秒 | つれづれなるままに考えること
(サッカー)
ボクは学生時代サッカー部に所属していた。
中学から大学まで10年間。
当時サッカーなどというスポーツは、
実にマイナーなスポーツであった。
ボクが通った学校は、
先生も日本語が話せない外国人が多い
ミッションスクールであったから、
サッカー部といったが、
他の学校では蹴球部と呼んでいたことからも
分っていただけると思う。

したがって学校から支給(?)される部費も、
その額が少なく主将は部の運営に困っていたようである。
何と言っても、一年間に使うボール代位にしかならなかったらしい。
遠征費も自腹なら、新しいユニホームは、
三年に一回新調できれば上出来であった。

四年間の学生生活を終えて就職し、初任給が13500円の時代に
サッカーのシューズが3000円もした。
50年も昔のことだ。

現代のように猫も杓子もサッカー。
しかもサポーターと呼ばれる応援団まで居る時代とは違って、
試合があっても誰も観に来ないし、野球やラグビーならともかく
応援団さえそっぽを向いていた。
そんな時代。

ルールも今では理解してもらっているようだが、
オフ・サイドなんていう難しいルールは、
中学三年の時やっと覚えた。
ルールを覚えるのも三年後でよかったのである。

当時からフォワードのツウ・トップで戦う戦法は有ったが、
通常はフォワード五人、ハーフバック三人、フルバック二名、
それにキーパー1名の構成でゲームを行った。
今では、ハーフバックはミッドフィルダ―という。

最近、草サッカーを見ていると、
フォワード五人の戦法を基本としているようだ。
下手なプレーヤー同士のゲームでは、これが戦いやすそうである。
フォワード(攻撃する人)5人に対して、バック(防御する人)が
5人――ハーフバック3人(中堅で攻撃と防御を受け持つ)
+フルバック2人(防御するひと)――でほぼマンツーマンで
攻撃と防御がなされる。

当時でも1ゲーム90分で、走る距離は平均16km、
その内、全速力で走るのは3千mと言われたが、
今の選手たちは、もっと沢山走っている。

当時の大学生選手を集めてゲームをしても、
多分、今の中学生と互角の勝負になるのではないか。
それほど技術面では劣っていたと思われるが、
そんな歴史があって、今のサッカーがある。

当時、合宿というと、お休みの教室に体操部のマットを敷いて
ベッド代わりにし、毛布一枚で寝泊りした。
食糧不足が続いていたので、一週間合宿をすると、
お米を二升だったかを持ち込み、
近くの食堂で朝昼晩の食事のお世話をお願いする。
勿論、おかず代は別に支払う。

練習は卒業生の先輩が来て基礎体力が必要と、
朝6時起床、朝食前に10kmのランニング。
ランニングといっても、途中で先輩の掛け声と共に
ダッシュあり、反転してバックすることもあり、
帰ってくれば10kmであるが、実質15kmは走った。
この練習のすごさは表現が難しいが、
初日と二日目は、筋肉痛で階段を登ることは出きても、
降りるときは前向きでは降りることが出来ず、
後ろ向きでやっと降りることが出来るほどであった。
トイレに入っても、やっとの思いでしゃがむことは出来ても、
用を足したあと、立ち上がるには自力では不可能で、
目の前にある水洗用の水道管に掴まって、
立ち上がれなければならなかった。

人間の体はよく出来ていて、一度体験すると、
その経験に順応して筋肉が出来上がり、
その後は痛みが日に日に無くなっていくのは不思議だ。

それに練習もハードであるから、夜は食事をして風呂に入ると
おしゃべりをする暇も無く、前後不覚に眠ってしまう。
朝、先輩に叩き起こされるまで、誰一人として
先輩が来る前に起きているものはいない。

そんな脇目も振らぬ合宿生活を過ごしてくるから、
チームの結束も固く、先輩後輩の秩序も保たれ、
先輩はよく後輩を指導した。
間違っても法に触れるような行いは、徹底して禁止された。
だから卒業後も、先輩後輩のかんけいは兄弟のようで、
いくつになっても兄弟付き合いが出来る。

報道にあった××大学のサッカー部のように、
余計なことをしている暇など無かったし、
もしそんな暇があると、「駆け足グラウンド何週」
の命令が飛んだものだ。
また、学業の成績がある一定限度以下の場合や、
必要単位が取れない場合も、休部を命じられた。
暗黙の伝統的な規則は、建設的で社会秩序を守るものであった。

そんな学生時代が懐かしく思い出されるのも、
年をとった所為であろうか?




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

化粧

2004年12月29日 10時02分00秒 | つれづれなるままに考えること
(化粧)
「化粧」を辞書で見ると
「{身だしなみとして}ファンデーション・口紅などを付けて、
顔を美しく見せるようにすること。」
Shin Meikai Kokugo Dictionary, 5th edition (C) Sanseido Co.とある。

なるほど、上品に訳すとこうなる。国語辞典でも、
「身だしなみとして」の一句が入っている。

しかし最近では、身だしなみなど何処吹く風。
電車に乗り込んでくるや、
優先席であろうとお構いなく、
席が空いていれば我先に座って、
バッグから化粧道具を出して、
アイシャドウから始まって、睫毛を反り返らせ、
ファンデーションは塗りたくり、
唇を尖らせて口紅を塗り始める。

「化粧」は少々皮肉れば
「めかしこんで化ける」とも解釈できる。
大体、電車の中で堂々と化粧を始める御婦人に限って、
美人といえる人は少ない。

「美人」とは裏腹にビックリするような御婦人が多い。
黒い金魚の「でめきん」が、
わざわざ黒いアイシャドウをつけるのもどうかと思うが、
動物園では愛嬌のあるカバが、歯をむき出すようにして、
唇を突き出して紅を塗っても無意味と、ボクは思うが、
そんな感じの御婦人が多いのは面白い。

日本人はもともと、謙虚で控えめなところに美しさを感じるのであるが、
ここまで堂々と顔を加工しているのを人前で見せられると、
どんなにほれている男性も、一度に冷めることは必定である。

我が家のカミさんは結婚以来、毎朝ボクより早く起き、
化粧を済まして食事の用意をしている。

それに引き換え、娘は学生時代はもとより、生まれてこの方、
化粧をしたのを見たのは、ただの三回しかない。

一回目は、成人式の日、
二回目は倅の結婚式の日、
三回目は本人が結婚をした日。
これだけである。

今は亭主の夫にプロポーズされて、
彼の両親に顔見せに行ったときも、化粧なしであった。
彼の母親が語ったところによれば、

「あの子、スッピンね。背が高いわね」の二言であったらしい。

ボクの姉に結婚式に出て欲しいと、報告とお願いに行ったときも、
ノー化粧で、言葉を飾らない娘に始めて会った姉の言葉では、

「屈託の無い子ね。色白で化粧がいらなくて経済的ね」であった。
経済的といえば、どこで勉強したのか知らないが、
主婦業をキチンとこなしていて、
我が家のカミさんが主婦業を教授してもらっており、

カミさんをして「主婦業では、私より上を行っているわ」と言わしている。

その娘は、四歳の頃、「大きくなったら何になるの?」と大人たちに聞かれると、
「大きくなったらお母さんになるの」と答えていた。
年を経て、中学に入っても高校生になっても意志が堅く、
主婦業が彼女の将来の目標であった。

だから、男性を選ぶのも、高い将来性で無く、
ごくありふれたマイホーム・パパで、温厚が第一であった。

幸運にも(幸運とは自分で探すものかもしれないが)親の眼から見ても、
彼女の理想の男性にめぐり合えた。

生活はごくごく常識的で上を見ず、
さりとて下の方でもない当たり前な平凡な一生になりそうである。
これが彼女の希望であり、理想としているものであるから、
脇から見れば何の取り柄もない普通の結婚生活に、
これほど満足し、幸せを感じている女性も少ないと思う。

人間の一生など、上を見れば切りがないし、
下を見ればこれまた切りの無い話であるが、同じように、
「美しくありたい」という女心も同じで、
わざわざ電車の中で、恥を晒して化粧することも無い。

素顔の貴女を大好きな男性が沢山いることを、
忘れないで欲しいものである。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

迷子

2004年12月28日 11時25分00秒 | つれづれなるままに考えること
(迷子)散歩に出かけての帰り際の家に着く手前に、
交通の激しい広い道路を信号に沿って横断する。

信号を無視すると大変危険な場所である。
信号が変わる前の点滅を始めたら、
横断をいつも断念するほど交通量は多い。

昨日もその道路を横断しようと信号を見ると、
幸い信号が青になっている。
点滅信号に変わる前に交差点へ入っていないと渡りきれないので、
すこし早足で渡りかけた。

道路の向こう側に子供が一人交差点に向かって歩いてくるのが見えた。
ボクが信号を渡りきった時、
坊やは横断歩道の中ほどにいたので、
そっと肩に手を当てて、

「危ないから、すこしは端に寄ろうね。」といいながら、

坊やを道路の端に寄せるように誘導した。
近くに保護者がいるだろうと見渡したが誰もいない。

「おかあさんは?」と聞いても

「・・・」返事が無く、澄んだ目でボクを見上げるだけ。

「ボクのおうちは何処?」と聞くと、

「あっち」と指を指すだけ。

ボクが人差し指と中指を差し出すと、
そこに掴まってきた。

(こんな風にして歩く経験があるんだな)と思って足元を見ると、
この寒空に素足のままである。

(おや?これは近くに保護者なんかいないぞ。
ひょっとすると親が知らないうちに、家をぬけ出してきたのかもしれない)

そう思って近くに立ち話をしていたご婦人二人に、
大声で「この子何処の子かご存知ありませんか?」
「いや、見かけない子ですね」と返事。

その他、周りにいた何人かの男性の方たちも、
チラッと坊やを見ただけで知らぬ顔の半兵衛を決め込む。

(東京の人たちはこういう時、非常に冷たい)と感じた。

ボクがすこし悪者で、すこし異常者であったら、
子供をつれて半分建ちかけの現場にでも入り込んで、
何かしようとすれば、いとも簡単に出来る状態だ。

夕方16時半ごろのことである。
そろそろ辺りに夕闇が迫っている。

「抱っこしようか」
「ん?」
「抱っこしてあげようか?足が冷たいでしょう?」

坊やは手を差し伸べた。
(抱っこしてほしい)合図だ。

「ぼく、おうちに帰ろう。おうちはどっち」
「あっち」と坊やが歩いてきた方角を指差す。
坊やを抱いてすこし歩くと、四辻に出た。

「どっち?」と訊くと、
「あっち」と右を差す。

体を回して「どっち?」と聞くと、
別の道を指差す。

(これでは、方角が分っていないのだな)と判断した。
坊やを抱っこしてやや途方にくれた。
道路わきから年配のお婆ちゃんがでてきた。

念のために「この子何処の子か知りませんか?」
「見たことのない子だねえ」坊やをしげしげと見ていう。
「坊や、いくつ?」とお婆ちゃんが訊く。
坊やは、ボクの背中の方で指を出しているらしい。

「二歳のようよ、だって二本指出しているもん。
それにしても、この子は可愛がられて大事に育てられてる。
落ち着いて、人見知りしないし、怖がらないから」とお婆ちゃん。

(なるほど、観察は素晴らしい。だてに歳をとっていないな)と感心する。
お婆ちゃんは家の中へ入っていった。

(そんなことに感心している場合ではない。
日は暮れてくるし、早く何とかしなければ)久しぶりに抱いた子供の重みが、
ずしりと腕にかかっている。

そこで思い出したのが、携帯電話。
つい最近、娘が緊急用に買ってくれた。
勿論毎月掛かるコストはボク持ち。
ボクの友人が、ひざの皿をを割る大怪我をした。

周りに誰も助ける人がいず、
持っていた携帯電話で「119」番。
救急車を呼んで助かった。

別の友人は地下道を歩いていて、
急に胸が痛みうずくまったが、
これも携帯電話による救急車で救われた。
一方で救急車を呼ぶことが出来ず、
通路にうずくまっても、誰も気にせずに素通りされて、
命を落とした友人もいる。

そんな話をカミさんにしたのを、
娘が伝え聞いて携帯電話を緊急用に買ってくれたのである。
まさに緊急用とはこのこと。

「110」番をまわした。
「事件ですか?事故ですか?」110番の婦人警官。
「迷子です」
「どうして迷子と分ります?」
「裸足で歩いていますし、周りに保護者が見当たりません」
「有難うございます。何歳くらいですか?」
「2~3歳」
「身長はどのくらいですか?」聞かれて、坊やを地面に下ろす。

立った姿は、ボクの股くらいの高さ。
ボクのズボンはいつも股下 70cmで裾上げしてもらっている。

「7~80センチです」
「髪の毛は何色ですか?」
「黒い毛が薄茶色になっていて、長く伸ばしている」
「服装は?上は?」
「紺色のタートルネックにグレーのベストを着て、
ズボンは白地に、黄色とブルーの大きなリンゴをデザインした模様の入ったものを着ています」
「有難うございます。場所は?」そこで困った。

場所は分っているけど、説明のしようも無い特徴の無い所である。
見渡すと家の塀に住居表示がしてある。

「××4丁目21-22です」
「目当てになる建物は?」近所にある家は全て しもた屋ばかり。
どのみち一軒一軒の地図が警察にはある。
ままよと 表札を見て驚いた。

「海老根」ずいぶん難しい名前。
あてずっぽうに「えびねさんの家の前です」
「有難うございます。すぐ警官をやりますので、場所を移動しないで下さい」

坊やを見つけてから7-8分の出来事。
坊やを抱っこして、待つことにした。
こんな時、待つ時間は長く感じる。坊やに話しかけた。

「おかあさんは?」
「ん・・」返事なし。

抱いた坊やが、首筋の辺りで咳をする。
「寒いか?」返事が無い。

素足を触ってみると、意外に暖かい。
ボクの電話のやり取りから察したのか、
「ぴーぽーぴーぽー、来るの?」
「もうじき来るよ」そうこうしている間に警察官が歩いてきた。

ホットする途端に
「110番のHIDE-SANですか?住所を、
電話を、氏名をフルネームでお願いします」

矢継ぎ早である。
110番はその処理結果を報告しなければならない義務がある。
それは分るが、先に坊やを引き取って欲しい。
重さで腕が痺れてきた。
一連の調書をとられて坊やを渡す。
もう一人警官が自転車で来た。
もう安心。
警官一人では、いつ放り出されるか分らない。

二人なら放り出すことも無かろう。

最近の報道から、警察官の信用も失墜している。
こんなことまで考えなければならない時代である。

「パトカーは来ないのですか?」と聞くと
「もうじき来るはずです」と警官。
「ぴーぽーぴーぽー 来るそうだよ」と、

坊やに言いながらバイバイした。

聡明そうなよい子であった。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孝行は難しい!

2004年12月27日 09時26分00秒 | つれづれなるままに考えること

身体髪膚これを父母に受く、

あえて毀傷せざるは孝の始めなり。

身を立て、道を行い、名を後世に揚げ、

もって父母を顕すは孝の終わりなり。

<孔子>



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Potora!  NTTグループ運営!