楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
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     ・おくのほそ道を歩く

この夏国宝になるー妻沼聖天山 本殿

2012年06月25日 10時29分14秒 | つれづれなるままに考えること
(この夏国宝になる、修復された歓喜院の彫刻)


正式の名を「妻沼聖天山歓喜院(めぬましょうてんざんかんきいん)」という。

平成15年から平成23年の8年かけての保存修復工事には、

十三億五千万円を費やし、

外壁は建久八年(1197)開創当時の華麗な色彩が復元した。

【武州妻沼聖天山図】


(この七月国宝に指定される本殿)


場所は関越高速道路(東松山より40分)、東北道(館林より50分)の所にある。

妻沼聖天山は平家物語、源平盛衰記、謡曲実盛、歌舞伎実盛物語に表れる、

斉藤別当実盛が妻沼に祖先伝来の本尊聖天様をお祀りした事に創まる。

(斉藤別当実盛像)


聖天山の総門は(貴惣門)と言い、嘉永四年(1851)に竣工した、

国の指定文化財である。

(貴惣門)

(貴惣門2)

(貴惣門の彫刻)


(貴惣門の扁額)


総ケヤキ造りの精緻なつくりに、多様な技法の彫刻で要所を飾るなど、

江戸末期造形芸術の粋が発揮されている。

(仁王像)

(仁王像2)


今回国宝となる妻沼聖天山「本殿」の華麗な彫刻を紹介したい。

(つづく)



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椿山荘ー元山県有朋公の御屋敷

2012年06月23日 09時45分05秒 | つれづれなるままに考えること
椿山荘に「量救水(りょうぐすい)」と名づけられた水鉢があると聞いて出かけた。
何故この椿山荘の庭に、この「量救水」の大水鉢が置かれているのか分からない。
元は京都の日ノ岡峠の「亀の水不動」にあった水鉢である。

(亀の水不動)


亀の口から地下水が流れ、その水を受けていた大水鉢で、
「量救水(りょうぐすい)」と名づけられている。

(量救水)


旧中山道の日ノ岡峠は京都に入る最後の峠で、その手前、
大津宿側には「逢坂の関」で知られる逢坂の峠がある。
加えて大津から京都への荷物の量の多さは、普通の宿場の倍以上あった。
それは「中山道」から送られてくる荷物、「東海道」を経由する荷物で、
倍以上になったことは容易に想像できる。
これを京に運ぶには二つの峠を越えねばならず、難儀を極めたのを、
見かねて木食上人正禅養阿は、
日ノ岡峠に井戸を掘り当て、水を馬や役夫に振舞った。
その水をためた鉢が「量救水」である。

(木食上人と読めるか?)

(日ノ岡峠)


この水瓶がどのような経緯で、東京の椿山荘にあるのか分からない。
椿山荘の元所有者 山県有朋が京都から持ち込んだのか、不明である。
椿山荘の庭園には三重塔があるが、その左脇にこの量救水はあり、
現在は水道水と思われるが、水が滾々と湧き出ている。

(椿山荘の三重塔)


(椿山荘の庭、⑪番のところに量救水はある。)

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キリシタン灯篭(4)-織部灯篭はただの灯籠 ?

2012年06月21日 13時28分24秒 | つれづれなるままに考えること
前三回にわたって、大原三千院のお手洗い横の石灯篭からはじまって、

茶室の路地にあった織部灯篭が、隠れキリシタン灯篭であると、

考えてきた。

しかし隠れキリシタンは現在でもその行動を伝えて、

長崎の一地方で実行されている方々がいらっしゃると伝え聞いている。

その隠れキリシタン研究の第一人者の田北耕也氏の研究によると、

この信仰が現在も継承されているという。

しかし現在も継承されている隠れキリシタンの崇拝物は、

このキリシタン灯篭とは全く関係が無いようだ。


(織部灯篭、またはキリシタン灯篭)(板橋区の延命寺)

それでは、現在のキリスト教徒は、この「キリシタン灯篭」を、

どのように考えているのか、日本キリスト教大辞典を見てみよう。

(以下は、日本キリスト教大辞典「織部灯篭とキリシタン宗門」松田毅一より)

『さて、問題の「隠れキリシタン灯篭」と言われるもの、

またはその一部に対する誤った呼称、織部灯篭は近世初期から愛用され、

茶室のみならず、寺社、庭園、墓地など、その使用は全国各地に分布している。

通常、竿石上部が横にふくらみを持ち、

下部に人像が刻まれている点が大きな特徴とされる。

(人物像)

(人物像2)

この種のものがあたかもキリシタンと関係があるかのように、

世間で言われるようになったのは、大正12年(1923)頃からで、

静岡の某氏が宝台院の一基の下部に人物像があることに注目して、

同地の教会のフランス人司祭に見せた所、カトリックの聖人像で、

服装はローマの法服であると認定したと言う。

(目黒の大聖院のキリシタン灯籠)

この種の灯籠と同型の石造物はどこにでもあり、

それがキリシタンと関係があるかのように言われ始めると、

大正末期から昭和初期にかけてキリシタン研究が活況を呈し、

高槻山中や長崎などキリシタン遺物が紹介され、

人々のキリシタンに対する関心がにわかに高まった事と相まって、

各地で騒ぎ出すようになった。


昭和23年(1948)に西村貞は「キリシタンと茶道」において、

織部灯篭の一部をキリシタン宗門と関係づけよう論証に努めたが、

今日に至るまで織部灯篭をキリシタン宗門と関係があると、

立証したものは誰も居ない。

もとより古田織部その者もキリシタンではない。

竿石のふくらみや仏像の彫刻を含め、その灯籠そのものも、

笠塔、卒塔婆、五輪塔など、中世以前から存在した仏教関係の

古い石造文化財の影響を受けている。


(上部の記号)

殊に竿石上部の記号は、灯籠とは別に、

17世紀中期から供養塔、墓標、庚申塔が急に造立されて以来、

そこに刻まれるようになったものが、竿石にも印刻されるに至ったようだ。

以上述べたように、織部灯篭は隠れキリシタンの灯籠ではない。

隠れキリシタン灯篭と言うことにすることで、

世間の人たちの興味をそそるだけの事である。』と述べている。

(切支丹灯篭の説明板)

目黒区教育委員会が「切支丹灯篭」として、説明しているように、

キリシタン灯篭と考えるのもよし、

あるいは、キリシタン灯篭とは全く違っており、

茶の湯にわび、さびを伝えるだけの石造物で、

上に火袋を乗せれば「灯籠」で、手水鉢を乗せればつくばいにと考えてもよい。

茶室の露地の置物と考えれば、それだけで心休まる。


以上四回にわたって、述べてきたが結論としては以上の通りである。

皆さんいかがだったでしょうか。



コメント (7)
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キリシタン灯篭(3)ー奇妙な文字列の解明

2012年06月19日 10時38分15秒 | つれづれなるままに考えること


奇妙な文字列


これを90℃左回転するとLhqとなる。

ヘブライ語は右から読み、しかも母音が省略されているから、

これを英語読みの左から読み、しかも母音を入れると、

Lhq→Qhl→Qahalとなる。

ここまでは前回述べた。


【これをオンライン辞書

「The Old Testament Hebrew Lexicon(旧約聖書ヘブライ語辞典)」を引用すると、

その意味は「to assemble for religious reasons,for political reasonns」とあり、

=「宗教か政治の集会、会合」と訳せる。

この場合:Lhq=lahaq→右読みでQahal=「宗教の集会」となる。

具体的には,
The Community of Matthew and Qumran(マテオとクムラン協会)によれば、

(the word commonly used to translate the hwhy lhq,the assembly ofYahweh)

とあるように、この言葉は通常「神エホバの集会」と訳せる。】

(以上は、月刊メルマガ「沈黙の兵器」による)

(注)hwhy=hewhaY→Yahweh(エホバ)

以上の通り、どうに考えても、奇妙な文字列は、

隠れキリシタンの集合場所を表す造形物と言う事になる。

解りやすく言えば、「この造形物はキリシタンの神につながるもの」と、

役人に問い詰められた時、

灯籠の下部に刻まれた像は地蔵尊にも見え、

キリシタン禁制の時代に、

いかようにも言い逃れが出来る様になっていたのではないだろうか。


また、左右の文字、

「岩松无心 風来吟」「錦上舗花 又一重」は禅宗の言葉であり、

(岩の上の松は無心で、風が来た時に音を奏でる=無心の境地)と

(錦の上に花を敷いてさらに重ねる=美の極致)を表し、

茶会の集いと言い逃れたに違いない。

 (つづく)
コメント (6)
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隠れキリシタン灯篭(2)-奇妙な文字

2012年06月17日 10時19分34秒 | つれづれなるままに考えること
キリシタン灯篭

(板橋区志村の延命寺にあるキリシタン灯篭)

(灯籠に刻まれた奇妙な文字記号)

日本全国に渡って、このキリシタン灯篭は百数十個あるとされるが、

その全てを調査された松田重雄氏の「切支丹の信仰」の著書の中で、

文字が簡単に解明され隠れキリシタンの崇拝物として解るようでは、

すぐに捕まってしまうので、わざと解り難くしてある、と言う。

氏の指摘では、奇妙な文字列を左に90℃回転すると、

【「Lhq」で「L」は小文字にすると「l」は「i」を指し、

「Lhq」の「h」は横にすると「T」であると言う。

そして「Lhq」の「q」は「p」を表していると言う。

つまり「itp」であり、

キリスト教の語源はフェブライ語であり、

フェブライ語は右読み母音抜きであるから、

「itp」=「pti」=「patri」

すなわち「パートリー」=「父なる神」を表す】と結論つけている。

確かに、キリスト教はイスラエルが発生地と思われる。

イスラエルの祖先はフェニキア人でフェニキア語を使っていた。

フェニキア語とフェブライ語の関係は、下記の通りであるから、


(フェニキア文字はシリア一帯を中心とする、

海洋商業民族であるフェニキア人によって使用された文字で、

フェニキア文字(BC14世紀)→ギリシャ語(同9世紀)→ラテン語(同7世紀)

ヘブライ語(同3世紀)→アラビア語につながる言葉。)

また、イスラエルの死海の脇にあるクムラン遺跡。

その洞窟内に発見された羊皮紙に書かれた旧約聖書ークムラン聖書ーは、

ヘブライ語で書かれていることから考えると、

この奇妙な文字列はへブライ語と考えられる。


松田重雄氏と違った見方をしてみよう。

この奇妙な文字列がヘブライ語であるとして、

ヘブライ語は右から読み、しかも母音が省略されている事から、

英語読みのように左から読んで、しかも母音を入れると、

ヘブライ語(L h q)英語書きにすると(Q h l)

母音を入れると(Qahal)となる。

ヘブライ語 Qahal はどんな意味があるのでしょうか?

(つづく)
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