楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

「中山道」と「中仙道」 (旧中山道を歩く 番外記)

2005年01月27日 08時39分00秒 | つれづれなるままに考えること
(中山道と中仙道)
古来より、中山道は中仙道と二つの表示がある。
これが「中山道」に決められたいきさつが記された資料を蕨市歴史民族資料館で見つけた。

[「中山道と中仙道」江戸時代の出版物を見ていくと
「中山道」と記されたものと「中仙道」と記されたものがあります。

どちらが正しいでしょうか? 

正徳6年(1716)4月のお触書によると、
「只今までは「仙」之字書候得ども、向後は「山」の字書可申事」
(今までは「仙」の字を書いていたが、今後は「山」の字を書くようにすること)とあり、
「中山道」と書くよう決められています。
また、同じ御触書に、奥州・日光・甲州道中ついて、
「これは海端を通り不申候間 海道とは申し間敷候」
(これは海の端を通らないから、海道とは申しません)とあり、
奥州・日光・甲州街道でなく、奥州・日光・甲州道中と呼ぶのが正しいことがわかります。] とある。

東海道は海の端を歩くから東海道で、
中山道は山の中を歩くから中山道。とても解りやすい。

(宿場について)
[宿場は旅人の休泊のための旅籠や、
大名・公家など身分の高い人々の宿泊設備である本陣・脇本陣があった。
加えて問屋場、高札場が設けられていたのが標準のようだ。
また、宿場間の旅人と荷物を輸送する事務を執り行う
問屋・年寄り・帳付け・馬指し・人足指しなどの宿役人がいた。]

こうしたさまざまな人たちの生活に必要な商売屋も軒を連ねて繁盛したといわれる。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「おとな」になる

2005年01月06日 10時50分00秒 | つれづれなるままに考えること
「おとな」になる
子供の頃、(早く「おとな」になりたい)と思った。

20歳になり、成人式を終えても
(「おとな」になった)とは思えず、いつになったら
「おとな」になれるだろうか疑問に思った。

大学生になり幼稚園児から「おじさん」と呼ばれて、
幼児から見れば「おとな」なんだなあ、そう気が付いた。
以来長い間、「おじさん」と呼ばれたことは無い。

結婚して、子供を持って「おとうさん」とは呼ばれたが、
気持ちの上で「おとな」になったとは思えなかった。
子育てで生活費を稼ぐのに一所懸命になっていて、
しばらく「おとな」へのこだわりを忘れていた。

子供が成長し成人式を済ませ結婚しても、親の自分が
「おとな」である実感が湧かなかった。
(やれやれ、子供たちも巣立っていった。彼らも
「おとな」になったものだ。)と思ったとたん、
自分は「おとな」になれているのか疑問に思った。

カミさんと二人だけの生活が始まって、しばらくして
定年になる頃になって、さまざまな年代の方から
色んな相談を持ちかけられるようになった。
自分より年配の方に尋ねればよいのにと思ったが、
自分より先輩はすでに定年になっていて、
相談されても「世捨て人」然としていて、相談に乗らないらしい。
この時、(やっとボクも「おとな」になった)実感が湧いた。
「おとな」には、60歳間近かになってやっとなれる。
そう感じた。

人生も80年時代になって、「おとな」として生きるのは、
60歳以降であると思われる。
この頃になって、やっと酸いも甘いも噛み分けられる
年齢になるようだ。

そんなことを考え、思い当たるのが、60歳以降10年も
経過した年頃になってからである。
だから、「おとな」と自覚して生きるのは、
たかだか残り10年程度であるが、それも命の長さを考えれば、
たいして長い時間ではない。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ほんものにしよう!

2005年01月05日 18時07分00秒 | つれづれなるままに考えること

人生は幸運。

     その幸運をほんものにしなさい!

      <マザー・テレサ>
  




     
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そうしよう!

2005年01月04日 09時52分00秒 | つれづれなるままに考えること


絶対に諦めないってことです!!

   サッカー選手<高原直秦>





コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さようでございますか?

2005年01月03日 10時03分00秒 | つれづれなるままに考えること

(丁度良い)
お前はお前でちょうどよい
顔も体も名前も性も、
お前はそれは丁度よい。

貧も食も親も子も
息子の嫁もその孫も、
それはお前に丁度よい。

幸も不幸も喜びも、
悲しみさえも丁度よい。
歩いたお前の人生は悪くもなければ良くもない。
お前にとって丁度よい。

地獄へいこうと極楽へいこうと
いったところが丁度よい。
うぬぼれる要もなく卑下する要もなく
上もなければ下もない。
死ぬ日月さえも丁度よい。

お前はそれは 丁度よい

   <良寛>



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Potora!  NTTグループ運営!