楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

就活―終活

2016年09月03日 05時32分42秒 | つれづれなるままに考えること
連日の暑さに負けてはいられない。

今日の予報では最高気温31℃、陽が照り付ける午後14時頃、
ボクは病気予防のための散歩は欠かせないので歩くが、
その散歩途中、ボクは汗でシャツが絞れるくらいなのに、
ある会社の前で、就活の女性に出会った。

濃紺のスーツにタイトスカートで、
足元を見るとソックスをきちんと履いている。

レディの身だしなみだ。

この暑いのにご苦労様なことだと、そう思った。

ボクはこの姿を見て、自分が若かった頃のことを思い出した。
高校を頑張って、良い成績で卒業したからと、
国立大の法学部、競争率6.5倍の受験に見事失敗した。

なぜ法学部? 実は父が警察官だったからだ。
当初、理系の受験を目指していたが、
色弱と言うことが解って、理系はすべて資格がないことを知った。
正確には、第二色覚者で赤色が見難いのだ。
色弱の話は、いずれまた記すことにする。

そこで、まだ募集していた私立の大学が、
優れていると言うので受験して幸い合格した。

そして一年が終わった時に大学からお手紙が来て、
三年生の編入試験を受けてください、
合格したら三年に進級して下さいと言う内容だった。

大学の1,2年生は教養課程で、
各高校から来た種々雑多な生徒の知能レベルを、
同レベルに引き上げる課程なのだ。

編入試験の結果、三年の専門課程に進学した。
そして卒業の時、冒頭に書いた就活があった。

就職難の時で、
特に学卒は給料を多く出す必要が有ったので、
採用を見送る会社が多かった。
競争率44倍の試験に見事落ちたが、
この会社から紹介を受けて就職に有りついた。

初任給は安かったが、ボーナスが非常によく、
月給の年収ほどのボーナスが夏冬にでた。

その内、年ごろになり、縁談が沢山あった。
上司から、取締人事部長から、他部課の課長さんから、
下宿先のおばあちゃんから、知り合いのタクシー会社の社長さんから、
東京都心の大地主から、などなど、全部お金付きの話であった。

ボクの父親が養子縁組で結婚しているから、
お金につられて結婚なんて、まっぴらであった。
「男子志を立て郷関を出ず」で、
自分の人生は自分で切り開くと決めていたので、これらの話はすべて断った。

それでも、母親から言われていた、
「縁談が降るように来た時が覚悟の決め時だよ」と、
言われていたので、それから結婚相手を探した。

そして今がある。

書き始めから読んで行くと、
ボクの人生は、選択の人生だったように思う。

理系か文系かで文系になり、
国立から私立へ、
メーカーから―商社へ、
商社で、嫁さんを八つの縁談を蹴って、
別の選択をする。

その選択の都度、一所懸命に対応し、今を生きて来た。
どのようにしても、それ以上のことはできないことが解っていて、
現在を十分満足している。

定年後やりたいことは、二十近くあった。
そのうち、どれも全う出来ていない。
海外旅行は目標の105か国(国連加盟の半分)は、
60か国でカミさんが乗り物酔いになって挫折。
70歳代には日本国内の各県を訪ねるは、
四国と南九州がまだ残っており、
80代には東京の各区の名所旧跡を訪ねるは、
どこまで出来るやら、最近では足腰に自信が無くなって来ている。

如何ともし難い、

で終わってしまうのだろうか。

今日見た就活のお嬢さんを見ていて、
貴女にも、いつの間にか終活が忍び寄って来るのですよ、
そのように言ってあげるのは、

余りにも夢がなさすぎ、酷であろうか・・・・。


もう八月は終わった。

やがてクリスマスがやって来て、正月がやってくると、

いや応なく、歳を取る。

そうこうしてまた一年が過ぎる・・・・。

そして一生も・・・・










コメント (8)
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