楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

忘却(人、その生と死と 11)

2006年11月06日 08時32分00秒 | つれづれなるままに考えること
(忘 却)
冒頭の一文が印象的で、記憶に残る作品は沢山あるが、菊田和夫作
「君の名は」の「忘却とは忘れ去ることなり。」も(忘却)の言葉とは裏腹に、
その時代の人たちの記憶に残った言葉として有名である。
今で言えば「冬のソナタ」ほどの人気があったドラマであった。

歳を経て記憶に残っているものといえば、大体若い頃(25歳ころまでに)覚えたものが多い。
たとえば、中学の英語の時間に、キリスト教の「主の祈り」を暗記させられたが、
これはいまだに記憶に残っている。時々映画の中の葬儀のシーンに出てくると懐かしくなる。
「Our Father who art in heaven・・・.」というやつだ。
葬式や法事があって、仏式でも神道でも関係なく、ボクは焼香をするとき
必ずこの主の祈りを口ずさむ。
キリスト教徒でもないのに・・・

次が平家物語の「祇園精舎の鐘の声・・・」
鴨暢明の方丈記「行く川の流れは絶えずして・・・」
兼好法師の徒然草「つれづれなるままに、日ぐらしすずりに向かいて・・・」
パール・バックの「大地」、英文では{Good Earth}、これを大学一年の夏休みに、
初めて原書に手をつけて読んだので、すこぶる印象に残っている。
もっとも物語の出だしとして、すこぶる印象的であることも手伝っている。

ところが、歳を経て覚えたことは、ほとんど記憶に残らない。どんどん忘れていく。
一つには覚えることが多く全部を覚えているわけに行かないからであろう。
また、感動の度合いが薄くなっていることも手伝っている。
そして一番大きいのが、脳の柔軟性に欠けることから来る記憶の喪失である。
若いうちは忘れ去ったつもりでも、必要なときには、しまいこんだ脳の奥底から、
瞬時に引っ張り出すことが出来たが今はもう出来ない。
今は出来ないどころか、二日もたってから思い出す始末である。

最近、特に記憶力の低下を感ずる。たとえば、
自動車を運転していて、信号のある交差点を通過したことにしよう。
「さて、今の交差点は、青で通過しただろうか?」と疑問を持つ。
覚えていないのだ。
また、ある時、雨の日に、立派な入り口を持つ会社を訪ねる。
あまり入り口が綺麗になっているので、汚してはならないと、
傘を入り口の外に立てかける。(帰りに忘れはならないぞ!)と
言い聞かせて用事を済ます。

帰りには、忘れてならない傘を間違いなく手に持ち、傘を差して帰る。
4~50歩も進んだところで、(しまった傘を忘れてきた)と数歩引き返して、
(な~んだ傘は今手に持っているではないか)と気づく。
(帰りに忘れはならないぞ!)と言い聞かせたことが、頭の中に残りすぎている結果だと思う。
少し前までは、手に傘を持っていることにすぐ気づいたが、今は数歩引き返してから気づく。
笑い事ではない四コマ漫画になりそうな事実である。

さらに、先日暑い中を散歩して、ひどく汗をかいた。家に戻って汗の顔を洗おうと、
洗面所で手のひらの水をためて、さっと顔にかけた。
水がガラス面に掛かったように感じて、
「しまったメガネを掛けたままだった」と気が付いた。

ついこの間までこんなことはなかった。
最近の自分の変化は、糖尿病の悪化でインシュリンを投与していることぐらい。
その結果ブドウ糖が極端に減少して、低血糖症状が頻繁に起きる。

脳が活発なのは、脳にブドウ糖が十分供給されている時というから、
ブドウ糖が不足する時が頻繁に起こって、脳細胞が活発に働かない時が
増えているからなのだろうか?
ブドウ糖が極端に減ったり増えたりすることが
記憶力を鈍らせているのだろうか?
はたまた、年齢のせいで痴呆症になっているのだろうか?

それとも、今までのしがらみを全て忘却するのも、また楽しい人生といえようか?
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授業参観:道徳 3(学校教育 6)

2006年11月01日 08時18分00秒 | つれづれなるままに考えること
(道徳3)
教育委員会では、中学3年の間に次のことを身に付けさせたいようだ。
・規則正しい生活習慣・強い意志・自主性・自律性、
主義主張・友情、そのほかに、自然を愛するこころ、
生命の尊重・他人に迷惑をかけない などなど。
掲げた項目は立派なもの。

この時期、人は最も多感で人生の間で影響を受けやすい時期である。
体は大人になっていくが、心はまだ子供で、それでも生命の誕生や
死亡、人生、結婚、出産についてよくよく考える時期に当たる。
親友と称する、心の奥底までさらけ出すことが出来る友達が、
出来る時期でもある。

「少年よ、大志を抱け!(Boys、 be ambitious!)」で有名な
クラーク博士が、札幌農学校を立ち上げるに及んで、
先生達が校則をあれこれ決めているときに、校則は

「紳士たれ!(Be Gentleman!)」にすると鶴の一声で決まったというエピソードがある。

紳士淑女の要件というと
1.挨拶
2.微笑 
3.拍手の励行
4.他人の迷惑となる行為の厳禁
5.上品な服装
6.広い教養
以上六項目に加え、
Study to be quiet.が入る。

Study to be quiet とは、
以上の六項目を励行するよう心掛ける、
馬鹿の高笑いで代表される、雑音を立てないよう心掛ける、
どんな事態に遭遇しても、物静かで、
こころ穏やかであるよう心掛ける・・・
を意味する。まだ有るかもしれない。

Be Gentleman にしろ Study to be quiet にしても、
一言で言っているが、中身は奥深い。

なにしろ、Gentleman は Sir と呼ばれるだけの値打ちある人をさす。
これまた中学時代に学んだ、アーサー王物語、
「King Richard、The Lion Hearted」に出てくる円卓の騎士達が、
Sirの称号を持つ。
こんなSirのイメージを持った僕がBritish Air Waysに搭乗して、
キャビン・アテンダント(室内乗務員=スチュワーデス)に
「Excuse me sir」なんていわれるとドキッとする。姿勢を正して、
「Yes ma'am」と答えてしまう。

ボクが知っている限りSirの称号を持っている人では、
チャールズ・チャップリン、
最近話題になったのが007シリーズの俳優・ショーン・コネリー 、
他には・ミック・ジャガー、・エルトン・ジョン、アンソニー・ホプキンス、
・ポール・マッカートニー etc.
こんな人たちを見れば、校則として「Gentlemanたれ!」としたクラーク博士は、
一言で道徳教育を行ったようなものである。

これを真似たわけではないが、孫娘が遊びに来た時のことである。
食事中に、口の中に食べ物が一杯あるうちに、おしゃべりを始めた。
「お口の中を一杯にして、おしゃべりをするのは、お行儀が悪い。
それではレディになれないよ!」といったことがある。
「レディって、な~に」と訊いたので、
「もう少し大きくなると解るよ」と話した。小1のときの出来事。

つい最近、今は小6になったこの彼女に会ったら、当たり前であるが、
きちんと挨拶をした。すかさず、

「おっ!レディになったね!」といったら照れていたので、賢い孫娘は
レディの意味がわかったに違いない。

ますます磨きをかけて、広い教養を身に付け謙虚に振舞いながらも
気品ある、すてきなレディになって欲しいと、
自称ダンディなジイちゃんが孫娘に期待をかけている。



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