楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

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2004年04月21日 09時59分00秒 | つれづれなるままに考えること
(お別れ)
写真の先生であった友人が、下痢が止まらないので、
掛かり付けの病院へ行った。3月のことだ。
しばらく元気な様子の電話で、ボクの撮った写真の
辛口の批評などしていたので、問題ないと
高をくくっていた。

17、18日とボクの留守の間に、電話があったが、
何時もなら留守電に伝言を残すのに、今回は無言のままであった。
19日ボクが散歩に出かけている間に、又電話があったのを、
カミさんが受けた。

友人の奥様からで「主人がボクと話をしたいといっています」と、
言ってきた。それも出先からだという。
帰宅時間を伝えてあるというので、
いつもより予定を早く切り上げて帰宅した。
友人が自宅からでなく、出先からというので、
こちらから電話することもならず、手持ち無沙汰で電話を待った。

架かってきた電話の向こうには、奥様がいて
「主人がお話したいことがあるので・・・」と電話を代わった。
友人は電話口で
「まだ退院できないでいる。体力が無くて手術が出来ない。
薬も使うことが出来ないでいる。??????
その時はよろしく頼む。」という。

「?」の部分は何を言ったか分からない。
それっきり電話口で音は聞こえるが何も話さない。
こちらから、しばらく「もしもし」と呼び続けたが
返事は無かった。

やおらして、奥様が電話口に代わって出てきた。

「最後に何を話したのか分からなかったのですが、
容態は良くないのですか?」と尋ねると、
「三月に入院して、すい臓にガンがあり、臓器のあっちこっちに
転移して、三ヶ月の寿命だと、医者に告知されており、
本人も知っているのですよ。
私は怒ったのです。そこまでなるには、体に自覚症状があったはずなのに、どうしてこんなになるまで黙っていたのですか?と。」

返す言葉が無かった。奥様の言葉にではない。

友人の先ほどの電話は、
ボクにそれとなく(お別れ)を言いたかったに違いない。

電話で奥様に「大事にしてください」とのみ答えて電話を切った。

(お別れ)なら、電話ではあまりにも味気ない。
顔をあわせて目を見ながらしたいものである。

最後にお会いしたのは、昨年の6月、有楽町のギャラリーで、
友人が写真の発表会をした時で、もう一年になる。
翌日、さっそく友人を訪ねることを決めた。

もう間に合わないかもしれない。何もお話しすることも無い。
でも、逢っておきたい人である。

そして西行が詠んだ歌はどんな意味があるかぐらいは、
話してみたい。

ねがわくば 花の下にて はる死なん
          そのきさらぎの もち月のころ

お釈迦様が亡くなられた同じ日に、私も死にたいと
望んだ西行の心。

また、吉田松陰の辞世の歌、

身はたとい 武蔵の野辺に 朽ちぬとも
           留めおかまし 大和魂
  
近代日本の夜明けに、沢山の優れた人たちを世に送りだした
松蔭の心は、時の流れに逆らったように見えたが、
実は次の新しい夜明けに必要な人であった。

そして友人が、戦後日本の荒波の中で、
50年に渡り苦境に耐え、
世界第二の経済大国―日本に残した足跡は、
計り知れない功績があり、
後世に十分役立っていることを伝えたい。

そして人生は、生まれた時から必ずたどり着く
死への旅である。悲しいことも苦しいことも無い。
きっと、今は芭蕉の句が頭に浮かぶことだろう。

旅に病んで 夢は枯野を かけめぐり

そしてゆっくり休んで過ぎし日を夢見て、
思い起こして欲しい。
あなたの人生は、自分では、何もなく空しく見えるが、
あなたの功績は偉大なものだったことが、
子供たちの心に残るに違いない。

お会いして、思ったより顔色のよい友人の顔を見て
これでボクも満足できる。

いずれまた、虹のかかる雲のかなたでお会いしできれば
これに優る幸いはない。





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―274 (4/1) 

2004年04月01日 08時41分00秒 | つれづれなるままに考えること
(四月馬鹿でなく)

血液ガンの治療の際、治療しても
「三年間生存率 30%」と
告知された。

本日(4・1)で残り274日になった。

本格的にゴルフをやろうと思い立って、
定年後ゴルフスクールに通った。

そのときお友達になったK氏が、
ボクがガンの告知を受ける半年前に、
同じ血液ガンで入院治療された。
同じT大学病院でのことであった。

K氏が退院した後を追うようにして、ボクが入院した。
ボクが治療中に何度かお見舞いにお出でになった。

そのK氏より、昨日電話があってガンが再発したという。
今月、入院治療することになった。

ボクにとっては、大変なショックである。
なぜなら、K氏の再発は、治療後ちょうど
三年後の出来事であるからだ。

ボクに告知された「三年生存率 30%」が正しければ、
半年後に今度はボクに番が回ってくる恐れがある。
ということになれば、残る時間が少なく、
やり残していることが多い。
そこで、このOcn Cafeに使う時間、

一時間を節約したい。

Ocn Cafeでは、沢山の方から激励、慰めを戴いた。
中でも、沢山の生きる悦び、勇気を戴いたこと、
本当にうれしく思っています。

Ocn Cafe内を散歩して、沢山の方のDiary、
Essayを読ませていただきました。
同じような境遇にある方、同じような体験をされた方々の
いろんな考え方に接し、大変有意義でした。

そんな毎日の中で、
最近、Ocn Cafeに載せるボクの文章を、
振り返ると、ずいぶん雑になっているのを感じます。

Ocn Cafeの6万人に及ぶ会員の中には、
優れた文章を載せておられる方がいらっしゃる。
自分の文章と比較すると、自分の書いたものが、
公表するに耐えないほど、稚拙で、幼稚であることがわかり、
恥ずかしくなってきました。

ボクは絵や工芸品を鑑賞するのが好きであるが、
本物に出会うと、その美術品に没頭し、時間が過ぎるのを
忘れてしまう。

それと同じように、良い文章に出会うと、
食い入るように読み、時間の過ぎるのを忘れる。
自分で文章を書くときもそうであるが、
良い文章を書いているときは、自分を忘れ、
時間の経過を忘れている。

最近、文章を書くに当たって、
自分を忘れ、時間を忘れていることが無くなってきた。

そして過ぎ行く時間が無駄なように思えてきた。
つまり、書いている文章がいい加減だということであるし、
過ぎ行く時間が惜しい。

K氏のガン再発、入院のニュースを聞いて、
次はわが身と思うと、残り274日を、
このままの生活では、Ocn Cafeの
Profileに載せたように、
「密度の濃い充実した毎日を送りたい」には、
あまりにもかけ離れていて情けない。

それで突然ですが、この際、Ocn Cafeを一時中断し、
しばらく充電してから、再開したいと思います。

素晴らしい残り人生を送るため、
もっと充実した毎日にしたいと思う。
そして惰性ではなく、心に漲る、知らせたいものが出来たら、
文章にしてOcn Cafeに戻って来たいと思います。

今まで激励くださった皆様には、
大変ありがたく、御厚情に感謝し、
厚く御礼申し上げます。

そして、皆様がいつまでもお元気で、お幸せでありますよう
心からお祈りいたしております。
それでは、再会できる日まで、どうぞお元気で!!

さようなら!(さようならば ごめん!の略)

Good-Bye! (God be with you!の略)



(青春)
青春とは、肉体の老いることとは関係なく、
気持ちの上で若い人のことを青春という。

若い人でも、気持ちが後ろ向きになっている人は
青春といわない。

肉体が老いていても、将来に夢や希望を持ち、
その夢や希望を叶えようとする情熱を持っている人を、
青春というのだと思います。

情熱を持ち続ければ夢は叶う。

何時までも夢を追い続ける、いつまでもそんな人間でありたい。

そんな意味の「青春」の詩を残したサムエル・ウルマンを
思い起こして...







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