楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

春が・・・

2014年02月21日 09時13分43秒 | 日記

(福寿草)



・首すくめ そっと顔出す 福寿草

(こぶし)



・まだまだと はるまち顔の こぶしかな 




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九品寺(旧日光・奥州道中ひとり歩る記 26)

2014年02月17日 09時03分40秒 | ひとり歩き旅
(杉戸町の案内)

(杉戸宿へ)
日光街道に戻って進むと、杉戸町に入る。大きな杉戸町の看板が目に入る。
その後に球形のモニュメントが置いてある。
何を意味するのだろうか?

後で調べて判った事であるが、
北緯36度線上に杉戸町があるということでのモニュメントである。
丸いのは地球儀であり、その北緯36度線上に杉戸町が描かれている。
北緯36度線上の杉戸町の旧日光道中をこれから歩くことになる。
(杉戸町の地球儀)

(ガソリンスタンドの先左へ)

日光街道を進むと、三つのガソリンスタンドをやり過ごして、
その先に国道より左へ分かれる道がある。
これが旧日光街道である。

左へ分かれる道を進むとすぐ左手に九品寺(くほんじ)が見える。
満聚山九品寺という。
ここには本堂のほかに地蔵堂があって、
その横に、往時は街道沿いにあったと思われる道標を兼ねた庚申塔がある。
正面に「青面金剛」、左側面に「左 日光」、右側面に「右 江戸」とある。
どうやら道路の向かい側にあったものを、移動したものらしい。
この九品寺の向かいには、立場を営んでいた高野家があるという。
立場とは、街道際に設けられた休憩所で、茶屋や売店が設けられていた。
道路の向かい側には広い庭があって、その向うに、
それらしき古い家屋が建っているが、これが高野家であろうか。
(満聚山九品寺)

(満聚山九品寺の石柱)

(九品寺の地蔵堂)

(道標を兼ねた庚申塔青面金剛(しょうめんこんごう)と右江戸)

(左日光)

(立場の様に見える向かいの家)

(街道に面してある地蔵堂)

(地蔵堂のある旧家)


杉戸町は旧家が多く門前に地蔵堂(?)を置く旧家が見られる。
少し進むと右手に馬頭院の大きな看板が目に付く。
真言宗智山派の旦照山馬頭院観音寺である。

杉戸町教育委員会によれば、
(馬頭観音寺の本尊は、伝教大師の作と伝えられる。
脇仏には延命地蔵尊及び不動明王がある。
―中略。
また境内には文永七年(1398)の青石塔婆がある。)とある。

その青石塔婆は、山門先の本堂右前に置かれているが、
本来は当山住職墓地に建てられていたもので、
緑泥片岩に阿弥陀如来の梵字と文永七年の記年銘がある。
(現在高さは106センチあるが、関東大震災で倒壊し、
頭部及び種子部が40センチ欠けているが、杉戸町最古のもだそうだ。
墓地改修の折、基礎部を30センチほど失い、
現在地に台石をつけて立て直された。
偈(げ)に
「一見梵字相 當得天眼通 一時持念者 即身成仏道」とあり、
十三世紀の念仏信仰を知る上で貴重である。)(杉戸町教育委員会)とある。

門前にあるベンチの板を抱えているは、リス(?)でとても可愛かった。
(馬頭院の看板)

(旦照山馬頭院観音寺)

(本堂)

(文永七年の記年銘がある板碑)

(板碑に書かれた偈)

(門前のベンチを捧げるリス)


その先右手に杉戸警察署が見えるところを、
斜め左に入るのが旧日光街道で江戸時代の杉戸宿の中心部へ入っていく。
途中、杉戸町役場があり、青地二丁目の信号を超えると、
「杉戸宿」という銘柄のお酒を造っているの関口酒造の伝統的な建物があり、
その先に近津神社がの石鳥居が見える。
この神社は火災で焼失という情報であったが、
本殿は新築されていた。
この町の鎮守様のようであった。
(Y字路を左折、右手に杉戸警察署)

(杉戸警察署)

(杉戸町役場)

(銘酒「杉戸宿」の関口酒造所)

(近津神社の鳥居)

(神殿)


さらに先へ行くと東武動物公園駅へ入る、
(本陣跡地前)の信号に出る。
その信号の右角に「明治天皇御小休所跡」の碑が建っている。
多分ここが杉戸本陣跡に違いないが、今は銀行がお店を出している。

時間も午後15:30を過ぎているので、
ここを左折し東武動物公園駅に向い帰宅した。
(「明治天皇御小休所跡」の碑がある銀行)

(東武動物公園駅へ入る本陣跡前の信号)
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小淵山観音院(旧日光・奥州道中ひとり歩る記 25)

2014年02月13日 09時11分48秒 | ひとり歩き旅

(小渕山観音院の楼門)

(春日部宿 3)
国道四号線に合流してしばらく進むと、
左側に年代ものの古い木造の、
いかにも古色蒼然とした山門が見える。
小渕山観音院と言う。

古びた門の左右には、阿吽(あうん)の仁王像がこれまた古いものらしく、
今にも崩れ落ちそうな木造であるが、
仁王様らしく鋭い目つきは、きっと名のある彫刻家が刻んだものであろう。
通り過ぎようとする参拝客を睨みつけている。
(左側の吽形の仁王像)

(右側の阿形の仁王像)


楼門は、先の3・11の東北大震災の影響で、
今にも崩れそうなため危険で、周りを縄で囲み、
「仁王門の中を通り抜けないでください」と注意書きがあった。
門の横を恐る恐る通り抜けて本堂に向うと、
「仁王門改修のお知らせ」があって、
(この仁王門は、元禄二年(1689)建立で,三間一戸楼門形式と言い、
向って右側に「阿形(あぎょう)」左に「吽形(うんぎょう)」の金剛力士像が安置されており、
春日部市唯一の仁王門として文化財に指定されています。
2014年1月から改修工事を実施します。
歴史ある文化財の復興事業故に当院のみで行える規模ではありません。
被災文化財の救援と修理・保存に向けて、
多くの方々からご厚志を賜りたく存じます。)とあった。
つまり災害復興事業の寄付金・義捐金のお願いであったが、
確かに、早く復興するように願って賽銭をいつもより多く収めてきた。

今この道を通って、いずれ震災の福島、仙台、石巻を通過するであろうに、
これから被害でまだ復興がままならない場所を目にすることであろう。
(本堂)


小淵山観音院については、埼玉県、春日部市の両著で案内があるので、
紹介しておきたい。
(小淵山観音院は、新編武蔵風土記稿の小渕村、観音院の項に
「本山派修験、京都聖護院末、安永二年(1773)正年行事職を許される。
小渕山正賢寺と号す。本尊正観音、応安二年(1369)住持玄通が書きし
縁起有に拠れば、古き像なるべし。
中興開山は尊慶と言い、年代を知らず。」と記されている由緒ある古刹である。

この寺は、この地方の観音信仰の霊場としても有名で、
家内安全、商売繁盛のほか、いぼ、こぶ、あざにご利益があると言われる。
毎年八月十日には、この日参拝すると四万六千日分のご利益が授けられる
と言われる四万六千日祭りがあり、県内の山伏が参集して護摩修行を行い、
近隣の善男善女が枝豆を奉納し参集する祭礼がある。
また三月には、かって馬寄席祭りがあり、
農耕に従事した牛馬がいろいろな飾りをつけて安全を祈願する祭りがあった。
本堂内には、木造の白馬が安置されている。
本尊「正観音像」には、その昔、洪水でこの地に流れ着き、
一度は元の寺に返したが、その後洪水で再びこの寺に漂着したので、
お堂を建てて安置したものと言われる伝説がある。
本堂の格天井には、花鳥の彩色が施され、
格縁ごとに大勢の粕壁宿の商店主の名前が記されており、
外壁には、多数の絵馬のほか、
八丁目の和算士 原伝三郎が奉納した算額が掲げられている。
また寺には「毛もいへば 唇さむし 秋の風」と詠まれた芭蕉の句碑、
市内随一の楼門(仁王門)七体の円空仏がある。)とある。
(木造の白馬の像)

(残念ながら格天井は暗くて写っていない。正観世音の提灯)

(芭蕉句碑)


・ ものいえへば 唇さむし 秋の風 はせお
と刻まれているのが、やっと読める句碑であった。
なお、外壁の掲げられていると言う算額は、
風雨にさらされ文字や描かれた画は消えて板の木目のみになったいたので、
天井のみを写真に収めた。
(本道の天井部分)
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粕壁宿(旧日光・奥州道中ひとり歩る記 24)

2014年02月09日 09時00分53秒 | ひとり歩き旅
(春日部駅前の像)

(春日部宿2)
春日部駅を降りると、駅前はロータリーになっていて、
素敵な彫像が出迎えてくれる。

ロータリーの先へ進むと最初の信号右角に
「ぶらっとかすかべ」と名づけた観光案内所があり、
ここで街案内、日光道中案内を戴く。

信号を渡るとここにも彫像がある。
春日部市の説明では、
「自然の中で詩想を練り歩く若き詩人の姿」と言う。
(詩人の彫像)


日光街道は、次の信号を左折するのであるが、
直進して信号を渡ると、粕壁宿の案内板が目に付く。
この案内板がある場所が、粕壁宿の問屋場があった跡といわれる。
さらに直進すると、左手にしゃれた公衆便所がある。
白壁に「粕壁宿」とあり、浮世絵でこの先にある古利根川が描かれている。

直ぐ目の前に橋があり、大落古利根川をまたいでいる。
橋の横に光る銀色の鉄柱が伸びており、四つに交差した姿は、
巨大な四手網が川にセットされているように見える。
市の説明によると麦藁帽子をイメージしたアーチで、
光と風をテーマにした橋上公園であることが判った。
(浮世絵のある公衆トイレ)

(粕壁宿の案内板)

(古利根川橋と銀色のアーチ)


しかし、ここは日光街道から外れているので、
元の信号まで戻る。
信号を渡って右折すると(春日部駅からくれば左折すると)、
左手に古びた御堂がひっそり建っている。
山中千手観音堂である。

(山中千手観音堂は、江戸時代の俳諧師増田眠牛に由来します。
当時、眠牛は千手観音を背負ってこの地方を行脚していました。
そして、粕壁宿の米問屋伊勢平の家に止宿するようになり、
伊勢平が好意で建てた観音堂で生活し、
眠牛はこの地で一生を終えました。
眠牛を慕う人びとは、
観音堂に墓標を建て千手観音を祀って信仰しました。)とある。
観音堂の脇に眠牛のお墓がある。
(山中千手観音堂)

(増田民牛のお墓)

(米や伊勢平の浮世絵)

(呉服「なべや」のショウウインドウにあった古い写真)


日光道中を先に進むと、伊勢平があり、呉服の「なべや」がある。
また右手には、宿場町を思わせる土蔵や旧家が目に付く。
次の信号に十字架の案内板があり、
直進 北春日部、左 さいたま、右 幸手を表示している。
この標識を右折すると古利根川にかかる新町橋がある。
橋を渡って最初の信号を左折すると、
八坂香取稲荷合社と隣に真言宗智山派 神林山仲蔵院が見えます。
八坂香取稲荷合社の「合社」は、普通「神社」というのに、
どうしてかと思ったら、八坂神社、香取神社、
稲荷神社を合祀しているので、「合社」と言うらしい。
お寺の神林山仲蔵院は、
古いお寺らしく見上げるような大木が見事であった。
(十字架の案内)

(信号脇の旧家)

(宿場町を思わせる旧家)

(宿場町を思わせる旧家2)

(新町橋)

(橋を渡って最初の信号を左折)

(八坂香取稲荷合社)

(神林山仲蔵院)


少し進むと、右折道路があり、右かどに二体の石塔がある。
一つに、「史跡 小渕の一里塚跡」と書いてある。
もう一つには、庚申塔と刻まれているようだ。
一里塚らしきものは何も残っていない。
(小渕の一里塚跡の碑)

(庚申塔)


さらに進むと道路は二股になっており、
右手は旧家の白壁の塀が続き、
中央には、また二体の石塔が建っている。
左手の旧日光道中に面しているお店には、
春日部市が店舗のシャッターに描いた浮世絵、
「桐箪笥製造」の図が描かれている。
中央の二体の石碑、大きい方の前面には「青面金剛」、
左面には「北 日光道」と読める。
一方、小さい自然石の道しるべは、
宝永六年(1709)銘の春日部市最古のものという。
表面が欠けているが、右へは関宿道、左奥州道であったという。
(二股道路)

(右手の白壁の旧家)

(中央の二体の石碑)

(左手の粕壁宿の桐箪笥製造の浮世絵)

(左日光道と見える石碑)


道標にしたがって、左へ進むと国道四号線に合流する。
ここが日光街道(小渕)の信号である。
(国道四号線)

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春は もう其処に!

2014年02月05日 09時00分11秒 | 日記
(ネコヤナギ)


・ねこ柳 背中丸めて 春を待つ




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