楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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月山の八合目ー弥陀ヶ原湿原(芭蕉の道を歩く 70)

2024年05月10日 04時57分33秒 | ひとり歩き旅
以下は
2012年に旅した記録です。

(車窓から見た月山ー遠くの奥に見える右側の山)



(月山の弥陀ヶ原湿原)
芭蕉は、出羽三山では、羽黒山から月山・湯殿山と参詣して、
湯殿山ー月山ー羽黒山と戻り、
鶴岡に行っている。

昨日羽黒山へ行ったから、
芭蕉と同じように、月山に向う。
月山に向うといっても、
羽黒山の階段ですら昇れない年寄りのボクは、
標高1984mある月山には、八合目までバスにお願いする。
八合目まで行ったとしても、
そこから頂上まで行ってかえるには、
健脚の方で2時間半かかると言うから、
ボク達は月山の雰囲気だけ味わう意味で、
八合目にある弥陀ヶ原湿原を歩く事になっている。
2012年の旅の記録です。

(月山ー弥陀ヶ原湿原)


湿原とは言いながら、
1時間ほど前までガスが掛かって、
一メートル前も見えない状態であった場所。
幸運と言うのか、風がガスを払いのけて見晴らしが良くなっている。
少なくとも湿原だけは見ることが出来る。
それでも標高1400mあるというから、山はあなどれない。
時には月山の全貌も少しは見えるかなといった期待はあった。

(ガスに囲まれる弥陀ヶ原湿原、芭蕉が「雲霞山気の中に」と述べた)


(霧に包まれた月山、山裾が少し見える)


(湿原が見える程度の霧)


(雲霞の間に見える湿原)


ここで「奥の細道」から芭蕉の名文を載せておきたい。

「八日、月山にのぼる。木綿(ゆふ)しめ身に引きかけ、
宝冠に頭を包み、強力というものに導かれて、
雲霞(うんか)山気の中に、
氷雪を踏んでのぼる事八里、
更に日月行道(にちげつぎょうどう)の雲関(うんかん)に入るかとあやしまれ、
息絶え(いきたえ)身こごえて頂上に至れば、
日没して月顕(あらわ)る。
笹を鋪(しき)、篠を枕として、臥して明くるを待、
日出でて雲消(きゆ)れば、湯殿に下る。ー後略」

(注、岩波書店「奥の細道」の解説による)
(*1)木綿しめ= 紙縒り(こより)で作った袈裟のことで、
    月山、湯殿山に登る間、これを首にかけた。
(*2)宝冠=頭を覆う白布のかぶりもの。
(*3)日月行道の雲関に入る=高い所だから、
    太陽と月が雲で作った関所に入ったかの様の思われ。


八合目の月山レストハウス前に集合して、
二班に分かれてガイドに従う事になる。
レストハウスの前には山伏のような、
神々を詣でる白装束の人が何人かいた。

(白装束の先達が白い宝冠というかぶりものを付けている)



山岳ガイドは、湿原の案内が年寄りの大勢で、
がっかりしたようであるが、準備運動をさせて、

「一緒に歩いて行けないと思ったら、
 勇気を出して、どうぞリタイアしてください、
 道は木道になっていて判りやすいので、
 恥ずかしい事はありませんから、遠慮なく戻ってください。
 ただ、その場合は近くの方に判るようにしてください。
 一列で進みますので、後ろのほうは、私にも解りませんので。」という。


こんな時、足に自信のある方が、ガイドのすぐ後ろにいるものである。
ボクはこんな時、意識してなるべく後ろの方にいるようにしている。
十年に及ぶ長い旅行の経験からだ。
誰が何処で抜けたか、記憶しておくと便利であるからだ。

最近、外国の旅行では、イヤホーンガイドが多くなっているが、
旅行者は興味のあるところで、立ち止まって観ていると、
どんどん集団から離れていても、
耳にはいやホーンがあるから説明が近くに聞こえ、
集団はすぐ近くにいるように錯覚してしまうからだ。

特にカメラなど構えている人は、
アングルだとか、シャッタースピードとか、
あれこれカメラをいじっている内に、
集団から遠く離れている事があるからだ。
挙句の果てに思わぬ方向に移動してしまい、
迷子になるケースがある。

脱線してしまったが、
(霧が晴れた僅かな時間に、
月山の湿原をよく見て欲しい)ガイドの希望もあって、
少し早めに歩くが、付いていくのが厳しい人もいる。
一列になっているから列が長く伸びてしまう。
ガイドさんは声が大きく、高山植物の名前もよく聞き取れるが、
さて、どの花の名前か後ろの方では、よく判らない。

(高山植物)


(高山植物2)


(あざみ?)


やっと覚えた湿原に咲く高山植物の名前も、
そのときは覚えているのに、
家に帰ってお風呂に入ったが最後、
忘れてしまう。

湿原の中にあるさまざまな形をした池を「池塘(ちとう)」と言うらしいが、
ハートの形をしたり、ひょうたんの形をしたり、
さまざまであるが、一ついえることは、
風が吹く方向に深く入り込んでいるとのこと。
さまざまな「池塘(ちとう)」をご覧ください。

「池塘(ちとう)」


(ハートの形をした池2)


「池塘(ちとう)3」


「池塘(ちとう)4」


「池塘(ちとう)の中の花」




やがて月山頂上への登山口に出る。
登山口には鳥居があって、
手前に「東日本大震災」で被害を受けられた人の冥福を祈る卒塔婆があり、
新しい地蔵像が建っている。
その手前に、狛犬でなく、大きな兎の石造がある。
月山の月にちなんで兎かと洒落ている。


(なで兎と書いてある)


(月山頂上へ八合目の登山口)

芭蕉は月山に登り、

・雲の峯いくつ崩れて月の山

(日中峰にかかっていた入道雲が、いくつか崩れて、
今は月山に月が、かかっている。)

の俳句を残し、湯殿山に向っている。




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5 コメント

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おはようございます (ytakei4)
2024-05-10 09:42:15
集団行動で迷子になったら困りますね。
Unknown (おおかわ)
2024-05-10 12:58:23
芭蕉は、月山山頂で一泊し、翌日は湯殿山に向かいその日のうちに羽黒山まで引き返しています。同行曽良は「甚だ疲れた」とあります。芭蕉の健脚ぶりには敬服します。また、羽黒山僧坊でのもてなしは良かったのでしょう。日光では冷たくあしらわれ仏五左衛門の木賃宿に泊まっています。
ytakei4さん コメントありがとうございます (hide-san)
2024-05-10 16:52:23
そうならないように、少しはお役に立ちたいと、
後ろのほうを歩くことにしています。
おおかわさん コメントありがとうございます。 (hide-san)
2024-05-10 17:05:28
>同行曽良は「甚だ疲れた」

おおかわさんは「おくのほそ道」について、
お詳しいですね。

ボクより大先輩ですね。
Unknown (おおかわ)
2024-05-10 19:35:13
とんでもありません。
「奥の細道」は何度も読み返していますが、不明なところがたくさんあります。hide-sanのブログを拝見し、自分が見落としている部分、句の解釈など拝読させていただいております。「持賞ス」は勉強になりました。

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