芭蕉は金沢では、小杉一笑の追善句会の他に、
句会を開いていることが、
「おくのほそ細道」の文中からも分かる。
「その兄追善を催すに、
・塚も動け 我泣声は 秋の風
ある草案にいざなはれて
・秋涼し手毎にむけや瓜茄子
途中唫(ぎん)
・あかあかと日は難面(つれなくも)あきの風」
と詠んでいて、句会が何度かあったこと、
また、この三句から主題が「秋の風」であることが、
よく分かる。
願念寺を出て、門を背に右手に
「日蓮宗妙立寺」の看板が見え、
奥に沢山の絵馬が掛かっているのが見える。
金沢の案内書から推測すると、
どうやら忍者寺の裏口のようで、
絵馬が掛かっている横を構わず奥へ入っていくと、
妙立寺(忍者寺)の正面本堂前に出た。
(妙立寺の裏門)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/db/ae583d27363d096fdaf18affea5069aa.jpg)
(奥に見えた絵馬の数々)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/07/ac5353c5c924a5cfabf2e718f09720a6.jpg)
(絵馬に書かれた文字)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/78/5b3b890d9ca9c90514b54cceeacade70.jpg)
(絵馬を通り抜けた忍者寺の小屋)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/66/7a7218322d0600d859b9b51428288b0e.jpg)
(妙立寺正面)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/8f/6f0aa54c40743100e1b8d5d930f0a48e.jpg)
(妙立寺の案内)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/96/8056eb8461392ea481a6d6ab129fcc88.jpg)
本堂前にはたくさんの外国人を交えた観光客がいたが、
ボクは忍者寺には用がないので、
さっさと表通りへ出て左折する。
妙立寺から犀川大橋寄りにすすむと、
途中信号があって道路を渡ると、
すぐ左手に成学寺がある。
(成学寺門前)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/c4/d1a3b8971c53d17e052a528848304962.jpg)
左右の屋根の上に風神雷神像がある。
(左側の屋根の上 風神像)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/48/9448ecd65c9f64ff23bff3c03f91026e.jpg)
(風神)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/53/4c41af9009db34843c8a0018de28e5d5.jpg)
(雷神像)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/b4/97b25210ff4b84fd120587563fdbb459.jpg)
門をくぐると正面に立派な石碑墳がある。
(石碑群)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/3f/772baf00d3fec1736ec394f6766e48e4.jpg)
この中に芭蕉翁の句碑があるというのだが、
句碑そのものが古くて、
金沢市の説明にある句碑がどれだか解らない。
(説明板)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/4d/3dd3d6307789d0ad9f8e896bb1b9c4c7.jpg)
説明板によれば、
「宝暦五年(1755年)
芭蕉翁追悼のため俳人
堀麦水とその門人が
秋日塚(あかあかと日は難面も秋の風)
を立てた。 金沢市」
とあるが、
句碑が古くて読めず、
かろうじて、「宝暦五年」が読めるので、
下の写真の石造物がその句碑に違いないと思った。
(宝暦五年の石造)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/27/3eff58ab5ea7e97d638e13999bf5161e.jpg)
この句碑群の左手に一笑塚はあり、
どうやら一笑ゆかりのお寺であったようだ。
(一笑塚)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/f1/6dab0d6718f4f99b7703b5fd75658c93.jpg)
このあと、芭蕉は小松、山中、那谷、敦賀などへ旅をする。
しかしボクはまだ山形の最上川の川下りにさえ言って居ない。
大石田から酒田までを行きたいものだ。
・五月雨を あつめて涼し 最上川
その時芭蕉が詠んだ俳句は、
とても解りやすい。
あれほど強い夏の日差しにも、秋の気配を感じるではないか、私の好きな句です。
金沢から北枝という者が、芭蕉を慕い同行することになります。そして山中温泉で、曽良が離反します。理由は「腹を病み」静養するためとなっていますが、芭蕉に先行する行動にはどうも納得できません。クラブツーリズムのガイド講師に質問すると、北枝に遠慮したのではないかという説でした。
おおかわさんはよく勉強されています。ボクから見れば、
大先輩です。
その大先輩の質問には、さすがの講師も返事に窮したようですね。
酒田の鐙屋は「おしん」の撮影ロケ地でしたか?
山中温泉の話やら「おしん」の話やら、参考になりました。
有難うございました。