Go straight till the end!!

世界一周の旅の思い出を綴っています。
ブログタイトルは、出発前に旅日記の表紙に書いた言葉です。

(104)ソフィア⑤(ブルガリア)

2010-07-29 23:28:40 | ブルガリア・ルーマニア
 Sofia (ソフィア)は5年前に訪れた街だが、この時再度観光している。
 観光したのは下記の通り。 

セルディカの遺跡  旧共産党本部の地下道で発見された城塞都市セルディカの遺跡。

国立文化宮殿  1981年に建てられた総合文化センター、通称NDK(エンデカ)。テレビ・ラジオのスタジオや劇場といった文化施設の他にも、銀行、郵便局、レストラン、娯楽施設など様々な施設がある。ショッピングも出来る。

アレクサンドル・ネフスキー寺院  バルカン半島最大と言われる美しい寺院(ネオ・ビザンツ様式)。1878年3月3日、ロシアが露土戦争に勝利したことによって、当時オスマン帝国支配下にあったブルガリアは自治権を回復したのだが、戦死した20万人のロシア兵の慰霊の為にこの寺院が建てられた。1882年の着工から40年かかって完成したらしい。

イコン博物館  アレクサンドル・ネフスキー寺院内にある。ブルガリアではイコンの製作が盛んだったらしい。

国立美術館  オスマン帝国統治下で市庁舎として建てられ、独立後は王宮として使われてきた建物。

キリル&メソディウス国際基金ギャラリー  現存するか不明。位置的には現在の海外アート国立ギャラリーの近辺にあたる。名称を変えたのかもしれない。ここには日本の作品も紹介されていた(三理塚闘争を題材とした作品)。



 他にも街を散策している中でいろいろ観光名所に立ち寄っていたと思うのだが、旅日記に書き記していない。
 当時の記憶とその5年前の記憶がごちゃごちゃになっている。あれから長い年月が経ってしまったせいだろう。
 もしブログを書いていなかったら、一生思い出さなかったかもしれない。

 ソフィアの観光名所の印象が薄いのは、独立記念日のセレモニーのインパクトが強すぎたからだと思う。

※地図はこちら

(103)ソフィア④(ブルガリア)

2010-07-22 23:58:10 | ブルガリア・ルーマニア
 前回訪問時から5年経ったこの日、Sofia (ソフィア)の街で行われる解放記念日(3月3日)の式典を見るつもりでいた。
 5年前のセレモニーと比べてみたかったし、再び当時の感動を味わいたかった。

 当時一緒に旅をしていた大学生の青年も誘ってみた。
 卒業旅行で来ていた彼は、この後就職して社会に出ることになる。
 そんな彼に旅の種を植え付ける行為になるようで一瞬誘うのを躊躇(ちゅうちょ)したが、今後長期旅行は無理だとしても旅に出られないわけではない。

 彼はいつか今日のことを思い出し、再びバックパッカーとして長期の旅に出たくなるだろう。
 そこで踏みとどまるか、飛び出してしまうか、それは本人次第。そしてどちらの選択が better とも言えない。個人的にはどちらも正しいのだと思う。宇宙に無駄はない



 前回と同じ、解放者記念像前で待機していると、今回の式典はここでは行われないと告げられた。僅(わず)かに離れたアレクサンドル・ネフスキー寺院前で行われるらしい。



 慌てて駆け付けると、ちょうどストヤノフ( Petar Stoyanov )大統領が到着したところだった。前回見たジェレフ大統領の後任者だ。



 SPも付いていたが、自分の目の前2~3mのところに大統領がいて、TVクルーのインタビューに答えていた。
 ここで勝手に写真を撮らせてもらうことにした。大統領を目の前にするチャンスなどめったにない。

 しかし、目の前でフラッシュをたくのが躊躇(ためら)われた(夜間だったので撮影にはフラッシュが必要)。
 ストヤノフ氏にとっては慣れっこかもしれないが、断りもせずにいきなり眩(まぶ)しい光を浴びせることが失礼に思えたからだ。
 結局、フラッシュを使用せずに撮影した大統領の写真は全てピンボケだった。
 大学生の青年がフラッシュを使用していたので自分一人我慢しても意味が無かったかもしれないが仕方ない。



 余談になるが、旅先で今この瞬間にシャッターを切ればいい写真が撮れるという瞬間が何度かあった(当時写真には興味なかったのだが、そんな自分にも分かる瞬間があった)。
 しかし、相手の意向を尋ねずに写真を撮ることが失礼に思えてしまい、相手に確認してから写真を撮っていた。
 断られることもあったし、許可してもらって写真を撮ってもカメラを意識した状態での撮影になってしまい、瞬間を切り取った写真には程遠いものになってしまうのだった。



 そんなこんなで国歌の演奏やパレードが終わりに近づいた瞬間、5年前と変わらぬ光景が繰り広げられた。

 上空には花火が上がり、ラディソン・サス・ホテルの最上階では機関銃の空砲掃射の閃光が見えた。ダダダダダダダダ・・・・という機関銃の音も聞こえてくる。

 再び解放者記念像前まで駆け戻ったが、掃射は終わってしまった。

 この場で式典を見ていた国民が感慨に浸っている。5年前と同じだ。

 

 再度この式典を見れて良かったと思う。
 現在でもこのイベントは続いていると思うが、国民の捉え方はどうなっているのだろう。

※地図はこちら

(102)ソフィア③(ブルガリア)

2010-07-15 23:13:03 | ブルガリア・ルーマニア
 当時の5年前に Sofia (ソフィア)を旅した時のこと。

 携行していたガイドブックには3月3日が独立記念日と書いてあったので、その日が民主化した記念日だと勘違いしていた(今のガイドブックには解放記念日と書いてある)。

 1878年3月3日、ロシア露土戦争に勝利したことによって、当時オスマン帝国支配下にあったブルガリア自治権を回復した。
 現在、ブルガリアでは3月3日を解放記念日として祝日にしている。



 5年前の3月3日、その日が独立記念日(解放記念日)であるということ以外何の情報もなかったのだが、夜に解放者記念像前で式典が行われると聞いて行ってみたのだった。

 国会議事堂の隣りに建つ解放者記念像は、ブルガリアを解放したロシア皇帝アレクサンドル2世(1818年~1881年)の騎馬像(高さ約14m)で、その周囲を人々が囲んでいた。

 式典開始を告げる軍隊の演奏パレードが始まると、人々が片膝をついて腰を落とした(自分も一緒に片膝をついた)。
 国歌が演奏され、美しいブルガリアン・ヴォイスの女性達が歌っている。

 その後、ブルガリアのジェレフ大統領が現れ、目の前で演説を始めると、場の空気が高揚した。
 すると、背後のホテル(おそらくラディソン・サス・ホテル)の最上階のテラスに並んでいた兵士達が機関銃を空に向け、一斉に空砲を撃ち始めた。時を同じくして花火も上がった。

 銃と花火の音が広場に鳴り響いている間、人々と共に空を見上げながら、民主化した喜びを共有出来たと勘違いして感動していたのだった。



 この光景とマラムレシュの人々に出会っていなかったら、そして中村さん(仮名)の偶然の出会いはないという言葉を聞いていなかったら、今とは違った人生を歩んでいたかもしれない。少なくとも旅にのめり込むことはなかったような気がする。

 この時の思い出があったからこそ再びこの地を再訪したのだ。

※地図はこちら

【目次】(その3)

2010-07-09 00:01:11 | 【目次】
 【2020年12月29日更新】

 (101)ソフィア②(ブルガリア)
 (102)ソフィア③(ブルガリア)
 (103)ソフィア④(ブルガリア)
 (104)ソフィア⑤(ブルガリア)
 (105)リラの僧院(ブルガリア)
 (106)バチコヴォ僧院(ブルガリア)
 (107)プロヴディフ(前編)(ブルガリア)
 (108)プロヴディフ(後編)(ブルガリア)
 (109)イスタンブール②(トルコ)
 (110)イスタンブール③(トルコ)
 (111)イスタンブール④(トルコ)
 (112)アンカラ(トルコ)
 (113)ギョレメ(トルコ)
 (114)アンタクヤ(トルコ)
 (115)アレッポ(シリア)
 (116)ハマ(シリア)
 (117)パルミラ①(シリア)
 (118)ベイルート(レバノン)
 (119)ブシャーレ(レバノン)
 (120)バールベック(レバノン)
 (121)ホムス(シリア)
 (122)クラック・デ・シュヴァリエ(シリア)
 (123)パルミラ②(シリア)
 (124)デリゾール(シリア)
 (125)パルミラ③(シリア)
 (126)ダマスカス(シリア)
 (127)クネイトラ(シリア)
 (128)ボスラ(シリア)
 (129)アンマン(ヨルダン)
 (130)死海(ヨルダン)
 (131)ペトラ(ヨルダン)
 (132)アカバ(ヨルダン)
 (133)ダハブ(前編)(エジプト)
 (134)シナイ山(エジプト)
 (135)ダハブ(後編)(エジプト)
 (136)カイロ(前編)(エジプト)
 (137)ルクソール(エジプト)
 (138)デンデラ(エジプト)
 (139)シーワ・オアシス(エジプト)
 (140)アレクサンドリア(エジプト)
 (141)ギザ(エジプト)
 (142)カイロ(後編)(エジプト)
 (143)カイロ(エジプト)~ニツァナ~エルサレム(イスラエル)
 (144)エルサレム①(イスラエル)
 (145)ベツレヘム(イスラエル)
 (146)エルサレム②(イスラエル)
 (147)エルサレム③(イスラエル)
 (148)エルサレム④(イスラエル)
 (149)テルアビブ(イスラエル)
 (150)テルアビブ(イスラエル)~マラガ(スペイン)~タンジェ~カサブランカ(モロッコ)

(101)ソフィア②(ブルガリア)

2010-07-08 22:57:00 | ブルガリア・ルーマニア
 5年前に出会った中村さん(仮名)の言葉を実感したのが、ここ Sofia (ソフィア)とマラムレシュ地方だと書いたが、ソフィアでは感動のイベントを経験し、マラムレシュでは不思議な出会い(みやこうせい氏の友人(マラムレシュの新聞記者)に片言の日本語で話しかけられ、地元の新聞に自分の似顔絵が掲載された)があった。

 そのどちらにも共通していたことがある。

 当時(この旅の5年前)わずか3週間の間に東欧を縦断する計画を立てていた為、先を急ぐ旅をしていた。
 ソフィアでも Sighetu Marmatiei (シゲット・マルマツィエィ)でもそれは変わらなかったのだが、悩んだ挙句、滞在を伸ばしたのだった。
 もしあの時に先を急いで街を去っていたら、素晴らしい出会い(出来事・人)を経験していなかったことになる。

 中村さんは偶然の出会いはないと言っておられた。自分も出会いは運命だと思う。
 しかし、出会いの前には必ず選択が存在するのだ。

 先を急げば出会っていなかった。ならば、その選択の責任は自分にあるはずだ。
 進むのか、立ち止まるのか、それとも道を変えるのか。

 結果は運命、しかしその前にある選択の責任は自分にある。
 その選択は自分で行うもの。だから運命は変えられると思う。



 ソフィアで感動したイベント、それは独立記念日(解放記念日)の式典だった。

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(100)ソフィア①(ブルガリア)

2010-07-01 23:58:16 | ブルガリア・ルーマニア
 Belgrad ( Beograd )(ベオグラード)を22時に発った夜行列車は、1時間以上遅れて翌朝10時半に Sofia (ソフィア)(ブルガリア)に到着した。
 この時、ベオグラードで出会った大学生の青年と一緒に旅をしている。

 5年前にこの街を訪れた時と比べ、明るくなった印象を受けた。経済的に豊かになりつつあるようだ。今はもっと変わっていることだろう。



 5年前、当時学生だった自分にとって、それは初めての海外旅行だった。
 民主化した旧共産圏の国々は、日本の明治維新ともいうべき時を迎えているのではないか、 そんな活気溢れる国々を直に見たいと思い東欧を旅することにした。
 当時東欧の国々を旅するにはビザが必要で、東京の街をあちこち大使館巡りしなければならなかったのを覚えている。

 飛行機に乗るのも初めてで緊張していた自分に対し、隣の席の日本人男性(中村さん(仮名))が話しかけてきた。
 職業はお医者さんらしい。スペインに住んでいて西洋医学の見地から気功について研究されているそうだ。
 「作家の遠藤周作さんも私のことを支持してくれていたんですよ。」と言っておられた。
 残念ながら、その方の名前を伺(うかが)うのを忘れてしまった。正直なところ、その話を聞いた後に名前を伺うのがミーハーな行為に思えたのだった。

 以前にも紹介したが、その方からこんな言葉を頂いている。

 「君と僕が飛行機の席が隣りになったということで会話をしているけど、これは偶然じゃない。これから旅先で出会う人とも偶然に出会っている訳ではない。旅先の出会いを大切にしなさい。」

 当時の旅(東欧旅行)で、その言葉を実感として感じたのがマラムレシュ地方(ルーマニア)であり、ここソフィアだった。

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