彫刻家のトニーと別れ、列車で Plovdiv (プロヴディフ)に戻った。
次の目的地 Istanbul (イスタンブール)(トルコ)へ向かうには逆方向になってしまうが、国際列車に乗るならこの方が早く着くらしい。
プロヴディフに着いてから、夜行列車の発車時刻(22時)までこの街を観光している。
この街はかつてローマ帝国支配下にあった時代、その地形からトリモンティウム(3つの丘)と呼ばれた。
「トリモンティウムで画家は夢を見、地図職人は悪夢を見る」という格言がある位、この街の地形は複雑らしい。
観光したのは下記の通り。
・聖コンスタンティン・エレナ教会 1832年に古代キリスト教会跡地に建設された。教会の隣にはイコン・ギャラリーも併設されている。
・ボヤジエフ・ハウス プロヴディフ旧市街にいくつかある古い屋敷は、博物館や美術館として公開されている。ここボヤジエフ・ハウスは、ブルガリアの画家 Zlatio Boyadjiev (ズラトュ・ボヤジエフ)( 1903年~1976年)(ウィキペディア記事(英語版)はこちら)のギャラリーになっている。印象的な絵が多かった。
・バラバノフ・ハウス 美しい建物の中はギャラリーになっている。かつては民族復興期の富豪ルカ・バラバノフの屋敷だった。
ちなみに上記3つの建物は、前日トニーと来た時には閉鎖中だった。(ストヤノフ大統領(プロヴディフ出身)が来ていた為)。Sofia (ソフィア)、そしてプロヴディフと縁を感じる方だった。
・民族博物館 ブルガリアの民族衣装や楽器を展示。イスタンブールの豪商ハジ・ゲオルギが建てた建物は、バロック様式と民族復興様式がミックスされている。
・ネベ(ット)・テペの遺跡 紀元前4世紀にトラキア人の一部族が要塞を築いた場所。見晴らしがよく、ロドピ山脈に沈む夕陽が見れる。
最後にヨーグルトを食べて、ブルガリアを去ることにした。
ここから再びアジアへ向かうことになる。
※地図はこちら
次の目的地 Istanbul (イスタンブール)(トルコ)へ向かうには逆方向になってしまうが、国際列車に乗るならこの方が早く着くらしい。
プロヴディフに着いてから、夜行列車の発車時刻(22時)までこの街を観光している。
この街はかつてローマ帝国支配下にあった時代、その地形からトリモンティウム(3つの丘)と呼ばれた。
「トリモンティウムで画家は夢を見、地図職人は悪夢を見る」という格言がある位、この街の地形は複雑らしい。
観光したのは下記の通り。
・聖コンスタンティン・エレナ教会 1832年に古代キリスト教会跡地に建設された。教会の隣にはイコン・ギャラリーも併設されている。
・ボヤジエフ・ハウス プロヴディフ旧市街にいくつかある古い屋敷は、博物館や美術館として公開されている。ここボヤジエフ・ハウスは、ブルガリアの画家 Zlatio Boyadjiev (ズラトュ・ボヤジエフ)( 1903年~1976年)(ウィキペディア記事(英語版)はこちら)のギャラリーになっている。印象的な絵が多かった。
・バラバノフ・ハウス 美しい建物の中はギャラリーになっている。かつては民族復興期の富豪ルカ・バラバノフの屋敷だった。
ちなみに上記3つの建物は、前日トニーと来た時には閉鎖中だった。(ストヤノフ大統領(プロヴディフ出身)が来ていた為)。Sofia (ソフィア)、そしてプロヴディフと縁を感じる方だった。
・民族博物館 ブルガリアの民族衣装や楽器を展示。イスタンブールの豪商ハジ・ゲオルギが建てた建物は、バロック様式と民族復興様式がミックスされている。
・ネベ(ット)・テペの遺跡 紀元前4世紀にトラキア人の一部族が要塞を築いた場所。見晴らしがよく、ロドピ山脈に沈む夕陽が見れる。
最後にヨーグルトを食べて、ブルガリアを去ることにした。
ここから再びアジアへ向かうことになる。
※地図はこちら