Go straight till the end!!

世界一周の旅の思い出を綴っています。
ブログタイトルは、出発前に旅日記の表紙に書いた言葉です。

(10)昆明(中国)

2009-02-26 05:23:21 | プロローグ・タイ・中国
 雲南(うんなん)の省都昆明( Kun Ming )(クンミン)では、茶花賓館( CAMELLIA HOTEL )に宿泊した。ここは、バックパッカーの間では当時有名だった。安いからだと思う(今は値上がりしているようだ)。

 ここ昆明の街は、日本のマラソン選手が高地トレーニングをすることで有名だ(標高約1900m)。街を歩くと、心なしか軽い息切れがした。

 昆明は都会だったので、旅の風情を感じることは少なかった。観光に行ったのは雲南博物館だけだ。

 一つ印象に残っているのは、美しい女性が多かったことだろうか。中国の中でもここは美人が多いことで有名らしい。雲南省は、ミャンマー・ラオス・ベトナムと隣接しており、漢族以外に29の少数民族が生活しているらしいが、美女が多いのは様々な種族の血が混じり合ったからではないかと思う。

 しかし文化の違いと言えばそれまでなのだが、脚を開いて座り、人前で鼻をほじったり痰を道端に吐いたりしているのを見て、がっかりしたのを覚えている。逆に言えば、「女性とはこうあるべき」という日本的女性観を取っ払うべきなのかもしれない。

 翌日、夜行バスで大理(ダーリー)に向かった。風光明媚な土地らしいので楽しみだ。

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(9)興坪~陽朔~桂林~昆明(中国)

2009-02-23 19:17:20 | プロローグ・タイ・中国
 興坪(シンピン)に1泊した後、陽(阳)朔(ヤンシュオ)に戻り、その夜桂林( Gui Lin )(グイリン)に向かった(バスで約1.5時間)。すでに陽朔のCITS(旅行代理店)で桂林から昆明(クンミン)までの寝台車の切符を手配しており、桂林のホテルのフロントで受け取ることになっていた。

 灕江(りこう)下りは桂林から陽朔までの川の旅なのだが、陽朔とは対照的に、ここ桂林は中国でもかなり治安が悪いことでも有名だ。

 列車のチケットを受け取った後、フロントに列車が来るまでロビーで待機させて欲しいと言うと了承してくれたのだが、ここでは一睡も出来なかった。スリがいたからだ。



 フロントの男が奥から一人の男を連れて来て、何やらこちらを見ながら二人で話している。二人の目つきがよくなかったので身の危険を感じた。案の定その男は自分の背後から近づいてきた。ジーンズの後ろポケットにある財布に手を伸ばして来る。振り返ると慌てて手を引っ込める。こんなことが2、3回続いたので財布を服の下の貴重品入れに隠した。
 するとフロントの男が「悪いが書類に記入し忘れたので、もう一度パスポートを見せてくれ」と言ってきた。貴重品の位置を確認したいのだろう。
 貴重品入れの中からパスポートを出して渡すと儀礼的に目を通して返された。その後、男(スリ)を奥に返した。一安心だが油断は出来ない。
 結局、早朝4:30の列車到着まで一睡もしなかった。

 昆明行きの列車に乗り込むと、ホッとしたのか深い眠りに着いた。



 ちなみに、このホテルの名前をメモしておいたので調べてみた。中国語の簡体字を日本の漢字に直すと興業飯店というホテル名だと分かった。
 今はそんなことはないかもしれないが、実際にあったことなので、敢えてホテルの名前を出させて頂く。



 桂林(グイリン)から昆明(クンミン)までは、所要約30.5時間。硬臥( Yin Wo )(2等寝台)の対面には、台湾の新婚夫妻がいた。
 新郎は台湾の家具会社の社長さん。昆明で展示会(昆明世界園芸博覧会)があるらしい。新婦は美しい女性だった。
 この二人によって桂林でささくれ立った心が癒された。人と人とが信頼しあう関係というのは、周りにいい影響を及ぼすと思う。



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(8)興坪(中国)

2009-02-19 00:19:31 | プロローグ・タイ・中国
 陽(阳)朔(ヤンシュオ)から、近郊の村興坪( Xing Ping )(シンピン)までは、バスで約1時間で着く。



 旅日記にはこう書いてある。

 「道中、神様のような顔をした老人に何度も出会った。何人もいた。」

 おそらく、人とは本来そういうものなのではないだろうか。歳を重ねてもそうならなかった人がいるとしたら、どこかで生き方を変えてしまったからだと思う。

 こんな辺境の地にもしっかり宿はあった。蓮花酒楼( Lotus Hotel )と名前は洒落(しゃれ)ていた。

 近くを散策すると、山の麓に【爬山( Pa Shan )と書かれた看板があった。てっきり山の名前とばかり思っていたが、今調べてみたら【山を(よじ)登る】という意味の熟語らしい。
 実際、この山水画のような急勾配の山をよじ登ったのだが、登るのはかなり大変だった。しかし頂上から見た夕陽は忘れられない。見れると思っていなかったので感動も一入(ひとしお)だ。



 「誰もいない。とても静かだ。ここに言葉はいらない。」

 と、旅日記に綴(つづ)っている。

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(7)陽朔(中国)

2009-02-12 08:53:00 | プロローグ・タイ・中国
 陽(阳)朔( Yang Shuo )(ヤンシュオ)は、桂林(グイリン)から始まる灕江(りこう)下りの終点である。深圳(しんせん)で出会った旅人の話の通り、桂林よりも物価が安く人もすれていなかった(しかし現在では、更に観光地化が進んでいるようだ)。

 ここは、「陽朔の山水は桂林で甲たり(一番である)と謳(うた)われた風光明媚な土地だ。

 欧米の旅行者が多いせいか、【 Hard Seat CAFE 】なる店も存在した( 【 Hard Rock CAFE 】 のパロディ)。



 村の人々も素朴な人が多い(写真は土産物屋の優しい姉妹)。



 小さな街なので散策はすぐに終わってしまう。近郊を巡るツアーがあるというので参加することにした。自分とイギリス人の大学生カップルだけの小さなツアーだ。

 まず最初に BUDDA WATER CAVE という鍾乳洞を訪れた。ここでは泥だらけになるので海水パンツを着用した。
 カップルの男性の方は、「インディアナ(インディ)・ジョーンズみたいだ!!」とはしゃいでいたが、女性の方は途中で疲れ切ってしまっていた。道も険しすぎるようだ。

 その後、ガイドの男性の村に立ち寄り食事休憩することになった。
 突然、トイレから女性の悲鳴が聞こえてきた。皆が駆け寄るとトイレの入口でイギリス人女性が泣いている。奥を見ると便器からが顔を出していた。
 どうやら、このトイレはぼっとん便所で人の便がそのまま豚の餌になるらしい。豚は腹を空かせて便器から顔を出したのだ。
 ガイドの男性がトイレにあった棒で豚の頭を便器の下に押し込んだ。何棒と呼ぶのか分からないが、こんな役割の棒もあるのだ。それにしても、この女性にとっては散々なツアーとなってしまった。

 そんなことがあった村だが、かつてこの村が旧日本軍によって破壊され、多くの村人が殺害されたと聞いたとき、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 次に立ち寄ったのは、月亮山( MOON HILL )だった。頂上からの眺望は素晴らしく、辺りを一望出来る。



 この山の麓には水を売る小さな女の子がいた。最初はいらないと断ったが、ペットボトル1本を売る為に付いて来る。頂上まで来られてはかなわないと思い途中で購入した。1本50円にも満たない額だったと思う。いつ来るとも知れない観光客がお客さんなのだから、彼女らも必死なのだ。

 最後に地元の村を巡った。
 肌や髪の毛の色の違うイギリス人に子供達は興味津々のようで、円(つぶ)らな瞳がキラキラ輝いていた。微笑ましい光景だ。



 ツアー翌日、近郊の村興坪(シンピン)に行くことにした。陽朔よりも更にローカルな土地で、絶景だそうだ。

※地図はこちら

【目次】(その1)

2009-02-11 23:12:04 | 【目次】
 【2023年5月18日更新】

 (1)プロローグ
 (2)成田~バンコク(タイ)~香港
 (3)香港(前編)
 (4)香港(後編)
 (5)深圳( Shen Zhen )(中国)
 (6)深圳( Shen Zhen )~広州~陽朔(中国)
 (7)陽朔(中国)
 (8)興坪(中国)
 (9)興坪~陽朔~桂林~昆明(中国)
 (10)昆明(中国)
 (11)大理(中国)
 (12)麗江(中国)
 (13)濾沽湖(中国)
 (14)濾沽湖~寧蒗( Ning Lang )(中国)
 (15)寧蒗( Ning Lang )~攀枝花~成都(中国)
 (16)西安①(中国)
 (17)西安②(中国)
 (18)洛陽(中国)
 (19)嵩山(中国)
 (20)曲阜(前編)(中国)
 (21)曲阜(後編)(中国)
 (22)曲阜~済南~北京(中国)
 (23)北京(前編)(中国)
 (24)北京(後編)(中国)
 (25)平遙(中国)
 (26)西安③(中国)
 (27)嘉峪関(中国)
 (28)敦煌(中国)
 (29)コルラ(中国)
 (30)アクス(中国)
 (31)カシュガル(中国)
 (32)タシュクルガン(中国)
 (33)フンザ(前編)(パキスタン)
 (34)グルミット(パキスタン)
 (35)フンザ(後編)(パキスタン)
 (36)ギルギット(パキスタン)
 (37)ラーワルピンディー(パキスタン)
 (38)ワガー(パキスタン)
 (39)アムリトサル(前編)(インド)
 (40)デリー(インド)
 (41)アムリトサル(後編)(インド)
 (42)ラホール(パキスタン)
 (43)クエッタ(パキスタン)
 (44)バム(イラン)
 (45)シラーズ(イラン)
 (46)ペルセポリス(イラン)
 (47)イスファハン(イラン)
 (48)テヘラン(前編)(イラン)
 (49)テヘラン(後編)(イラン)
 (50)テヘラン~タブリーズ(イラン)~イェレヴァン(アルメニア)

おまけ(その1)夢の話

2009-02-06 07:30:00 | おまけ
(6)深圳( Shen Zhen )~広州~陽朔(中国)のおまけ記事



 夢には何か意味があると思っているのだが、一年半ほど前に夢で得たインスピレーションの話をしたい。



 夢の中で自分は旅をしていた。

 旅先で次の土地に向かうバスに乗ろうとすると、「まだ全てを聞いてもらってない」と、その土地の神(精霊)に言われた。

 それは、こういうことらしい。

 処(ところ)・場所には、その土地の持つ想い・想念みたいなものが存在する。それは、その土地が元々持っているものかもしれないし、或いはそこに住む人々の集合意識みたいなものかもしれない。
 
 旅をしてその土地で感じることは、その「土地の想い」らしい。そして旅日記や紀行文を書く人には、その土地の想いを汲み取ってもらいたいようだ。

(6) Shen Zhen ~広州~陽朔(中国)

2009-02-05 07:27:40 | プロローグ・タイ・中国
 深圳( Shen Zhen )((しんせん)から広東(かんとん)の省都広(广)州( Guang Zhou )(グワンジョウ)までは、電車で約2.5時間位の距離だ。
 着いた広州の街は大都会で、特に興味をそそられなかった。都会で旅の風情を感じるのは意外と難しいと思う。

 駅からバスターミナルに向かい、人込みの中を掻(か)き分けるように進んでいく途中、目つきの鋭い男達を何人か見かけた。スリかもしれない。
 この街の治安はあまり良くないのかもしれないと思い(ちなみに後年広州に滞在したことがあるが、治安上特に問題なかった)、陽(阳)朔(ヤンシュオ)に行くバスを探して乗り込んだ。自分を乗せるとすぐにバスは出発した(13時発)。
 切符の値段が100元(当時のレートで1400円弱)と聞いて高いと思ったが、この街に残るよりいい。おそらく正規の値段は半額位だったのではないだろうか。

 このバスは寝台車だった。寝台車というと聞こえがいいが、設備はオンボロだ。もっと設備のいいバスもあっただろうに。空調もないので窓を開けて暑さをしのいだ。

 驚いたことに、途中何故かバスは養鶏場に立ち寄った。そして、屋根の上にを積み始めたのである。

 今考えると恐ろしい話だが、このバスは所謂(いわゆる)【チキンバス】というやつだったのだ(当時は鳥インフルエンザの流行前)。
 窓から鶏の羽が入ってくるので、仕方なく窓を閉めた。暑くて汗が流れてきた。ここで一句思い浮かんだ。

 (せみ)がなく 支那の街道 冬景色
 
 その後もトラブル続きで車はよく故障した。中国では修理が出来ないと長距離バスの運転手にはなれないのではないだろうか。夜の22時に故障した時などは、街灯も無く、月明かりと懐中電灯を頼りながら修理していた。星がとてもきれいだったのを覚えている。

 結局、夜中の2時半に「着いたぞ」と降ろされた。朝6時に着くと言われていたのだが随分早い到着だ。

 そこはまさしく山水画の世界。月明かりに照らされた山々は幻想的という表現を通り越して不気味にさえ思えた。
 何とかユース・ホステル(陽朔青年招待所)を見つけ、ベッドに潜り込んだ。

 この後見た夢を旅日記に綴っている。



 村の若い男女がお互いに好意を持っているのだが、素直に打ち明けることが出来ない。
 最後に女性とその父親が助からない病気だと分かり、皆が薬を勧めるが「他の人にあげてくれ」と、とりあわない。



 目が覚めた後、この地で実際あった話なのかもしれないなどと勝手に考えたりした。



※この記事に関するおまけ記事はこちら

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