Killarney (キラーニー)に2泊した後に向かったのは Belfast (ベルファスト)(北アイルランド)だ。
※北アイルランドは正式には、イギリス(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)領だが、このブログのカテゴリーではアイルランドに入れさせて頂く。
鉄道のストライキはひとまず収まったらしく、キラーニーから Dublin (ダブリン)までは順調に移動出来た。
ダブリンのコノリー駅ではベルファスト方面の列車を待つ人達の長い列が出来ていた。
前に並んでいた旅行者にいつ発車するのか聞いたところ、もうすぐとのこと。
今回はタイミング良く乗り継ぎが出来るようだ。
待つこと20分位で列車に乗り込んだ。
先程話しかけた旅行者はスイスから来たという20代の女性だった。
銀行に勤めているらしく、お国柄なのか5~6ヶ国語を話せると言う。
激務の為、かなり仕事のストレスが溜まっているようだった。
車窓から見える風景が美しかったのだが、ゆっくり外の景色を眺める余裕も与えてくれず、ベルファストに着くまでの2時間彼女は話し続けた。
彼女が話した内容の詳細は分からないが(メモを残していない為)、印象に残っているのは決して楽しい話ではなかったということだ(仕事の愚痴だったと思う)。
おそらく、目の前にいるのは自分でなくても良かったのだろう。誰か話を聞いてくれる人が欲しかったのだと思う。
スイス人女性がどんどん元気になっていくのと対照的に、私の方はベルファストに着いた頃にはグッタリとしてしまっていた。
彼女の目的地はまだ先の為、ここでお別れだ。
ベルファスト・セントラル駅に到着したのは夕方だったと思う。予約しておいた Ark Hostel に向かった。
1泊約1500円(ドミトリー)(支払はアイリッシュポンドではなくイギリスポンド)。
この宿に泊まっている人達は、個人旅行者が多く国籍はバラバラだったと思う。
印象深かったのは、同い年のカナダ人女性。日本好きで広島県在住とのこと。日本の古都でもホームステイ経験があるが、よそ者には冷たかったと言っていた(出会った人で国の印象は変わる)。
ベルファストは、北アイルランドの首府であり、北アイルランド最大の都市である。街の名前は、アイルランド語で【ファーセットの口】という意味で、ファーセット川のほとりに建設された事に由来している。
もともと漁村だったベルファストの街が商業都市として栄えたのは18世紀以降。
特にヴィクトリア女王(1819年~1901年)(ハノーヴァー朝(1714年~1901年)第6代女王(在位1837年~1901年)の統治時代に工業都市として繁栄を極めた。
ここはタイタニック号が建造された街でもある。
アイルランド独立運動が盛んだった土地でもあり、多くの人々の血が流れている。
シティホール(市庁舎)など見どころが幾つかあるが、街を散策した位で特に観光はしていない。
この街には、当時ヨーロッパではあまり見かけなかったコンビニ(記憶が正しければセブンイレブン)があった。コンビニと言えば立ち読みの光景を思い浮かべるが、日本のように漫画は置いていなかったし、雑誌の数も少なめだった。
ベルファスト滞在中に旅日記に書き記している言葉を最後に紹介させて頂く。
・「本当に満足を与えてくれるのは、働くことなのです」(アンネ・フランク)(旅に欠けていることは働くことだ。)
・“ I am here to have a party, man, as I best I can while I am on this earth, I think that is your duty too. ”( Janis Joplin (ジャニス・ジョプリン))(確かホテルの壁に貼ってあったJ.ジョプリンの言葉(曲の歌詞かもしれない)。)
※地図はこちら
※北アイルランドは正式には、イギリス(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)領だが、このブログのカテゴリーではアイルランドに入れさせて頂く。
鉄道のストライキはひとまず収まったらしく、キラーニーから Dublin (ダブリン)までは順調に移動出来た。
ダブリンのコノリー駅ではベルファスト方面の列車を待つ人達の長い列が出来ていた。
前に並んでいた旅行者にいつ発車するのか聞いたところ、もうすぐとのこと。
今回はタイミング良く乗り継ぎが出来るようだ。
待つこと20分位で列車に乗り込んだ。
先程話しかけた旅行者はスイスから来たという20代の女性だった。
銀行に勤めているらしく、お国柄なのか5~6ヶ国語を話せると言う。
激務の為、かなり仕事のストレスが溜まっているようだった。
車窓から見える風景が美しかったのだが、ゆっくり外の景色を眺める余裕も与えてくれず、ベルファストに着くまでの2時間彼女は話し続けた。
彼女が話した内容の詳細は分からないが(メモを残していない為)、印象に残っているのは決して楽しい話ではなかったということだ(仕事の愚痴だったと思う)。
おそらく、目の前にいるのは自分でなくても良かったのだろう。誰か話を聞いてくれる人が欲しかったのだと思う。
スイス人女性がどんどん元気になっていくのと対照的に、私の方はベルファストに着いた頃にはグッタリとしてしまっていた。
彼女の目的地はまだ先の為、ここでお別れだ。
ベルファスト・セントラル駅に到着したのは夕方だったと思う。予約しておいた Ark Hostel に向かった。
1泊約1500円(ドミトリー)(支払はアイリッシュポンドではなくイギリスポンド)。
この宿に泊まっている人達は、個人旅行者が多く国籍はバラバラだったと思う。
印象深かったのは、同い年のカナダ人女性。日本好きで広島県在住とのこと。日本の古都でもホームステイ経験があるが、よそ者には冷たかったと言っていた(出会った人で国の印象は変わる)。
ベルファストは、北アイルランドの首府であり、北アイルランド最大の都市である。街の名前は、アイルランド語で【ファーセットの口】という意味で、ファーセット川のほとりに建設された事に由来している。
もともと漁村だったベルファストの街が商業都市として栄えたのは18世紀以降。
特にヴィクトリア女王(1819年~1901年)(ハノーヴァー朝(1714年~1901年)第6代女王(在位1837年~1901年)の統治時代に工業都市として繁栄を極めた。
ここはタイタニック号が建造された街でもある。
アイルランド独立運動が盛んだった土地でもあり、多くの人々の血が流れている。
シティホール(市庁舎)など見どころが幾つかあるが、街を散策した位で特に観光はしていない。
この街には、当時ヨーロッパではあまり見かけなかったコンビニ(記憶が正しければセブンイレブン)があった。コンビニと言えば立ち読みの光景を思い浮かべるが、日本のように漫画は置いていなかったし、雑誌の数も少なめだった。
ベルファスト滞在中に旅日記に書き記している言葉を最後に紹介させて頂く。
・「本当に満足を与えてくれるのは、働くことなのです」(アンネ・フランク)(旅に欠けていることは働くことだ。)
・“ I am here to have a party, man, as I best I can while I am on this earth, I think that is your duty too. ”( Janis Joplin (ジャニス・ジョプリン))(確かホテルの壁に貼ってあったJ.ジョプリンの言葉(曲の歌詞かもしれない)。)
※地図はこちら