Go straight till the end!!

世界一周の旅の思い出を綴っています。
ブログタイトルは、出発前に旅日記の表紙に書いた言葉です。

(205)ベルファスト(北アイルランド)

2012-09-27 23:55:55 | アイルランド・北アイルランド
 Killarney (キラーニー)に2泊した後に向かったのは Belfast (ベルファスト)(北アイルランド)だ。

※北アイルランドは正式には、イギリス(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)領だが、このブログのカテゴリーではアイルランドに入れさせて頂く。



 鉄道のストライキはひとまず収まったらしく、キラーニーから Dublin (ダブリン)までは順調に移動出来た。

 ダブリンのコノリー駅ではベルファスト方面の列車を待つ人達の長い列が出来ていた。
 前に並んでいた旅行者にいつ発車するのか聞いたところ、もうすぐとのこと。
 今回はタイミング良く乗り継ぎが出来るようだ。



 待つこと20分位で列車に乗り込んだ。
 先程話しかけた旅行者はスイスから来たという20代の女性だった。
 銀行に勤めているらしく、お国柄なのか5~6ヶ国語を話せると言う。
 激務の為、かなり仕事のストレスが溜まっているようだった。

 車窓から見える風景が美しかったのだが、ゆっくり外の景色を眺める余裕も与えてくれず、ベルファストに着くまでの2時間彼女は話し続けた。
 彼女が話した内容の詳細は分からないが(メモを残していない為)、印象に残っているのは決して楽しい話ではなかったということだ(仕事の愚痴だったと思う)。
 おそらく、目の前にいるのは自分でなくても良かったのだろう。誰か話を聞いてくれる人が欲しかったのだと思う。



 スイス人女性がどんどん元気になっていくのと対照的に、私の方はベルファストに着いた頃にはグッタリとしてしまっていた。
 彼女の目的地はまだ先の為、ここでお別れだ。

 ベルファスト・セントラル駅に到着したのは夕方だったと思う。予約しておいた Ark Hostel に向かった。
 1泊約1500円(ドミトリー)(支払はアイリッシュポンドではなくイギリスポンド)。
 この宿に泊まっている人達は、個人旅行者が多く国籍はバラバラだったと思う。
 印象深かったのは、同い年のカナダ人女性。日本好き広島県在住とのこと。日本の古都でもホームステイ経験があるが、よそ者には冷たかったと言っていた(出会った人で国の印象は変わる)。



 ベルファストは、北アイルランドの首府であり、北アイルランド最大の都市である。街の名前は、アイルランド語で【ファーセットの口】という意味で、ファーセット川のほとりに建設された事に由来している。

 もともと漁村だったベルファストの街が商業都市として栄えたのは18世紀以降。
 特にヴィクトリア女王(1819年~1901年)(ハノーヴァー朝(1714年~1901年)第6代女王(在位1837年~1901年)の統治時代に工業都市として繁栄を極めた。
 ここはタイタニック号が建造された街でもある。
 アイルランド独立運動が盛んだった土地でもあり、多くの人々の血が流れている。



 シティホール(市庁舎)など見どころが幾つかあるが、街を散策した位で特に観光はしていない。

 この街には、当時ヨーロッパではあまり見かけなかったコンビニ(記憶が正しければセブンイレブン)があった。コンビニと言えば立ち読みの光景を思い浮かべるが、日本のように漫画は置いていなかったし、雑誌の数も少なめだった。



 ベルファスト滞在中に旅日記に書き記している言葉を最後に紹介させて頂く。

「本当に満足を与えてくれるのは、働くことなのです」(アンネ・フランク)(旅に欠けていることは働くことだ。)

“ I am here to have a party, man, as I best I can while I am on this earth, I think that is your duty too. ”( Janis Joplin (ジャニス・ジョプリン))(確かホテルの壁に貼ってあったJ.ジョプリンの言葉(曲の歌詞かもしれない)。)

※地図はこちら

おまけ(その28) Bob Dylan

2012-09-20 00:24:34 | おまけ
(204)キラーニー(アイルランド)のおまけ記事



 もうすぐ本年度のノーベル賞の発表があるということで、日本人である村上春樹氏はもちろんだが、Bob Dylan (ボブ・ディラン)氏にも注目したいと思う。

 ボブ・ディランのことを知ったのは学生時代のこと。
 ボブ・ディランを尊敬する友人に勧められたのだが、彼のように崇拝者にはならなかった(ボブ・ディランの良さを理解するには未熟だったのだろう)。

 しかし、そんな自分にも耳に残る曲があった。
 【ボブ・ディラン】の名前を聞けば今でも思い浮かぶその曲のタイトルは、『時代は変わる』(“ The Times They Are A-Changin' ”)だ。

・“ The Times They Are A-Changin' ”の動画はこちら



 (追記)

 2016年、ボブ・ディラン氏はノーベル文学賞を受賞した。

(204)キラーニー(アイルランド)

2012-09-13 23:53:00 | アイルランド・北アイルランド
 Galway (ゴールウェイ)に3泊した後、Killarney (キラーニー)へと向かったのだが、鉄道のストライキの為、この移動は一日がかりとなった。
 予定外の乗り換えを何度か行っている。しかも発車をひたすら待ちながら。
 記録しているのは、Tullamore (タラモア)(乗り換えで3時間待ち)、Portarlington (ポーターリントン)(乗り換えで1時間待ち)。最後は Mallow (マーロウ)からバスを使用している(ここからキラーニーまで所要1時間)。



 到着したのが夕方だったせいもあるが、夏だというのにキラーニーの街は肌寒かった。森の中にある街だからだろうか。
 ゴールウェイに続きユース・ホステルに宿泊したが、満室だったゴールウェイのユースに比べると宿泊客はそれほど多くなかった。

 宿にいた旅行者から Bob Dylan (ボブ・ディラン)がノーベル文学賞候補に挙がっていることを教えてもらった。B.ディランの歌の歌詞は非常に文学的価値が高いということで評価されているらしい。
 惜しくもB.ディランはこの年のノーベル賞を受賞出来なかった(この年のノーベル文学賞受賞者は、高行健(ガオ・シンジェン)(仏国籍))。
 あれから10年以上経った今でも彼の評価は高く、村上春樹氏と共に今年のノーベル文学賞候補にも挙げられている。

※ボブ・ディランのおまけ記事はこちら



 キラーニーの街はそれほど大きくないが、アイルランドで初めて国立公園に認定されたキラーニー国立公園が隣接していることもあり、緑に囲まれた自然豊かな街だ。
 この地域は北大西洋海流(暖流)偏西風の影響を受ける為、気候は温暖湿潤で、年間降雨日数が200日を超える(緑の多い土地にはやはり降雨が多い)。

 キラーニーが歴史に登場するのは640年。
 聖フィニアンによって、下の湖( Lower Lake )に浮かぶイニシュフォールン島にハンセン病患者の為の僧院が設立された(この地の学問の中心としても有名で約850年間存続した)。

 後年この地は、イギリスとの戦いに巻き込まれていく。
 湖の東側にあるロス城は1652年にイギリスのオリバー・クロムウェル(1599年~1658年)が遠征の最後に破壊したらしく、現在は廃墟になっている。



 観光についての記録。

 キラーニーの街には2泊している。街を散歩したが、国立公園内は散策しなかった。
 しかし、ここでもバスツアーに参加している。
 キラーニー国立公園を抜けアイヴェラ半島を一周するケリー周遊路( Ring of Kerry )のツアーだ。
 アイルランドでも屈指の観光スポットだけあって、その景観にはただただ感動を覚えるだけだった。
 ここでもツアーガイドが「日本の北海道みたいだろう」と言っていたが、コネマラ地方よりも更に北海道に雰囲気が似ているように感じた。



 感動してたくさん写真を撮影したのだが、現像した写真を見ると何故か印象が違っていた。
 あの壮大なパノラマ感を小さなフレームに収めるのは難しいのかもしれない。



※地図はこちら

(203)カイルモア修道院(アイルランド)

2012-09-06 23:55:55 | アイルランド・北アイルランド
 モハーの断崖( The Cliffs of Moher )へのツアーに参加した翌日、コネマラ地方周遊ツアーに参加した。
 Galway (ゴールウェイ)の北西にあるコネマラ国立公園( Connemara National Park )(ゴールウェイ州)は、アイルランドでも有数の国立公園であり、美しい湖や渓谷、荒涼とした岩山などの景観を誇る。また、アカジカや特産のコネマラポニーなどの姿を見かけることが出来る。

 このツアーには一昨日に申し込んでいたが、昨日の経験(訪問予定地の半分以上を車内から眺めて終わったこと)から、本日も同じような展開になることが予想された。
 正直キャンセルしようか迷ったが、結局この日もツアーに参加することにした。昨日と同じような展開になっても、素晴らしい感動を味わえると思ったからだ。



 予想通り、このツアーもイタリア人観光客が大半を占めていた。そしてスケジュールは狂い、観光予定地でも車外に出る時間が取れなかった。
 さすがに二日目になると諦観のようなものが出来上がっていたので、腹を立てることもなかった。
 このツアーの唯一の救いは、ツアーガイドの仕事ぶりだった。50代の男性ガイドは移動中終始陽気に話し続けたのだ(予定が大幅に変更になることにストレスを感じる観光客の為にサービスしたのか、或いはいつもこの調子なのか、どちらにせよ彼のホスピタリティの表れなのだろう)。

 バスが小さな村を通り抜ければ、彼はそこに住んでいる人達の暮らしぶりを語る。

 「あの家に住んでいる親父は男らしく酒好きでいい奴なんだが、女房には全く頭が上がらないんだ」

 そんなエピソードを語られるだけで、今まで風景の一部分に過ぎなかったものが生き生きと心に沁み込んでくる(奥さんに怒られている旦那さんの情景が浮かんだ)。
 また、彼はしょっちゅうジョークを飛ばしていた。

 「アイルランドからドイツに輸入された鮭(サーモン)は左側を泳ぐからすぐ分かる」(イギリスの植民地だった国・地域の道路において車両は左側通行)

 彼の愛用語は lovely (かわいらしい)。nice と同じような意味もあり、アイルランドでは nice よりも良く聞いた単語だ。
 そして彼のおかげでこの単語がとても好きになった(しかし、lovely を使うのには照れがあった)。

※余談になるが、彼の話ではゲール語は世界の六つの国・地域に受け継がれているらしい。

 また、彼はこちらが日本人と分かると「どうだ、北海道みたいだろう」と語りかけてきた(おそらく日本人の観光客に以前言われたことがあったのだろう)。
 そうだと答えたものの、自分は今まで北海道に行ったことがなかった。自国のこともよく知らないのに先に海外に出てきてしまったことを恥ずかしく思った(このことが、帰国後北海道で働くきっかけとなった)。



 そんな楽しいガイドと共に巡ったコネマラ地方だが、残念ながらきちんと観光できたのは、マアン・クロス( Maan Cross )(コネマラ地方各地からの道がここで交差する)とカイルモア修道院( Kylemore Abbey )(ベネディクト派の女子修道院)のみ。

 (写真は、カイルモア修道院)



 マアン・クロスではかつて映画『静かなる男』『E.T.』の撮影が行われたらしい(どのシーンかは不明)。
 カイルモア修道院は19世紀に建てられた美しいで現在は修道院として利用されている。



 このツアー、美しい自然よりもガイドの方が印象に残った。
 ほとんどの時間を車中(バス)で過ごしたにもかかわらず、彼のおかげでとても楽しいツアーとなった。



 ゴールウェイの宿(ユース・ホステル)で出会った台湾人旅行者から一つの言葉をもらったので最後に書き記しておきたい。

 「有志者事竟成」(強い意志があれば目的を必ず達成できる。)
 
 翌日、ゴールウェイの街に別れを告げ、Killarney (キラーニー)へと向かった。

※地図はこちら