Go straight till the end!!

世界一周の旅の思い出を綴っています。
ブログタイトルは、出発前に旅日記の表紙に書いた言葉です。

(216)ニューヨーク①(アメリカ)

2012-12-27 23:44:44 | アメリカ・エピローグ
 New York (ニューヨーク)には約1週間滞在している(杉山さん宅お世話になった)。

 【眠らない街】ニューヨークは、アメリカ合衆国北東部にある都市で大西洋に面し、アメリカのみならず世界でも最大規模の都市である(市域人口800万人以上、都市圏人口では2000万人以上になる)。
 元々約五千人の先住民(レナペ族)が住んでいた土地だったが、1624年にオランダ人入植者達によって交易場として築かれ、ニューアムステルダムと呼ばれていた。
 1664年にイギリス人が町を征服した際、ステュアート朝(1371年~1714年)イングランド王ジェームズ2世(ヨーク・アルバニー公)(1633年~1701年)(在位1685年~1688年)にちなんで【ニューヨーク】と名付けられ、その後貿易港として発展していく。
 独立戦争(1775年~1783年)後に合衆国の首都となった期間がある(1790年まで)。ちなみにニューヨークがアメリカ最大の都市になったのは1790年だそうだ。
 19世紀になると、ニューヨークは開発によって更に変貌を遂げ、19世紀末にはブルックリン市ニューヨーク郡リッチモンド郡クイーンズ郡西部が合併し、現在のニューヨーク市が形成された。
 1920年代には、London (ロンドン)を抜き世界最大の人口を擁する都市となり、1930年代になると都市圏の人口が1000万人を突破した。



 ニューヨークで観光したのは下記の通り。

エンパイア・ステート・ビル  【エンパイア・ステート】(帝国州の意)はニューヨーク州の異名。1931年完成。1972年にワールドトレードセンターノースタワーが竣工するまで40年以上の間世界一の高さを誇るビルだった。86階(高さ320m)の第二展望台まで上った。

ロックフェラーセンター  5番街と6番街、48丁目と51丁目に囲まれたエリア。19のビルが林立している。

タイムズスクエア  マンハッタンの中心地。ブロードウェイから7番街、42丁目から47丁目が交差する辺り。映画で何度も見た光景そのままだった。

セント・パトリック大聖堂  1858年に建設着工されたゴシック様式カトリック教会(全米最大)。

ニューヨーク市立図書館  建築や蔵書数(6500万点以上)で有名。一息つく為に立ち寄った。

国連(国際連合)本部  42丁目から48丁目までのエリアに立地。ツアーで見学も出来るようだが外から見ただけだ。 

マディソン・スクエア・ガーデン  7番街と33丁目の角に建つ大きな円柱形の白い建物。地下に地下鉄駅とアリーナ、劇場がある。

ニューヨーク証券取引所(NYSE)  ウォール街にあるアメリカ最大の株式取引所。当時はツアー(確か無料だったと思う)で内部を見学できた。



メトロポリタン美術館  通称メット( The Met )。この世界最大級の美術館の開館は1870年。絵画・彫刻・写真・工芸品ほか家具・楽器・装飾品など約300万点の美術品を所蔵。規模が巨大過ぎて一日で巡るのは難しい(かなり急ぎ足で見ることになってしまった)。

USTAナショナル・テニス・センター  クイーンズにあるフラッシング・メドウ・コロナ・パークにある全米オープンが開かれる会場。確か大会開催直前の時期で、世界のトップを狙うテニスプレーヤー達が練習をしていた。サイン待ちのファンに囲まれている選手もいたが、誰だったか確認していない。

シェイ・スタジアム  MLBニューヨーク・メッツのかつての本拠地(2009年以降シティ・フィールドが本拠地になり取り壊された)。アリゾナ・ダイヤモンドバックスとの試合を観戦した。



 観光というわけではないが、他に旅日記に書き記しているのは、杉山さんの職場のメキシコ人達とメキシカンレストランでディナーを食べたこと(大音量で音楽が流れており、曲がうるさくて会話にならなかった)。
 その他には当時読んでいた書籍の言葉など書き記している。

「時は神が平等に与え給うもの」

「自分の胸をからっぽにして心に何ごとも止めないでおけば、どんなことでもやって来たそのことに応じてうまく処置することができる。前から用意しておくと、その用意したことが心をふさぎとってやって来たことを完全にうけ入れることができない」


 (以下は、『アンネの日記 完全版』(文春文庫)より)

「この日光、この晴れた空、これらがあるうちは、けっして不幸にはならない」

「愛情とは、相手を理解すること、相手を気づかうこと、良きにつけ悪(あ)しきにつけ、それを相手と分かちあうこと」

「外へ出るのよ。野原へ出て、自然と、日光の恵みとを楽しむのよ。自分自身のなかにある幸福を、もう一度つかまえるように努めるのよ。あなたのなかとあなたの周囲とにまだ残っている、あらゆる美しいもののことを考えるのよ。そうすれば幸せになれるわ!」

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(215)ダブリン~シャノン(アイルランド)~ニューアーク(アメリカ)~ニューヨーク

2012-12-20 23:55:55 | アメリカ・エピローグ
 Dublin (ダブリン)の中心地から北に約12kmにあるダブリン国際空港までバスで移動し、Newark (ニューアーク)(ニューアーク州)(アメリカ)行きの飛行機に搭乗した。

 飛行機はクレア州Shannon (シャノン)にあるシャノン空港に立ち寄り、ここでアメリカに入国する前の事前審査(入国審査)を受けた。
 他の乗客はすんなり審査が終わったが、自分の番になるといろいろ質問を受け審査時間も長く感じられた。セルビアイスラエルでの出入国審査の嫌な記憶が頭をよぎった。
 時間にして15分位だろうか、ようやく入国が認められた。ダブリン~ニューアーク間の往復航空券を持っていたこともあり、米国に不法滞在しないと判断されたのだろう。
 
 飛行機で隣の席になった米国人とトランプをしたりして時間を潰しながらニューアーク・リバティー国際空港に着いた頃には夕方になっていた。所要7時間以上のフライトだ。

※ニューヨーク市域の主要3大空港・・・ニューアーク・リバティー国際空港、ジョン・F・ケネディ国際空港ラガーディア空港

 空港からバスと地下鉄を乗り継いでアメリカ最大の都市 New York (ニューヨーク)(ニューヨーク州)へ移動。交通量や人の数を比べてもダブリンとは桁違いの感じがした。そして何より忙(せわ)しない。
 最初の計画では最後の目的地(5つあった旅の目的地の1つ)を訪問後、ニューヨークから帰国する予定だったが、実際に来てみると旅の風情を全く感じることが出来ない(結果的に、この後の旅のスケジュールを変更することになった)。



 この日、旅先で出会った杉山さん宅に泊めて頂いた(杉山さん宅には約1週間泊めて頂いた)。人の縁に感謝したい。

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おまけ(その30)『キャラバン』

2012-12-13 23:40:00 | おまけ
(214)ダブリン(後編)(アイルランド)のおまけ記事



 映画『キャラバン』(原題“ Himalaya - l'enfance d'un chef ”)(エリック・ヴァリ監督)を紹介したい。



 (あらすじ)

 家畜のヤクを運搬手段とするネパール高原民族の商隊(キャラバン)が、街での取引を終えて高原の村に戻ってきた。しかしそこに長老ティンレの息子はいなかった。事故で命を落とし帰らぬ人となっていたのだ。
 次のキャラバンの隊長は有能な若者カルマと思われたが、長老ティンレは彼を息子の仇とみなし、まだ幼い孫のツェリンこそ後継者だと主張した。
 二人は対立したまま別々のキャラバンを率いて出発するが、一行の前には猛烈な嵐が…。ヒマラヤの大自然を舞台に、少年ツェリンの成長が描かれた物語。

 第72回アカデミー外国語映画賞ノミネート。仏セザール賞最優秀撮影賞音楽賞を受賞。フランスでは250万人以上を動員する大ヒットを記録。ネパール以外の製作国はフランス、スイス、イギリス(合作)。



・映画のの予告編はこちら

・映画本編(字幕無し)はこちら



 余談になるが、この旅で出会った旅行者達から何度かチベットの話を聞いており(中にはチベタン(チベット人)になりたいと言う旅人までいた)、チベットに対する強い憧憬があったのだが、この映画を見てチベットに行きたいと更に強く思うようになった(この映画はチベット文化圏を舞台にしている)。

 チベットに対する憧れの気持ちは止まず、数年後にチベットを訪問したのでその写真を一部紹介させて頂く。



(ポタラ宮(布達拉宮))





(セラ寺(色拉寺)の問答修行)





(ガンデン寺(甘丹寺)のシウタン祭(セタン祭))  ※シウタン(セタン)とは【シルクの仏画】の意





(ナムツォ(納木錯))  ※ナムツォとは【天の湖】の意





(ギャンツェ(江孜)のパンコル・チョーデ(白居寺)の仏像)





(カイラス山(須弥山)(神山))





(カイラス山五体投地巡礼者)


(214)ダブリン(後編)(アイルランド)

2012-12-06 23:55:55 | アイルランド・北アイルランド
 Dublin (ダブリン)滞在はわずかな期間だが、旅日記を読み返すと観光以外にも幾つかメモしていることがある。

Lisbon (リスボン)(ポルトガル)で会った旅人と再会し、食事をご馳走になった。彼は約2ヶ月間のヨーロッパの旅を終え、これから帰国するそうだ。

日本大使館で新聞を閲覧。

アメリカ大使館アメリカビザ申請について調べてみると、手続きがいろいろと面倒なことが分かり、結局申請していない。観光の場合90日以内ならビザは不要だったので(現在は90日以内の滞在でも ESTA (エスタ)という電子渡航認証システムによる事前申請が必要)、ビザを取らずに入国することにした。ビザ申請を検討したのは、入国審査で入国を拒否される可能性があったからだ。

New York (ニューヨーク)行きの航空券を手配した(実際には隣接州の都市 Newark (ニューアーク)まで往復約560ドル)。料金が高く感じられたが、8月は旅行シーズンの為航空券代が高いとのこと。

・映画『キャラバン』(原題“ Himalaya - l'enfance d'un chef ”)(エリック・ヴァリ監督)を観た。ネパールの映画で、ヒマラヤの地に生きる人々を描いている。詳細は忘れてしまったが、観客の欧米人達が爆笑しても、自分だけ笑えなかったシーンがあったのを憶えている。それは東洋と西洋の文化の違いによるものであり、自分が東洋人であることを強く意識した一瞬でもあった。

※【 l'enfance d'un chef 】は、【 the children of a chief 】(長老の子供たち)の意

※この映画で印象に残った言葉【二つの道があったら、険しい方を選べ】

※映画『キャラバン』のおまけ記事はこちら

・道端で出会ったアイルランド人の老夫婦に手紙の翻訳を頼まれている。ハガキに書かれていたのは日本語だった。アイルランドを旅行した日本人からのもので差出人の職業は板前さんらしい。そこにはアイルランド滞在中にお世話になったことの御礼と「是非日本に遊びに来て下さい。その時は私が奮(ふる)って料理を作ります」というようなことが書いてあった。内容を伝えると、ご夫妻は既に分かっていたかのような反応を見せた。気持ちは必ず伝わるものなのだろう。大切なのは言葉よりも伝えようとする気持ちなのだ。そのことを教えてもらい、且つ幸せの御裾分(おすそわ)けをしてもらった出来事だった。

【 You will never fail until you give up. 】(ダブリンのどこかで目にした言葉を書き記したものだろう)



 ダブリンに3泊した後、この旅最後の訪問国アメリカへと向かった。

※地図はこちら