Go straight till the end!!

世界一周の旅の思い出を綴っています。
ブログタイトルは、出発前に旅日記の表紙に書いた言葉です。

(222)サンフランシスコ(アメリカ)(前編)

2013-03-14 23:55:55 | アメリカ・エピローグ
 San Francisco (サンフランシスコ)(カリフォルニア州)は、アメリカ西海岸のサンフランシスコ半島の先端に位置するとても美しい街だった。
 ヨーロッパの街の雰囲気に近く、この旅で訪れた近代都市の中で、最も印象的な街の一つだ。
 数日間の滞在中、空は毎日晴れ渡り、気温も摂氏20度前後と過ごしやすかった。



 18世紀後半、かつては先住民達の村落があったこの地に、スペイン人入植者達が住み着いた。この地に入植したキリスト教フランシスコ会の修道士が、創設者の聖フランチェスコ(1182年~1226年)を街の名に付けたことが街の名前の由来らしい。
 1821年にメキシコ独立革命が起こり、スペインから独立しメキシコ領となったが、その後の米墨戦争(アメリカ・メキシコ間の戦争)(1846年~1848年)中にアメリカ領となった。
 その直後に起こったカリフォルニア・ゴールドラッシュにより街の人口が増大すると共に、街も発展し、交易地・金融センターとしての役割が増していった。
 街には多種多様な文化が入り交じり、第二次大戦後にはアメリカのカウンターカルチャーの中心地としての立場を築いた。



 この街では旅先で出会ったさん(仮名)宅に厄介になった(旅の縁に感謝)。
 城さんにいろいろと街を案内してもらった。観光したのは以下の通り。

グレース大聖堂  ゴールドラッシュの時代にグレース教会として建てられたが、1906年のサンフランシスコ大地震で焼失。その後1964年に再建された(ゴシック建築)。

チャイナタウン  ゴールドラッシュの時代に移民が押し寄せた。一時期移民法により移民が制限された時代もあったが、今やアメリカ最大のチャイナタウンだそうだ。

ロンバード・ストリート  この通りの一区画は【世界一曲がりくねった坂道】と呼ばれている。坂道の多いサンフランシスコの街でもここは別格で、急勾配の中、8つのヘアピンカーブが続く。

ノースビーチ(リトルイタリー)  かつては海岸線だったエリア。イタリア系の移民が多いことから、リトルイタリーとも呼ばれている。
 ここは、ビート・ジェネレーション発祥の地と呼ばれている。ジャック・ケルアック(1922年~1969年)やアレン・ギンズバーグ(1926年~1997年)等の詩人・小説家達の思想が若者達に影響を与え、後にヒッピー・ムーブメントへとつながっていった。
 (ちなみにこの旅の前にケルアックの小説『 On the road (路上)』を読んでいたが、サンフランシスコに来るまでそのことをすっかり忘れていた。)

フィッシャーマンズワーフ  漁師の波止場の意。イタリア人漁師の船着場として栄えたエリア。

Pier 39(ピア39)  フィッシャーマンズワーフの中でも最も集客のあるショッピングエリア。元々は桟橋だった場所。野生のアシカが住み着いていた。



 付近の寿司屋にて城さんにカリフォルニア巻をご馳走になった。
 (このエリアだったか記憶が定かではないが、)本屋の中にカフェが併設されており、購入していない本でもカフェでお茶を飲みながら閲覧可能だった。当時こういったサービスを日本では見かけなかった為、その発想に驚いたのを覚えている。

サンフランシスコ海洋国立歴史公園  フィッシャーマンズワーフから【世界一美しい吊り橋】ゴールデン・ゲート・ブリッジ方面に向かって海沿いに歩いて行くとこのエリアに辿り着く。
 第二次大戦時の潜水艦パンパニト( USS Pampanito, SS-383 )が停泊し、公開されている(内部を見学した)。

アルカトラズ島  通称【ザ・ロック(監獄島)】。フィィッシャーマンズワーフの沖3km程に位置する島。脱獄不可能と形容された刑務所として使用された。マフィアの帝王アル・カポネ(1899年~1947年)も服役している。見学の為、フェリーツアーに参加した。



ジャパンタウン  サンフランシスコ大地震の後、荒れ地に日本系移民が住み始め、日本人街となった。ジャパンセンターにて書籍を購入している。

※購入した書籍『 enduring spirit 』のおまけ記事はこちら

ヘイトアシュベリー  1960年代のヒッピー発祥の地。お洒落なお店が多く、街の雰囲気に感化され、ここでTシャツを購入した。
 恐らくこのエリアだったと思うが、神秘的な雰囲気を醸(かも)し出す専門書の書店に入ったところ、そこには当時の日本ではあまりお目にかかれない書籍が並んでいた(ニューエイジ精神世界関連の本)。

カストロストリート  虹色の旗(レインボーフラッグ)で彩(いろど)られたエリアがあったので、不思議に思い城さんに尋ねたところ、サンフランシスコはゲイ・カルチャーの街でもあるということだった。6色のレインボーは多様性を意味する。
 (今でこそ LGBT と言う言葉を日本でも聞くようになったが、当時は何のことか分からなかった。)

※LGBT:女性同性愛者(レズビアン、Lesbian )、男性同性愛者(ゲイ、Gay )、両性愛者(バイセクシュアル、Bisexual )、トランスジェンダー( Transgender )の各単語の頭文字を組み合わせた表現。



 当時、アメリカは日本の10年後の姿と言われていたが、この街を観光した時のことを思い出すと、確かにその通りだと思う(今はタイムラグが短くなったように感じる)。

※地図はこちら


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