Go straight till the end!!

世界一周の旅の思い出を綴っています。
ブログタイトルは、出発前に旅日記の表紙に書いた言葉です。

おまけ(その15)パチパチおじさん(スーフィーダンス)

2011-04-28 23:55:55 | おまけ
(142)カイロ(後編)(エジプト)のおまけ記事



 パチパチおじさんスーフィーダンス動画を発見したので紹介したい。

 

 動画(スーフィーダンス( Cairo in Egypt 3)こちら

 興味のある方はこちらもどうぞ。

スーフィーダンス( Cairo in Egypt 1)

スーフィーダンス( Cairo in Egypt 2)

スーフィーダンス( Cairo in Egypt 4)

スーフィーダンス( Cairo in Egypt 5)



 スーフィーダンスとは、回転舞踊(旋舞)を踊るスーフィズム(イスラム神秘主義)の修行の一つ。
 スカート状の服を穿(は)き、音楽に併せて回転することで陶酔感を得て神との一体化を求める。



 スーフィズムとは、アラビア語【タサッウフ】と呼ばれる。スーフ(羊毛)で出来た粗末な衣装を身にまとった者という意。
 禁欲的で厳しい修行を行い、回旋舞踊の他にも導師の下で修行(マカーマート)を行い、一心に神の事をのみ考え、神と合一したという悟りが訪れるのを待つ。
 この境地【ファナー(融合)・バカー(持続)】に至った者は、聖者に認められ、崇拝の対象となった。

 ちなみに人名にも用いられるダルヴィーシュ】とは、このスーフィズムの修道僧、または托鉢僧のことらしい。

(142)カイロ(後編)(エジプト)

2011-04-21 23:56:20 | エジプト
 ローマ帝国の属州だった頃まで、Cairo (カイロ)の街は未開地域だった。
 カイロの街が栄えるのはアイユーブ朝(1171年~1342年)の時代になってからだ。

 アイユーブ朝の創始者サラディン(サラーフッディーン、サラーフ=アッディーン)(1137年または1138年~1193年)は政府機能の一切をカイロに集約させた。
 更にアイユーブ朝に続くマムルーク朝(1250年~1517年)の時代になると、交易によって最盛期を迎えた。

 しかし15世紀になると、ペストの流行などが原因で衰えを見せ始める。
 1516年にオスマン帝国に征服され一地方都市に過ぎなくなってしまい、政治的・文化的には停滞期に入るが、交易の要衝としての役割は失われず、再び繁栄を極めることになる。

 19世紀後半には Paris (パリ)(フランス)の都市計画に倣った新市街が建設されるなど、近代化への道を歩んだ。



 前回はエジプト考古学博物館を観光したが、今回観光したのは下記の通り。



シタデル(イスラム地区)  1176年にサラディンが対十字軍の拠点として建設した城塞。市内を一望できる場所にあり、19世紀に至るまで政治的中枢としての役割を果たした。  

 (写真は、シタデルからの眺望)



ガーマ・ムハンマド・アリ(ムハンマド・アリ・モスク)(イスラム地区)(世界遺産)   シタデル内部にある。【近代エジプトの父】と呼ばれたオスマン帝国のエジプト総督ムハンマド・アリー・パシャ(1769年?~1849年)の命により1857年に完成した。ムハンマド・アリーは実質的な独立政権(ムハンマド・アリー朝(1805年~1953年))の創始者であり、ここはその墓所でもある。



 (下記はモスクの天井の写真)



 イスラム地区はもちろんのこと、オールド・カイロや市内の各所にいろいろ見所がある。
 しかし、観光には出掛けなかった。
 正直、ピラミッドを見れただけで満足していたのかもしれない。

 

 他には高級ホテルのカジノにも出かけている。

 カジノに出掛けた目的は、T/C(トラベラーズ・チェック)の両替だった。
 T/Cの発行会社にもよるが、カイロの銀行では両替出来なかったような記憶がある(或いはレートが良くなかったのかもしれない)(現在の状況は不明)。

 500ドル分のT/Cをチップに両替し、カジノで少し遊んだ(あくまで両替が目的なのでほどほどに)。
 最初に遊んだスロットマシンで少し勝ち分があったので、それを使って1時間程賭けに興じてから残金を米ドルのキャッシュ(現金)に両替した。
 ラッキーなことに500ドル分のキャッシュがまるまる残った。
 高級ホテルで少しリッチな気分を味わいつつ両替も行う。ドリンクも無料だったので楽しい1時間となった。

 旅仲間の中には、カジノで稼いでいる人もいたし、逆に大損をしている人もいた。
 自分にはそのどちらにもなれるだけの度胸が無かったと思う。だが結果的にそれで良かったと思っている。

 

 そして再びスーフィーダンスを見に行った。
 
※スーフィーダンスとは、回転舞踊(旋舞)を踊るスーフィズム(イスラム神秘主義)の修行の一つ。

 この時初めてスーフィーの達人パチパチおじさんの踊りを見ることが出来て感激したのを覚えている(旅仲間からも絶大な人気だった)。



 それまでの踊り手からは必死さばかり伝わってくる感じだったが、このパチパチおじさんの恍惚の表情に本物のスーフィーダンスを【観】させてもらった気がした




 
 パチパチおじさん、クワイエス( Good )!!



※パチパチおじさん(スーフィーダンス)のおまけ記事はこちら



 他に覚えていることと言えば、TVで UEFA チャンピオンズリーグの決勝を見たこと。
 レアル・マドリードバレンシアを3-0で下した試合だった。

 この試合をTV観戦した後、何が何でも Casablanca (カサブランカ)(モロッコ)で開催されるハッサン2世国王杯を見に行きたくなった。

 この後の訪問予定地イスラエルから、モロッコ行きの飛行機があるのか分からないが、とにかく行く方法を探すしかない。

 ちなみに、旅人にモロッコ情報を聞くと、結構評判が良かった。
 中には「イエメンがいいよ。」と、目移りする情報をくれる人もいたが、とにかくまずイスラエルに行くと決めた。
 なぜならミレニアムの年(西暦2000年)に Jerusalem (エルサレム)(イスラエル)に行くというのが、この旅の目的の一つだったからだ。

 カイロの街はバックパッカーにとって滞在しやすい街だったが、長居することを諦め次の目的地エルサレムに向かうことにした。

※地図はこちら

(141)ギザ(エジプト)

2011-04-14 06:12:24 | エジプト
 Alexandria (アレクサンドリア(アレキサンドリア))に2泊した後、首都 Cairo (カイロ)へ戻った(所要3時間)。

 アフリカ最大の都市(現在の人口は約1700万人)だけあって、せわしない感じがするし喧騒もひどい。

 しかし、まだ見ぬピラミッドスフィンクス(共に世界遺産)を見るのを楽しみにしていたのは確かだ。

【中東の3P】と言えば、Petra (ペトラ)(ヨルダン)、Palmyra (パルミラ)(シリア)、Persepolis (ペルセポリス)(イラン)だが、ここに Pyramid (ピラミッド)を加えて【中東の4P】 と呼ぶ旅人もいた。



 カイロ到着翌日、近郊の Giza (ギザ)の台地へと向かった(バスで所要30分)。



 ギザに近づくにつれ、ピラミッドが見えてくる。久しぶりにテンションが高まった。

 ピラミッドを目前にして改めて思った。【百聞は一見に如かず】と。

 建造物でここまで圧倒されたのはほとんど記憶にない。インドのタージ・マハール( Taj Mahal )以来かもしれない。



 スフィンクス(アラビア語で【アブル・ホール】(畏怖の父の意))(全長73.5m、高さ20m)も圧巻だ(しかしピラミッドに比べると小さく感じられた)。



 (下記の写真は、手前からクフ王のピラミッド(高さ146.6m(現在の高さ138.8m))、カフラー王のピラミッド(高さ143m(現在の高さ136m))、メンカウラー王のピラミッド(高さ65.5m))





 ピラミッドの登頂は当時も禁止されていた(監視員が見張っていた)。
 かつては頂上から朝陽を見れたそうだ(それにしても登るのは結構ハードだと思う)。



 クフ王のピラミッド内を見学している。
 まず感じたのはその湿気と、道の狭さだ。

 日本の梅雨程ではないが、外部の乾燥した気候に比べ、汗が出てくるような湿気を感じた。
 それでも内部の湿度は一定に保たれているのだろう。

 通路は非常に狭く、人と人とがすれ違うことさえ出来ないような細く長い階段が続く(閉所恐怖症の人は入れないかもしれない)。
 内部の観光客が少ないのが幸いだった(昼過ぎに行ったのだが、涼しい午前中は混んでいるかもしれない)。



 現在は内部の撮影禁止らしいが、当時は撮影OKだった(しかし、湿気の為レンズが曇ってしまい、綺麗な写真は撮れなかった)。

 (下記の写真は玄室)



 写真には写っていないが、ここで瞑想する白人女性がいたのを覚えている。
 密閉された暑い部屋にいるにもかかわらず、そんなことはいっこうに気になっていないようだった。ピラミッド・パワーを感じていたのだろうか。



 いろいろ周囲を散策しようと思っていたが、砂嵐がひどくなってきたので諦めた。

 (写真手前の小さなピラミッドは王妃のピラミッド)



 ギザの三大ピラミッドが建てられたのは【エジプト古王国時代(第3~第6王朝)】(紀元前2686年頃~紀元前2185年前後)だ。
 この時代のピラミッドがピラミッド建築史上最高の技術・規模を示すことから、別名【ピラミッド時代】とも言われている。



※地図はこちら

おまけ(その14)『アレクサンドリア』

2011-04-07 23:46:40 | おまけ
(140)アレクサンドリア(エジプト)のおまけ記事

※誤って記事を削除してしまった為、書き直しました。



 映画『アレクサンドリア』(アレハンドロ・アメナーバル監督)を紹介したい。
 舞台は4世紀末、ローマ帝国の支配下にあった Alexandria (アレクサンドリア)。
 守護神セラピスをはじめとするエジプトの神々を信奉する時代が終わりに近づいていた頃、新興勢力としてのユダヤ教徒キリスト教徒の台頭にあい、アレクサンドリアの大図書館は異教の魔窟として破壊されてしまう。

 「二つのものが三つめとも等しいなら、全ては互いに等しい」

 【違い】よりも【共通】に目を向けよと語る女性天文学者ヒュパティア(主人公)だが、学問に捧げたかった自らの運命は時代の渦に巻き込まれていく。



 この映画を映画館で観たのは震災後だった。この映画を観て何を感じたかは思い出せない(削除前の記事に書いていたかもしれないが)。
 今回DVDを借りてもう一度観てみたが、制作費7000万ドルという巨費を投じただけあって、スケールの大きい映画だと思った。

※映画『アレキサンドリア』の公式サイトはこちら(⇒残念ながら、リンク先は削除された模様)