前回訪問時から5年経ったこの日、Sofia (ソフィア)の街で行われる解放記念日(3月3日)の式典を見るつもりでいた。
5年前のセレモニーと比べてみたかったし、再び当時の感動を味わいたかった。
当時一緒に旅をしていた大学生の青年も誘ってみた。
卒業旅行で来ていた彼は、この後就職して社会に出ることになる。
そんな彼に旅の種を植え付ける行為になるようで一瞬誘うのを躊躇(ちゅうちょ)したが、今後長期旅行は無理だとしても旅に出られないわけではない。
彼はいつか今日のことを思い出し、再びバックパッカーとして長期の旅に出たくなるだろう。
そこで踏みとどまるか、飛び出してしまうか、それは本人次第。そしてどちらの選択が better とも言えない。個人的にはどちらも正しいのだと思う。宇宙に無駄はない。
前回と同じ、解放者記念像前で待機していると、今回の式典はここでは行われないと告げられた。僅(わず)かに離れたアレクサンドル・ネフスキー寺院前で行われるらしい。
慌てて駆け付けると、ちょうどストヤノフ( Petar Stoyanov )大統領が到着したところだった。前回見たジェレフ大統領の後任者だ。
SPも付いていたが、自分の目の前2~3mのところに大統領がいて、TVクルーのインタビューに答えていた。
ここで勝手に写真を撮らせてもらうことにした。大統領を目の前にするチャンスなどめったにない。
しかし、目の前でフラッシュをたくのが躊躇(ためら)われた(夜間だったので撮影にはフラッシュが必要)。
ストヤノフ氏にとっては慣れっこかもしれないが、断りもせずにいきなり眩(まぶ)しい光を浴びせることが失礼に思えたからだ。
結局、フラッシュを使用せずに撮影した大統領の写真は全てピンボケだった。
大学生の青年がフラッシュを使用していたので自分一人我慢しても意味が無かったかもしれないが仕方ない。
余談になるが、旅先で今この瞬間にシャッターを切ればいい写真が撮れるという瞬間が何度かあった(当時写真には興味なかったのだが、そんな自分にも分かる瞬間があった)。
しかし、相手の意向を尋ねずに写真を撮ることが失礼に思えてしまい、相手に確認してから写真を撮っていた。
断られることもあったし、許可してもらって写真を撮ってもカメラを意識した状態での撮影になってしまい、瞬間を切り取った写真には程遠いものになってしまうのだった。
そんなこんなで国歌の演奏やパレードが終わりに近づいた瞬間、5年前と変わらぬ光景が繰り広げられた。
上空には花火が上がり、ラディソン・サス・ホテルの最上階では機関銃の空砲掃射の閃光が見えた。ダダダダダダダダ・・・・という機関銃の音も聞こえてくる。
再び解放者記念像前まで駆け戻ったが、掃射は終わってしまった。
この場で式典を見ていた国民が感慨に浸っている。5年前と同じだ。
再度この式典を見れて良かったと思う。
現在でもこのイベントは続いていると思うが、国民の捉え方はどうなっているのだろう。
※地図はこちら
5年前のセレモニーと比べてみたかったし、再び当時の感動を味わいたかった。
当時一緒に旅をしていた大学生の青年も誘ってみた。
卒業旅行で来ていた彼は、この後就職して社会に出ることになる。
そんな彼に旅の種を植え付ける行為になるようで一瞬誘うのを躊躇(ちゅうちょ)したが、今後長期旅行は無理だとしても旅に出られないわけではない。
彼はいつか今日のことを思い出し、再びバックパッカーとして長期の旅に出たくなるだろう。
そこで踏みとどまるか、飛び出してしまうか、それは本人次第。そしてどちらの選択が better とも言えない。個人的にはどちらも正しいのだと思う。宇宙に無駄はない。
前回と同じ、解放者記念像前で待機していると、今回の式典はここでは行われないと告げられた。僅(わず)かに離れたアレクサンドル・ネフスキー寺院前で行われるらしい。
慌てて駆け付けると、ちょうどストヤノフ( Petar Stoyanov )大統領が到着したところだった。前回見たジェレフ大統領の後任者だ。
SPも付いていたが、自分の目の前2~3mのところに大統領がいて、TVクルーのインタビューに答えていた。
ここで勝手に写真を撮らせてもらうことにした。大統領を目の前にするチャンスなどめったにない。
しかし、目の前でフラッシュをたくのが躊躇(ためら)われた(夜間だったので撮影にはフラッシュが必要)。
ストヤノフ氏にとっては慣れっこかもしれないが、断りもせずにいきなり眩(まぶ)しい光を浴びせることが失礼に思えたからだ。
結局、フラッシュを使用せずに撮影した大統領の写真は全てピンボケだった。
大学生の青年がフラッシュを使用していたので自分一人我慢しても意味が無かったかもしれないが仕方ない。
余談になるが、旅先で今この瞬間にシャッターを切ればいい写真が撮れるという瞬間が何度かあった(当時写真には興味なかったのだが、そんな自分にも分かる瞬間があった)。
しかし、相手の意向を尋ねずに写真を撮ることが失礼に思えてしまい、相手に確認してから写真を撮っていた。
断られることもあったし、許可してもらって写真を撮ってもカメラを意識した状態での撮影になってしまい、瞬間を切り取った写真には程遠いものになってしまうのだった。
そんなこんなで国歌の演奏やパレードが終わりに近づいた瞬間、5年前と変わらぬ光景が繰り広げられた。
上空には花火が上がり、ラディソン・サス・ホテルの最上階では機関銃の空砲掃射の閃光が見えた。ダダダダダダダダ・・・・という機関銃の音も聞こえてくる。
再び解放者記念像前まで駆け戻ったが、掃射は終わってしまった。
この場で式典を見ていた国民が感慨に浸っている。5年前と同じだ。
再度この式典を見れて良かったと思う。
現在でもこのイベントは続いていると思うが、国民の捉え方はどうなっているのだろう。
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