Go straight till the end!!

世界一周の旅の思い出を綴っています。
ブログタイトルは、出発前に旅日記の表紙に書いた言葉です。

(137)ルクソール(エジプト)

2011-02-17 23:56:40 | エジプト
 首都 Cairo (カイロ)から Lukor (ルクソール)までは夜行列車(寝台車)を利用した。

 ルクソールまでは9時間半。エアコンが効いていて快適だと思ったのは最初だけで、その寒さに震えることとなった。窓が開かないのでとにかく毛布にくるまって寒さをしのいだ。

 ルクソールに着くと、客引きが寄って来る。客引きにしつこくされたのが久しぶりなら、冷たい態度で追っ払らうのも久しぶりだった。
 正直この街もお金に関してはあまりいい思いをしなかった。物を買う際には必ずふっかけてくるので、いちいち値段交渉をしなければならなかった。



 ここにはかつて太陽神アメン(アムン)・ラーを祀った古代エジプトの都テーベがあった。街はナイル川によって分断されており、ナイル川の東岸(太陽が昇る側)には、カルナック神殿ルクソール神殿など生を象徴する建物が、西岸(太陽が沈む側)には死を象徴する、王家の谷王妃の谷などがある。
 現在、この街一帯の遺跡は、【古代都市テーベとその墓地遺跡】として世界文化遺産に登録されている。



 街に到着してすぐに観光に出かけている。
 観光したのは下記の通り(この日はナイル川東岸を観光している)。

・ルクソール神殿  アメン大神殿の付属神殿として建立され、かつてスフィンクス街道(スフィンクスが並ぶ参道)によってカルナック神殿と結ばれていた。

 (写真は、ラムセス2世像。ラムセス2世(紀元前1314(1302)年頃~紀元前1224(1212)年頃)は、古代エジプト第19王朝のファラオ(在位は紀元前1279(1290)年~紀元前1212(1224)年)。)



・カルナック神殿  アメン大神殿のみ、ムート大神殿には行かず。アメン大神殿はエジプトで最大規模の神殿。太陽神アメン・ラーを祀(まつ)っている。もともとアメン神は地方都市テーベの神だったのだが、テーベの発展と共に太陽神ラーと統合され国家の最高神となった。歴代のファラオがこの地に様々な建造物を寄進した為、カルナック神殿は巨大な神殿となった。夜になるとライトアップされ、とても幻想的だ。

 (写真は、ピネジェムの像)



 (大列柱室の列柱群は圧巻)





 翌日は涼しい早朝から動く予定だったが、暑さの為よく眠れず、寝坊してしまった。
 それでも午前中から自転車を借りて精力的に観光している。

 まず、フェリーでナイル川西岸に渡った。

 川を見つめる老人を見て、何故かかなわないと思ったと旅日記に書き記している。
 その老人の瞳に生きてきた人生の重みを感じたようだ。

 西岸で観光したのは下記の通り。

メムノンの巨像  2体の巨像は、古代エジプト第18王朝のファラオだったアメンホテプ3世(在位は紀元前1388年(?) ~紀元前1351年(?))のもの(高さ18m)。呼び名はギリシアの伝説、メムノン王に由来。

ラムセウム(ラムセス2世葬祭殿)  ラメセス2世は多くの葬祭殿を建築しており、ここもその一つ。現在は塔門と列柱室の一部が残るのみ。

ハトシェプスト女王葬祭殿  ハトシェプスト女王は、古代エジプト第18王朝5代目のファラオ(在位は、紀元前1479年頃~紀元前1458年頃)。今ではルクソール事件が起こった場所として有名になっている。1997年に起こったルクソール事件では、イスラム原理主義過激派によるテロにより日本人10名を含む63名の方が亡くなっている。ご冥福をお祈りした。



王家の谷 



 自転車で山を越えるのはきつかったが、そこはピラミッド(?)(上記の写真)が見下ろす谷にある岩窟墓群。古代エジプトの新王国時代(紀元前1570年~紀元前1070年)の王たちの墓が集中していることからこの名が名付けられた。24の王墓を含む64の墓が発見されている(東の谷に60、西の谷に4の墓がある)。多くの墓が盗掘されてしまったが、ツタンカーメン(トゥトアンクアメン)(紀元前1342年頃~紀元前1324年頃)(古代エジプト第18王朝のファラオ(在位は紀元前1333年頃~紀元前1324年頃)の墓は未盗掘で副葬品が完全な形で発見されている(1922年)。人気のツタンカーメンの墓を見学した。帰り道、道に迷って立ち入り禁止区域に行ってしまいポリスに追い返された。

貴族の墓  壁画が有名。数多くの墓があり、チケットは幾つかの墓がセットになっている。番人が鏡を使って中を明るくしてくれるがバクシーシを要求してくる(写真撮影に対しても)。墓の中には蝙蝠(こうもり)もいた。観光した墓はラモーゼ(宰相)(泣き女の壁画が有名)、ウセルヘト(書記)、カ(ー)エムヘト(書記)、ケルエフ(宰相)。
 
ラムセス3世葬祭殿  ラムセス3世は古代エジプト第20王朝のファラオ(在位は紀元前1186年~紀元前1155年)。この葬祭殿は、ラムセウム(ラムセス2世葬祭殿)を模倣して造られている。紀元後にはコプト教徒の街になっていたらしい。ここで横になって古代に想いを馳せているうちに寝てしまった(一日中自転車をこいでいて相当疲れたのだろう。ルクソール観光はバスツアーをお勧めする)。 



 この日、用意した水分はペットボトル3本のミネラルウォーターと果物(メロン、みかん)だったが、それでも足りず最後は現地の人に水をもらっている。
 水をくれたのは Ahmed (アハメッド、アフメッド)という好青年で、家に招待してくれた。
 彼の家は山の斜面を掘り抜いた洞窟のようなところにあり、その中はとても涼しかった。
 子供達(彼の兄弟姉妹達)がとても可愛かったのを覚えている。
 Ahmed は言う。

 「ちょうど今晩友人の結婚パーティーがあるので、よかったら君も来ないか?」

 しかし、暑い日差しの中一日中自転車で観光していた為、正直疲労困憊(こんぱい)の状態だった。
 宿に帰ってから返事をすることにして彼と別れた。



 宿に帰り、ちょっと休憩を取ることにした。
 しかし、少し休んだくらいでは回復出来ない程疲れ切っていた。

 せっかくのお誘いだったが断ることにして、宿の従業員に電話を貸してくれと頼むと、彼がその理由を聞いてきた。説明を聞いた彼が言う。
 
 「電話する必要はない。そんな話は嘘だ。」

 彼の意見では、それはよくある話で人のいい日本人はよく騙されるということだった。
 この地で昔日本人観光客も犠牲になったルクソール事件が起こったことが頭によぎった。
 結局断定的な彼の意見に従い、(悪いと思ったが)電話せずに約束をドタキャンしてしまった。
 個人的には Ahmed が嘘を言っているようには思えなかったのだが、この地に長年住んでいる従業員の意見を覆(くつがえ)すだけの根拠もなかったし、どちらにせよ断るつもりだったのだ。



 この日最後に旅日記に書き記した言葉を転記させて頂く。書名は書いていないが、おそらく読んでいた本から書き写したものと思われる。

 光は宇宙の信号 風は宇宙の愛撫 心は宇宙の言葉

 感覚的には、この地に合っている言葉のような気がする。

※地図はこちら