ユーフラテス川流域の街 Dayr az-Zawr (デリゾール)で雨が降ったので、Palmyra (パルミラ)(世界遺産)へと戻り夕陽を見ることにした。
バスで約2時間の移動なのだが、窓が壊れていて大変だった。風で砂が舞っているので、窓を開けていると砂塵が入ってくるのだ。
3度目の訪問となるパルミラには昼頃到着した。日没まで時間があったのでツアーに参加することにした。
エラベール家の塔墓と3兄弟の地下墓室(壁画が有名)、そしてアラブ城を巡るツアーだった。
ありがちなことなのだが、アラブ城に到着してからガイドが「アラブ城に入るには別途入場料がかかる。」と言う。どうやら入場料はツアー代には含まれていないらしい(前回日没間際に徒歩で行った時は、入場料を徴収されなかった)。
入場料のことは事前に告知を受けていなかったし、前回は払わなかったとガイドに説明して、払わない方向で話がまとまりかけていた。
しかし、同行していたフランス人夫妻があっさり払ってしまったおかげで、ごねている自分がみっともないという状況に置かれてしまい結局支払った。金額的にはわずか数百円の出費だが腹が立った。
実はこの時イライラしていたのは他に原因があったと思う。空は晴れていたが靄(もや)がかかっていたのだ。
これはパルミラ到着時に分かっていたことだったが、駄目もとでアラブ城に夕陽を見に来たのだった(アラブ城は丘の上にある)。結局この日も期待通りの夕陽を見ることは出来なかった。
一番最初にここに来た日のあの澄んだ空が、実はめったにお目にかかれないものだったとは・・・。
あれは恩寵ともいうべき贈り物だったのだろう。そして恩寵を受け取ることの出来るチャンスは決して逃してはならないのだ。
あの時、予定通り Hama (ハマ)の街に戻ったわけだが、左脳通りに動くのではなく右脳に従ってパルミラの街に残るべきだったのだろう。
当時読んでいた本の一文を旅日記に書き写している。
「実際にはこの世界で切りのつくことなんか何もない筈(はず)なんですが、切りをつけた形にして、それで終わりにするのがコツです。」(『宣告』(加賀乙彦著)(新潮文庫))
そしてこう書いている。
「とにかく何があっても感謝して、そして先に進もう。」
この言葉は旅を通じて心に決めていたことでもある。
結局パルミラで美しい夕陽を見るのを諦め、翌日バスでシリアの首都 Damascus (ダマスカス)へと向かった。
※地図はこちら
バスで約2時間の移動なのだが、窓が壊れていて大変だった。風で砂が舞っているので、窓を開けていると砂塵が入ってくるのだ。
3度目の訪問となるパルミラには昼頃到着した。日没まで時間があったのでツアーに参加することにした。
エラベール家の塔墓と3兄弟の地下墓室(壁画が有名)、そしてアラブ城を巡るツアーだった。
ありがちなことなのだが、アラブ城に到着してからガイドが「アラブ城に入るには別途入場料がかかる。」と言う。どうやら入場料はツアー代には含まれていないらしい(前回日没間際に徒歩で行った時は、入場料を徴収されなかった)。
入場料のことは事前に告知を受けていなかったし、前回は払わなかったとガイドに説明して、払わない方向で話がまとまりかけていた。
しかし、同行していたフランス人夫妻があっさり払ってしまったおかげで、ごねている自分がみっともないという状況に置かれてしまい結局支払った。金額的にはわずか数百円の出費だが腹が立った。
実はこの時イライラしていたのは他に原因があったと思う。空は晴れていたが靄(もや)がかかっていたのだ。
これはパルミラ到着時に分かっていたことだったが、駄目もとでアラブ城に夕陽を見に来たのだった(アラブ城は丘の上にある)。結局この日も期待通りの夕陽を見ることは出来なかった。
一番最初にここに来た日のあの澄んだ空が、実はめったにお目にかかれないものだったとは・・・。
あれは恩寵ともいうべき贈り物だったのだろう。そして恩寵を受け取ることの出来るチャンスは決して逃してはならないのだ。
あの時、予定通り Hama (ハマ)の街に戻ったわけだが、左脳通りに動くのではなく右脳に従ってパルミラの街に残るべきだったのだろう。
当時読んでいた本の一文を旅日記に書き写している。
「実際にはこの世界で切りのつくことなんか何もない筈(はず)なんですが、切りをつけた形にして、それで終わりにするのがコツです。」(『宣告』(加賀乙彦著)(新潮文庫))
そしてこう書いている。
「とにかく何があっても感謝して、そして先に進もう。」
この言葉は旅を通じて心に決めていたことでもある。
結局パルミラで美しい夕陽を見るのを諦め、翌日バスでシリアの首都 Damascus (ダマスカス)へと向かった。
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