Chefchaouen (シャウエン)を発った後、すぐにスペインに入国せずにモロッコでもう1泊することにした。
なるべくなら、早い時間帯でスペインに入国した方がいい。入国審査や情報収集、両替・・・やることはたくさんある。しかも国境を越えるとシステムが変わる。それを考慮した上でもいろいろと制限の多い夕方以降の時間帯で入国するのをは避けたい。その為に、入国前日はなるべく国境に近い位置で迎えたかった。
ジブラルタル海峡を渡るには、西の Tanger (タンジェ)からのルートと、東の Ceuta (セウタ)(スペイン)からのルートがある。
タンジェはとにかく旅行者の中で評判が悪かった。物価も高いし、人もすれているらしい。その情報を元にセウタからスペイン入りすることに決めたのだが、セウタも宿代等の物価が高いと考え、結局セウタの南にある Tetouan (テ(ィ)トゥアン)に宿をとった。
シャウエンからティトゥアンまでバスで約2時間。バスターミナルから近い HOTEL TREBOL に宿泊している。
この街の歴史は紀元前3世紀頃から始まっているらしい。
もともとベルベル人の国マウレタニアに属する町であったが、その後ローマ帝国の属州となっている。
現在のティトゥアンの街がマリーン朝(1196年~1465年)によって築かれたのは1305年頃。
15世紀末にはレコンキスタ(キリスト教国によるイベリア半島の再征服活動)でイベリア半島を追われた難民が押し寄せてテトゥアンを再建した(特に1492年のグラナダ陥落で)。その為、ティトゥアンの街は【グラナダの娘】とも呼ばれている。
※グラナダ陥落・・・イベリア半島における最後のイスラム王朝、ナスル朝グラナダ王国(1232年~1492年)がカスティ(ー)リャ王国(1035年~1715年)とアラゴン王国(1035年~1715年)の連合王国によって滅ぼされた。
また、ティトゥアンは、1913年から1956年に独立国モロッコが誕生するまでの間、スペイン領モロッコの首都でもあった。
この街の旧市街は世界遺産に認定されているが、当時そのことを知らなかったように思う。街をブラブラ散策した位で特に観光はしていない。
※地図はこちら
なるべくなら、早い時間帯でスペインに入国した方がいい。入国審査や情報収集、両替・・・やることはたくさんある。しかも国境を越えるとシステムが変わる。それを考慮した上でもいろいろと制限の多い夕方以降の時間帯で入国するのをは避けたい。その為に、入国前日はなるべく国境に近い位置で迎えたかった。
ジブラルタル海峡を渡るには、西の Tanger (タンジェ)からのルートと、東の Ceuta (セウタ)(スペイン)からのルートがある。
タンジェはとにかく旅行者の中で評判が悪かった。物価も高いし、人もすれているらしい。その情報を元にセウタからスペイン入りすることに決めたのだが、セウタも宿代等の物価が高いと考え、結局セウタの南にある Tetouan (テ(ィ)トゥアン)に宿をとった。
シャウエンからティトゥアンまでバスで約2時間。バスターミナルから近い HOTEL TREBOL に宿泊している。
この街の歴史は紀元前3世紀頃から始まっているらしい。
もともとベルベル人の国マウレタニアに属する町であったが、その後ローマ帝国の属州となっている。
現在のティトゥアンの街がマリーン朝(1196年~1465年)によって築かれたのは1305年頃。
15世紀末にはレコンキスタ(キリスト教国によるイベリア半島の再征服活動)でイベリア半島を追われた難民が押し寄せてテトゥアンを再建した(特に1492年のグラナダ陥落で)。その為、ティトゥアンの街は【グラナダの娘】とも呼ばれている。
※グラナダ陥落・・・イベリア半島における最後のイスラム王朝、ナスル朝グラナダ王国(1232年~1492年)がカスティ(ー)リャ王国(1035年~1715年)とアラゴン王国(1035年~1715年)の連合王国によって滅ぼされた。
また、ティトゥアンは、1913年から1956年に独立国モロッコが誕生するまでの間、スペイン領モロッコの首都でもあった。
この街の旧市街は世界遺産に認定されているが、当時そのことを知らなかったように思う。街をブラブラ散策した位で特に観光はしていない。
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