この日は、Syracuse (シラキュース)(ニューヨーク州)の Downing International Hostel (ユースホステル)に宿泊した。
宿には数人のアメリカ人国内旅行者が宿泊しているだけで、とても静かだった。
夕食後、地図とにらめっこをしながら、これからどうするかを考えた。
五つあった旅の目的地は全て巡った。
ここで旅を終わりにするか。それとも先に進むか。
※五つの旅の目的地・・・ Hunza (フンザ)(パキスタン)、Maramures (マラムレシュ地方)(ルーマニア)、Jerusalem (エルサレム)(イスラエル)、アイルランド、イロコイ族の居留地(アメリカ)
当初の予定では、イロコイ族に会った後、New York (ニューヨーク)から飛行機で日本に帰るつもりだった。
だが実際に目的を達した時に、ニューヨークに戻る気にはなれなかった。大都会ニューヨークには旅の情感というものを感じることが出来なかったからだ。
所持金は底を尽きかけていたが、旅の終わりという実感がまだ湧かなかった。
あと少し、旅を終えるにあたって何か背中を一押しするきっかけが欲しいと感じていた矢先、旅先で会った旅人(城さん(仮名))と連絡が取れた。
彼は San Francisco (サンフランシスコ)(カリフォルニア州)に住んでおり、行けば家に泊めてくれるという。早速、彼の好意に甘えさせてもらうことにした。
シラキュースからバスに乗車し、Buffalo (バッファロー)(ニューヨーク州)、Cleveland (クリーブランド)(オハイオ州)を経由して Chicago (シカゴ)(イリノイ州)へ。
シラキュースからシカゴまでは1泊2日のバスの旅だった(シラキュースとシカゴでは時差が1時間ある)。
バスはほとんど空席だった為、夜間は横になって寝ていた。
今となってはその光景を思い出せないが、朝、目覚めると美しい2本の虹が見えたと旅日記に書き記している。
シカゴで Salt Lake City (ソルトレイクシティ)(ユタ州)行きのバスに乗り換えた。
シカゴからソルトレイクシティまで Cheyenne (シャイアン)(ワイオミング州)経由で2泊3日かかった。
バスには自分を含め計三名の乗客がいて、うち一名は北海道から来た女子高生だった。
彼女はホームステイで3ヶ月間滞在してアメリカの農業を学んだらしく、これから帰国するらしい。
お互いにこのバスに乗っている理由を話した後、ふと全く会話が噛み合わないことに気が付いた。お互い日本についての最新情報は無く、関心のある物事も違う為、相手が必要としている情報をほとんど持ち合わせていない。
しばらくすると沈黙の時間が増え、いつしかお互いに自分の世界に戻っていった。
さて今回のバス旅で二つ困ったことがあった。
一つは、冷房が効きすぎていること。もう一つは休憩時の食事だった。
冷房については満席だったとしても寒い位の温度設定で、三人しか乗客がいないバスでは拷問としか考えられなかった。
何度か巨漢の運転手に交渉をしたのだが、一時的に温度を下げてもらえるものの、しばらくすると再び設定温度を戻してしまう。
結局諦めて持っている服を重ね着して凌(しの)ぐことにした。
そして二つ目。バス旅の楽しみと言えば食事だが、残念ながら休憩に立ち寄るバスターミナルにあるレストランはファーストフードの店ばかり。当時そのほとんどがマクドナルドかダンキンドーナツだった(現在の状況は不明)。
どちらも美味しいと思うし、嫌いではないのだが、ドーナツを主食として食べる気にはならず、毎食マクドナルドを選択した結果食べ飽きてしまい、食事を抜くこともあった。
そんなことがあったが、それでも車窓からの景色は美しく、特にロッキー山脈の朝焼けは荘厳だった。
※関連記事はこちら
この時読んでいた本の言葉を旅日記に書き記している。
「今、自分が何かをしたいと思っても、それは何代も前から受け継がれた願望であったかもしれません」-平山美知子(『私たちのシルクロード』(中公文庫))-
ソルトレイクの街はソルトレイクシティ五輪(2002年冬)を1年半後に控えていたが、特に五輪に関する掲示物を見た記憶が無い。到着日は休日ということで閉まっている店も多かった。
風光明媚な街で滞在したかったが、残念ながら所持金を考えると先を急がねばならない。
数時間滞在した後、すぐにサンフランシスコ行きの夜行バス(1泊2日)に乗った。
そして、ついに翌朝サンフランシスコの街に到着した。
車中4連泊で駆け抜けたアメリカ横断だった為、残念ながら達成感は少なかった。
この後、Los Angeles (ロサンゼルス)(カリフォルニア州)の空港に立ち寄っているが、実質的にこの地が旅の終焉の地となった。
※地図はこちら
宿には数人のアメリカ人国内旅行者が宿泊しているだけで、とても静かだった。
夕食後、地図とにらめっこをしながら、これからどうするかを考えた。
五つあった旅の目的地は全て巡った。
ここで旅を終わりにするか。それとも先に進むか。
※五つの旅の目的地・・・ Hunza (フンザ)(パキスタン)、Maramures (マラムレシュ地方)(ルーマニア)、Jerusalem (エルサレム)(イスラエル)、アイルランド、イロコイ族の居留地(アメリカ)
当初の予定では、イロコイ族に会った後、New York (ニューヨーク)から飛行機で日本に帰るつもりだった。
だが実際に目的を達した時に、ニューヨークに戻る気にはなれなかった。大都会ニューヨークには旅の情感というものを感じることが出来なかったからだ。
所持金は底を尽きかけていたが、旅の終わりという実感がまだ湧かなかった。
あと少し、旅を終えるにあたって何か背中を一押しするきっかけが欲しいと感じていた矢先、旅先で会った旅人(城さん(仮名))と連絡が取れた。
彼は San Francisco (サンフランシスコ)(カリフォルニア州)に住んでおり、行けば家に泊めてくれるという。早速、彼の好意に甘えさせてもらうことにした。
シラキュースからバスに乗車し、Buffalo (バッファロー)(ニューヨーク州)、Cleveland (クリーブランド)(オハイオ州)を経由して Chicago (シカゴ)(イリノイ州)へ。
シラキュースからシカゴまでは1泊2日のバスの旅だった(シラキュースとシカゴでは時差が1時間ある)。
バスはほとんど空席だった為、夜間は横になって寝ていた。
今となってはその光景を思い出せないが、朝、目覚めると美しい2本の虹が見えたと旅日記に書き記している。
シカゴで Salt Lake City (ソルトレイクシティ)(ユタ州)行きのバスに乗り換えた。
シカゴからソルトレイクシティまで Cheyenne (シャイアン)(ワイオミング州)経由で2泊3日かかった。
バスには自分を含め計三名の乗客がいて、うち一名は北海道から来た女子高生だった。
彼女はホームステイで3ヶ月間滞在してアメリカの農業を学んだらしく、これから帰国するらしい。
お互いにこのバスに乗っている理由を話した後、ふと全く会話が噛み合わないことに気が付いた。お互い日本についての最新情報は無く、関心のある物事も違う為、相手が必要としている情報をほとんど持ち合わせていない。
しばらくすると沈黙の時間が増え、いつしかお互いに自分の世界に戻っていった。
さて今回のバス旅で二つ困ったことがあった。
一つは、冷房が効きすぎていること。もう一つは休憩時の食事だった。
冷房については満席だったとしても寒い位の温度設定で、三人しか乗客がいないバスでは拷問としか考えられなかった。
何度か巨漢の運転手に交渉をしたのだが、一時的に温度を下げてもらえるものの、しばらくすると再び設定温度を戻してしまう。
結局諦めて持っている服を重ね着して凌(しの)ぐことにした。
そして二つ目。バス旅の楽しみと言えば食事だが、残念ながら休憩に立ち寄るバスターミナルにあるレストランはファーストフードの店ばかり。当時そのほとんどがマクドナルドかダンキンドーナツだった(現在の状況は不明)。
どちらも美味しいと思うし、嫌いではないのだが、ドーナツを主食として食べる気にはならず、毎食マクドナルドを選択した結果食べ飽きてしまい、食事を抜くこともあった。
そんなことがあったが、それでも車窓からの景色は美しく、特にロッキー山脈の朝焼けは荘厳だった。
※関連記事はこちら
この時読んでいた本の言葉を旅日記に書き記している。
「今、自分が何かをしたいと思っても、それは何代も前から受け継がれた願望であったかもしれません」-平山美知子(『私たちのシルクロード』(中公文庫))-
ソルトレイクの街はソルトレイクシティ五輪(2002年冬)を1年半後に控えていたが、特に五輪に関する掲示物を見た記憶が無い。到着日は休日ということで閉まっている店も多かった。
風光明媚な街で滞在したかったが、残念ながら所持金を考えると先を急がねばならない。
数時間滞在した後、すぐにサンフランシスコ行きの夜行バス(1泊2日)に乗った。
そして、ついに翌朝サンフランシスコの街に到着した。
車中4連泊で駆け抜けたアメリカ横断だった為、残念ながら達成感は少なかった。
この後、Los Angeles (ロサンゼルス)(カリフォルニア州)の空港に立ち寄っているが、実質的にこの地が旅の終焉の地となった。
※地図はこちら