Dahab (ダハブ)から首都 Cairo (カイロ)までは夜行のセルビス(ミニバス)で約9時間半。
すし詰めに近い状態でよく眠れなかった。
カイロに到着して宿を取り、朝食を食べるべく外出した。
カイロは久しぶりの大都会で騒々しかった。寝不足の状態には堪えたし、注意力が散漫になっていると迷子になってしまう。人の往来も多く、ぶつからないように注意して歩かなければならなかった。
その日の夜、旅仲間に連れられてスーフィーダンスを見に行った(入場無料)。
スーフィーダンスとは、回転舞踊(旋舞)を踊るスーフィズム(イスラム神秘主義)の修行の一つ。スカート状の服を穿(は)き、音楽に併せて回転することで陶酔感を得て神に近づくらしい。演者は20分近く回っていたと思う。
※スーフィズムとは、アラビア語で【タサッウフ】と呼ばれる。スーフ(羊毛)で出来た粗末な衣装を身にまとった者という意。
なかなか見ごたえがあったが、「まだまだこんなものじゃない」という声もあったので再度見に来ることにした。何度見てもただ(無料)なのだ。
他にはエジプト考古学博物館(新市街)へ見学に行っている。エジプトと言えば考古学だ。
昔吉村作治教授の講演を聞いたことを思い出した。考古学にはロマンがある。
考古学博物館は入場料が1000円以上かかり、今までの中東の国の博物館の値段より高く感じられた。しかもミイラ室に入るには更に料金がかかる。しかしどうしても見たかったので追加料金を支払った。ここでラムセス2世(紀元前1314(1302)年頃~紀元前1224(1212)年頃)(古代エジプト第19王朝のファラオ)のミイラを見学している。
「ここよりもっとすごいものを見たかったら大英博物館(イギリス)に行け」というのが、エジプト人のジョークだとか。
ここで何枚か写真を撮影したが残念ながらほとんどピンボケだった。館内が暗いのでフラッシュを使用しないと厳しい(フラッシュ禁止だったのか、敢えてフラッシュをたかなかったのか忘れてしまったが)。
他に覚えていることといえば、日本人カップルが多かったことだろうか。
ここは新婚旅行で人気の地なのだろう。
※今回のエジプトの政治的混乱の中、金箔(きんぱく)が張られた木造のツタンカーメン像などが盗まれてしまったらしい。
この時はカイロに数日滞在しただけで Lukor (ルクソール)に向かっている。
最後に書いておきたいのは、この時聞いた訃報について。
当時の内閣総理大臣小渕恵三氏が脳梗塞で逝去されたと聞いた。
この旅の最中、小渕さんがかつてバックパッカーだったと聞いて親近感が湧いていたので、病気で倒れられてからずっと回復を願っていたが、天に召されてしまった。
※【青年オブチの世界紀行 38カ国ひとり旅】(首相官邸ホームページ)はこちら
※小渕氏のウィキペディア記事はこちら
翌年の9.11.の後、世界は大きく変わることとなった。
疑問符の付く大国の行動に賛同し共に突き進んだ日本。
もし、【人柄の小渕】と呼ばれた程の人格者である小渕氏の政権が続いていたならば、日本は違う姿勢を見せていたかもしれないと思うと残念でならない。
※地図はこちら
すし詰めに近い状態でよく眠れなかった。
カイロに到着して宿を取り、朝食を食べるべく外出した。
カイロは久しぶりの大都会で騒々しかった。寝不足の状態には堪えたし、注意力が散漫になっていると迷子になってしまう。人の往来も多く、ぶつからないように注意して歩かなければならなかった。
その日の夜、旅仲間に連れられてスーフィーダンスを見に行った(入場無料)。
スーフィーダンスとは、回転舞踊(旋舞)を踊るスーフィズム(イスラム神秘主義)の修行の一つ。スカート状の服を穿(は)き、音楽に併せて回転することで陶酔感を得て神に近づくらしい。演者は20分近く回っていたと思う。
※スーフィズムとは、アラビア語で【タサッウフ】と呼ばれる。スーフ(羊毛)で出来た粗末な衣装を身にまとった者という意。
なかなか見ごたえがあったが、「まだまだこんなものじゃない」という声もあったので再度見に来ることにした。何度見てもただ(無料)なのだ。
他にはエジプト考古学博物館(新市街)へ見学に行っている。エジプトと言えば考古学だ。
昔吉村作治教授の講演を聞いたことを思い出した。考古学にはロマンがある。
考古学博物館は入場料が1000円以上かかり、今までの中東の国の博物館の値段より高く感じられた。しかもミイラ室に入るには更に料金がかかる。しかしどうしても見たかったので追加料金を支払った。ここでラムセス2世(紀元前1314(1302)年頃~紀元前1224(1212)年頃)(古代エジプト第19王朝のファラオ)のミイラを見学している。
「ここよりもっとすごいものを見たかったら大英博物館(イギリス)に行け」というのが、エジプト人のジョークだとか。
ここで何枚か写真を撮影したが残念ながらほとんどピンボケだった。館内が暗いのでフラッシュを使用しないと厳しい(フラッシュ禁止だったのか、敢えてフラッシュをたかなかったのか忘れてしまったが)。
他に覚えていることといえば、日本人カップルが多かったことだろうか。
ここは新婚旅行で人気の地なのだろう。
※今回のエジプトの政治的混乱の中、金箔(きんぱく)が張られた木造のツタンカーメン像などが盗まれてしまったらしい。
この時はカイロに数日滞在しただけで Lukor (ルクソール)に向かっている。
最後に書いておきたいのは、この時聞いた訃報について。
当時の内閣総理大臣小渕恵三氏が脳梗塞で逝去されたと聞いた。
この旅の最中、小渕さんがかつてバックパッカーだったと聞いて親近感が湧いていたので、病気で倒れられてからずっと回復を願っていたが、天に召されてしまった。
※【青年オブチの世界紀行 38カ国ひとり旅】(首相官邸ホームページ)はこちら
※小渕氏のウィキペディア記事はこちら
翌年の9.11.の後、世界は大きく変わることとなった。
疑問符の付く大国の行動に賛同し共に突き進んだ日本。
もし、【人柄の小渕】と呼ばれた程の人格者である小渕氏の政権が続いていたならば、日本は違う姿勢を見せていたかもしれないと思うと残念でならない。
※地図はこちら