Tetouan (テ(ィ)トゥアン)に1泊した翌朝、気合を入れて朝7時過ぎには宿を発った。
バスに乗る前に朝食をとることにした。モロッコ最後の食事だ。魚のタジン、ハリラ(スープ)、サラダ、パンにチャイ(紅茶)で約200円。地元のおやじさん達はハリラとパンのみ。朝食からタジンを食べるなんて贅沢なのだろう。申し訳ない気持ちもあったが、最後の食事を楽しんだ。
Ceuta (セウタ)(スペイン)までバスで約1時間半かかった。
セウタとは、【七つの丘】を意味するラテン語 Septem Fratres に由来すると言われている。
モロッコと同じアフリカ大陸に存在するが、現在この地はスペイン領になっている。モロッコはセウタの返還を求めているが、街の歴史をひも解いても、イスラム王朝側、キリスト王朝側と幾多の変遷があり、複雑な問題だ。
セウタの白い街並みはとても美しく、近代的だった。
ここで両替と食事をした。久しぶりのマクドナルドだ。普通に食事するより安い。倹約生活のスタートだ。
その後、セウタから Algeciras (アルヘ(ー)シラス)までジブラルタル海峡をフェリーで渡った(所要1時間半)。到着したのは14時~15時頃だったと思う。
早速、バスターミナルに向かったが、首都 Madrid (マドリード、マドリッド)行きの夜行バスは満席だという。仕方なく、列車で行くことにしたが、寝台ではなくニ等客車でも3000円位かかる。バスより2000円近く高くなるのは痛かった。
日本の物価の基準で考えれば特に普通のことかもしれないが、モロッコでは1日2000円位の予算で十分生活できたことを考えると、この先のことが思いやられた。
ここで考えた対策は2つ。
①食事の量・回数を減らす→一日3食分の食事を2食分に減らす(食事量というより食費)
②宿泊費を浮かせる為、長距離移動する場合は夜行バス・列車を使用する。
とにかく、背に腹は代えられない。何とか最後の目的地まで辿り着きたかった。
アルヘシラスの街は713年、イスラム系のムーア人(モーロ人)によって建てられた。街の名はアラビア語で【島】を意味する Al Djezirah に由来する。
レコンキスタ(キリスト教国によるイベリア半島の再征服活動)が高まる中、1344年カスティ(ー)リャ王国(1035年~1715年)の攻略によって支配者がイスラム王朝からキリスト王朝に代わった。
アルヘシラスの街を観光はしていない。列車のチケットを手に入れた頃には夕方になっていたので、駅の待合室で大人しく夜行列車の時間を待った。
今考えればせっかく訪れた街を見ないなんてもったいない話だが、この時はとにかく【倹約】のことしか考えられなかったのだろう。スペインとモロッコの物価の違いは大きかった。
※地図はこちら
バスに乗る前に朝食をとることにした。モロッコ最後の食事だ。魚のタジン、ハリラ(スープ)、サラダ、パンにチャイ(紅茶)で約200円。地元のおやじさん達はハリラとパンのみ。朝食からタジンを食べるなんて贅沢なのだろう。申し訳ない気持ちもあったが、最後の食事を楽しんだ。
Ceuta (セウタ)(スペイン)までバスで約1時間半かかった。
セウタとは、【七つの丘】を意味するラテン語 Septem Fratres に由来すると言われている。
モロッコと同じアフリカ大陸に存在するが、現在この地はスペイン領になっている。モロッコはセウタの返還を求めているが、街の歴史をひも解いても、イスラム王朝側、キリスト王朝側と幾多の変遷があり、複雑な問題だ。
セウタの白い街並みはとても美しく、近代的だった。
ここで両替と食事をした。久しぶりのマクドナルドだ。普通に食事するより安い。倹約生活のスタートだ。
その後、セウタから Algeciras (アルヘ(ー)シラス)までジブラルタル海峡をフェリーで渡った(所要1時間半)。到着したのは14時~15時頃だったと思う。
早速、バスターミナルに向かったが、首都 Madrid (マドリード、マドリッド)行きの夜行バスは満席だという。仕方なく、列車で行くことにしたが、寝台ではなくニ等客車でも3000円位かかる。バスより2000円近く高くなるのは痛かった。
日本の物価の基準で考えれば特に普通のことかもしれないが、モロッコでは1日2000円位の予算で十分生活できたことを考えると、この先のことが思いやられた。
ここで考えた対策は2つ。
①食事の量・回数を減らす→一日3食分の食事を2食分に減らす(食事量というより食費)
②宿泊費を浮かせる為、長距離移動する場合は夜行バス・列車を使用する。
とにかく、背に腹は代えられない。何とか最後の目的地まで辿り着きたかった。
アルヘシラスの街は713年、イスラム系のムーア人(モーロ人)によって建てられた。街の名はアラビア語で【島】を意味する Al Djezirah に由来する。
レコンキスタ(キリスト教国によるイベリア半島の再征服活動)が高まる中、1344年カスティ(ー)リャ王国(1035年~1715年)の攻略によって支配者がイスラム王朝からキリスト王朝に代わった。
アルヘシラスの街を観光はしていない。列車のチケットを手に入れた頃には夕方になっていたので、駅の待合室で大人しく夜行列車の時間を待った。
今考えればせっかく訪れた街を見ないなんてもったいない話だが、この時はとにかく【倹約】のことしか考えられなかったのだろう。スペインとモロッコの物価の違いは大きかった。
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