※(219)ニューヨーク③(アメリカ)のおまけ記事
【9.11】について考えるとき、直接的に関係しているわけではないが、思い出す奇妙な出来事があるので書き記しておきたい。
2001年の夏、旅先で出会った旅人の紹介で住み込みの海外ボランティア(滞在国:中国)に参加した(旅行とは違った種類の貴重な体験をすることが出来たと思う)。
しかし、そのボランティアから帰国してわずか数日後、NY同時多発テロが発生した。
実はボランティアに行く前に、仕事でお世話になったアメリカ好きの友人に一枚の写真(A3サイズまで引き伸ばしたもの)をプレゼントしていた。
その写真は、バッテリー・パークのフェリー乗り場からリバティ島の自由の女神(世界遺産)を撮影したものだ。
9.11の後、その友人に「お前が変な写真をよこすからだ」と言われた。
話変わって、ボランティア出発の前日に中古書店で購入した一冊の本がある。その本のタイトルは、『マスード 愛しの大地アフガン』(長倉洋海著、JICC出版局(2001年河出書房新社より新装版刊行))だ。
たまたま書店で見かけ、マスードの澄んだ眼差しに憧れて購入したのが出発前日だった為、この本をじっくり読むのが帰国後の楽しみの一つだった。
アハマッド・シャー・マスード( Ahmed Shah Massoud )(1953年~2001年)は、アフガニスタン救国・民族イスラム統一戦線(北部同盟)副大統領、国防大臣、軍司令官を歴任。死後、【アフガニスタン国家英雄】の称号を追贈された。
マスードが暗殺されたのは2001年9月9日。自分がマスードの本を読んでいる時に本人が亡くなったかもしれない思うと、当時何とも遣り切れない気持ちになった。彼が生きていれば、アフガニスタンは違った形で復興への道を歩んだことだろう。
※マスードの弟であるアフマド・ズィヤ・マスード( Ahmad Zia Massoud )は2004年からアフガニスタン第一副大統領に就任した(2009年まで)。
不思議なことに、自分をボランティアに誘った旅行者と出会ったのは、Hunza (フンザ)(パキスタン)だった。この村の目と鼻の先にアフガニスタンがある。
ここまでの話なら【偶然】の一言で済まされてしまいそうだが、この話にはまだ続きがある。
【9.11】について考えるとき、直接的に関係しているわけではないが、思い出す奇妙な出来事があるので書き記しておきたい。
2001年の夏、旅先で出会った旅人の紹介で住み込みの海外ボランティア(滞在国:中国)に参加した(旅行とは違った種類の貴重な体験をすることが出来たと思う)。
しかし、そのボランティアから帰国してわずか数日後、NY同時多発テロが発生した。
実はボランティアに行く前に、仕事でお世話になったアメリカ好きの友人に一枚の写真(A3サイズまで引き伸ばしたもの)をプレゼントしていた。
その写真は、バッテリー・パークのフェリー乗り場からリバティ島の自由の女神(世界遺産)を撮影したものだ。
9.11の後、その友人に「お前が変な写真をよこすからだ」と言われた。
話変わって、ボランティア出発の前日に中古書店で購入した一冊の本がある。その本のタイトルは、『マスード 愛しの大地アフガン』(長倉洋海著、JICC出版局(2001年河出書房新社より新装版刊行))だ。
たまたま書店で見かけ、マスードの澄んだ眼差しに憧れて購入したのが出発前日だった為、この本をじっくり読むのが帰国後の楽しみの一つだった。
アハマッド・シャー・マスード( Ahmed Shah Massoud )(1953年~2001年)は、アフガニスタン救国・民族イスラム統一戦線(北部同盟)副大統領、国防大臣、軍司令官を歴任。死後、【アフガニスタン国家英雄】の称号を追贈された。
マスードが暗殺されたのは2001年9月9日。自分がマスードの本を読んでいる時に本人が亡くなったかもしれない思うと、当時何とも遣り切れない気持ちになった。彼が生きていれば、アフガニスタンは違った形で復興への道を歩んだことだろう。
※マスードの弟であるアフマド・ズィヤ・マスード( Ahmad Zia Massoud )は2004年からアフガニスタン第一副大統領に就任した(2009年まで)。
不思議なことに、自分をボランティアに誘った旅行者と出会ったのは、Hunza (フンザ)(パキスタン)だった。この村の目と鼻の先にアフガニスタンがある。
ここまでの話なら【偶然】の一言で済まされてしまいそうだが、この話にはまだ続きがある。