Go straight till the end!!

世界一周の旅の思い出を綴っています。
ブログタイトルは、出発前に旅日記の表紙に書いた言葉です。

(80)ザグレブ(クロアチア)

2010-04-29 23:58:22 | 旧ユーゴの国々
 Ljubljana (リュブリャーナ)を午前9時に発ち、2時間程で Zagreb (ザグレブ)(クロアチア)へ到着した。

 クロアチアは独立国家として成立していた国だが、かつてオスマン帝国オーストリア・ハンガリー帝国の支配下にあった時代もある。
 ザグレブは交通の要衝として栄えたらしい。人口120万人を誇る美しい古都だ。



 ザグレブで観光したのは下記の通り。

聖母被昇天大聖堂  旧市街カプトル地区にあり、当時の名称は聖ステファン寺院。100m以上高さの2つの尖塔(せんとう)は、ザグレブのシンボル的存在になっている。

聖マルコ教会  ゴシック建築のこの教会は旧市街ゴルニィ・グラード地区の象徴。閉まっていて入れなかった。

石の門  18世紀に石で固められるまで、もともと木造だったらしい。 

青果市場  ザグレブ旧市街最古(1926年~)の市場。多くの屋台が並びバザールらしい活気に満ちていた。

ミマラ博物館  コレクターのアンテ・ミマラ氏(1898年~1987年)が寄付したコレクションを展示。警備が厳しくて入れてくれなかった。

美術工芸博物館  クロアチア内外の美術・工芸品を展示。正直ザグレブで一番印象に残っている。

現代美術館  現在は近現代美術館になっている。クロアチア人画家 Vlaho Bukovac (1855年~1922年)の絵が印象に残っている( Vlaho Bukovac のウィキペディア記事(英語版)はこちら)。

近代美術館  現在はストロスマイル美術館になっている。工事中で入れなかった。



 前述のミマラ博物館で入れてもらえなかったり、アジア人蔑視ともとれる対応をこの街では何度か受けた。人を見下すような理不尽な対応を受けたことに当時は非常に腹が立った。

 しかし今考えてみると、当時クロアチアの人々は民族紛争とも言うべきユーゴ紛争(ユーゴスラビア紛争)を経験したばかりだ。自分達以外の文化・宗教・言語を持つ人々に対して多少排他的になったとしてもそれは仕方のないことなのかもしれない。



 余談になるが、何人かカズ(三浦知良)選手のことを知っているか尋ねてみたが、残念ながら知っている人はいなかった。カズ選手は1年前(1999年)までこの街のクラブチーム、クロアチア・ザグレブ(現ディナモ・ザグレブ)に在籍していたからだ。クロアチア人全員がサッカー好きとは限らないので、たまたま聞いた人がサッカーに興味無かったのだろう。



 この後、夜行列車で世界遺産の街 Split (スプリット)へ向かった。

※地図はこちら

(79)リュブリャーナ(スロヴェニア)

2010-04-22 23:48:59 | 旧ユーゴの国々
 Ljubljana (リュブリャーナ)の街に着いた頃には日が暮れていた為、すぐに宿を探した。

 ツーリスト・インフォメーションで紹介してもらった宿は森の中にあるペンションだった。
 中心部から5km位離れていて、重いバックパックを背負いながら歩いているうちに疲れてしまった。
 お金を節約しながら旅する者にとって、中心部のいいホテルに泊まるのは夢のまた夢。
 そのお金を節約すればその分旅を長く続けられる。
 そうは言っても、重い荷物を持ちながら、人に道を聞きつつ歩き続けるのは結構大変だと思う。事前の情報収集は大切だ。



 翌日、一日かけてリュブリャーナの街を観光した。スロベニアの首都といいつつも人口27万人の小さな都市なので観光には一日あれば十分かもしれない。

 リュブリャーナはかつて神聖ローマ帝国、その後オーストリア・ハンガリー帝国の支配を経て、第一次世界大戦後にユーゴスラビア連邦に組み込まれた。
 オーストリア・ハンガリー帝国の君主ハプスブルグ家のもとで発展を遂げた街らしく、その街並みはとても洗練されている。
 各時代の様々な建築様式が見られるので、建築に興味がある人には楽しい街かもしれない。



 観光したのは下記の通り。

リュブリャーナ城  1144年に建設された。愛称は Grad (グラード)。旧市街を一望できる丘の上にある。細い小道を上っていったのを覚えている。

リュブリャーナ大聖堂  旧市街中心部にあり、扉に彫刻が施されていた。旅先で教会があると中に入るようにしていた。静寂の中で黙想すると、心をクリアーに出来るからだ。

国立博物館  レオナルド・ダ・ヴィンチ( Leonardo ( di ser Piero ) da Vinci )(1452年~1519年)の展示物があった。ダヴィンチの制作した仕掛け時計の精巧さに驚いた。

国立美術館  スロヴェニア人画家 Ivan Grohar (1867年~1911年)の絵が印象に残っている。彼の絵はスロヴェニアの5セント硬貨にも用いられているらしい( Ivan Grohar のウィキペディア記事(英語版)はこちら)。
近代美術館  スロヴェニア近現代のアートを展示。



 この時は行かなかったが、近郊にはヨーロッパ最大のポストイナ鍾乳洞もあるらしい。



 翌朝、再び Zagreb (ザグレブ)(クロアチア)へと向かった。

※地図はこちら

(78)ブダペスト(ハンガリー)~ザグレブ(クロアチア)~リュブリャーナ(スロヴェニア)

2010-04-15 23:28:48 | 旧ユーゴの国々
 Budapest (ブダペスト)を午前7時に出発した列車は、正午に Zagreb (ザグレブ)(クロアチア)に着いた(時差なし)。

 日本と違い、ヨーロッパでは周りを多くの国々に囲まれている。
 距離的には近くても、文化や風習、宗教、言語等の違いで国境線が敷かれ別の国になる。
 実際のところ、国境を越えたという実感は湧かなかった。



 ユーゴ紛争(ユーゴスラビア紛争)を経て独立してからわずか5年しか経っていなかったせいか、ザグレブの街の雰囲気は少し暗く感じられた。今はだいぶ変わっていることだろう。



 この街には後ほど戻って来ることにして、Ljubljana (リュブリャーナ)(スロヴェニア)へと向かった(列車で所要2時間半)(時差なし)。

 国境越えの際、今までは出国と入国のスタンプをパスポートに押されていたのだが、この時は押されなかった。
 国によっていろいろ審査の方法が違うのかもしれないが、ジョージア(旧グルジア)~トルコ間でびくびくしながら審査を受けた頃と比べて、随分と拍子抜けしたのを覚えている。

 

 スロベニアは1991年にユーゴスラビア連邦からいち早く分離、独立している。
 時を同じくして独立宣言したクロアチアが間にあったおかげで、わずか十日間ほどでセルビアの攻撃は終了した(十日間戦争)
 そのせいか、旧ユーゴの国々に垣間見えた戦争の暗い影をこの国ではほとんど感じなかった。

 しかし、他の旧ユーゴの国々では、生々しい戦争の傷跡だけでなく、人々の心にもどこか暗い陰りを感じた。
 建物や道路は修復すれば元の姿に戻せるが、人の心には一生深い傷が残ってしまうのかもしれない。

※地図はこちら

(77)ブダペスト②(ハンガリー)

2010-04-08 23:13:33 | ハンガリー
 Budapest (ブダペスト)でこの時観光したのは下記の通り。

 ブダペスト・カードという割引カード(博物館・美術館の割引を受けられる)を約1500円で購入しており、このカードを使っていろいろ見学している。



王宮  ブダペストのシンボル的存在。ドナウ川を挟んでブダ側にある。13世紀半ばに、モンゴルの来襲から逃れてきたハンガリー国王ベーラ4世(1206年~1270年)によって建てられた後、何度か増改築を経て今の姿になっている。中欧のルネッサンス中心地として栄えた。地下は迷宮のようだった。



国立美術館  王宮内にある。国内外の作品を展示。5年前に見たミレー( Jean-Francois Millet )(ジャン=フランソワ・ミレー)(1814年~1875年)の絵と再会するのを楽しみにしていたのだが無くなっていた。常設展示ではなかったのかもしれない。ミレーの絵を見るとエネルギーをもらえる気がするのは自分だけだろうか。

ブダペスト歴史博物館  王宮内にある。地下室を昔のまま残していて、ひんやりした空気に包まれ異空間にいる気になる。

軍事歴史博物館  もともとは兵舎だった建物を博物館に改装したもの。人類の歴史は戦争の歴史だと改めて感じた。

音楽史博物館  音楽大国ハンガリーの音楽史を辿(たど)れる。

マーチャーシュ教会  王宮と同時期にベーラ4世によって建てられたゴシック様式の美しい教会(建築当初はロマネスク様式)。正式名称は聖マリア教会だが、15世紀にマーチャーシュ王(マーチャーシュ1世)(1443年~1490年)によって尖塔の増築が行われた為、この名称が一般的になった。

漁夫の砦  ネオロマネスク様式。ドナウ川の対岸ペスト側を見渡せる。

国会議事堂  【ハンガリーの至宝】とも言われる見事な王冠が印象に残っている。

聖イシュトバーン大聖堂  ブダペスト随一の大聖堂。宝物館も見学した。

民族博物館  トランシルヴァニア地方(現在はルーマニア領)の民族衣装等も展示されていた。改めてマラムレシュ地方は民族博物館そのものだと思う。

地下鉄博物館  ブダペストの地下鉄は London (ロンドン)に続く2番目に古い歴史を持つらしい。

オペラハウス(国立オペラ劇場)  ヨーロッパ有数のオペラ劇場(ネオルネッサンス様式)。見学したところ、実際にオペラを観劇したくなったので3週間後の公演のチケットを購入した(1500円位)。

シナゴーク  ヨーロッパ最大のユダヤ人教会。静かに黙祷(もくとう)を奉(ささ)げた。

西洋美術館  ゴヤ( Francisco Jose de Goya y Lucientes )(フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス)(1746年~1828年)やモネ( Claude Monet )(クロード・モネ)(1840年~1926年)、マネ( Edouard Manet )(エドゥアール・マネ)(1832年~1883年)等の巨匠の絵画を見ることが出来た。

現代美術館(ミューチャルノク)  前衛的すぎて理解するのが難しかった。

農業博物館  建物の造りにも要注目らしい(ロマネスク、ゴシック様式)。

ホップ・フィレンツ東洋博物館  全体的に好印象。くつろいだ姿の仏像が良かった。

切手博物館  世界中の珍しい切手が集合。

国立博物館  ハンガリー最大の博物館。歴史的にもかなり興味深いものばかりだと思う。ヨーロッパ各地で起こった1848年革命の際、博物館前の広場は市民蜂起の舞台となった。毎年3月15日に革命記念集会が開かれる。

中央市場  都会にある市場だけあってショッピング・センターと化していた。

ヴァルガ・イムレ資料館( Valga Imre Collection )  ハンガリーの近代彫刻家ヴァルガ・イムレ( Varga Imre )(1923年~)(参考記事(英語版)はこちら)の作品を展示。非常に良かったと旅日記に書いてある。

ヴァザレリ美術館  Paris (パリ)を拠点に活躍したハンガリーの抽象画家ヴィクトル・ヴァザレリ( Victor Vasarely )(1906年~1997年)(ウィキペディア記事(英語版)はこちら)の作品を中心に展示。他にもハンガリー出身の芸術家たちの作品を紹介している。



 また、この街で鞄を新調している。大都会だけあって品揃えもいいし、物価も安いのが嬉しい。

 10日間の滞在後、列車で Zagreb (ザグレブ)(クロアチア)へ向かった。

※地図はこちら

(76)ブダペスト①(ハンガリー)

2010-04-01 22:59:59 | ハンガリー
 Oradea (オラデア) を7時半に発った列車は、無事国境を通過して12時半に Budapest (ブダペスト)(ハンガリー)に着いた。時差が1時間あるので実際は6時間かかっている。

 ブダペストには幾つか日本人宿があったが、最初は地元の人に紹介されたプライベート・ルームに宿泊した(1泊千円位)。

 Sighetu Marmatiei (シゲット・マルマツィエイ)の最後の晩から体調がすぐれなかったせいもあり、しばらくブダペストで静養している(10日滞在)。
 旅日記にはこう書いてある。

 病気も【縁】。霊(魂)の基準(健康値みたいなもの?)の低下が体の故障を招く。



 思えば、初めての海外旅行が5年前の東欧旅行だった。今まで飛行機にも乗ったことがない人間が、一人で海外に旅に出るなんて随分無鉄砲だったと思う。
 しかも旧共産圏の国々ということもあり、東欧には随分と暗いイメージがあった。

 そんなマイナス・イメージを払拭(ふっしょく)してくれたのがマラムレシュの人々だった。
 人間の原点の姿ともいうべき魂の美しい人々に出会えたと思う。
 彼らに出会わなければ、旅にはまり込んでいくこともなかったかもしれない。



 今回のマラムレシュ滞在において、いろいろ考えさせられることがあったせいか、内省的になっていて、旅日記にもいろいろと書きこんでいる。
 また、夢もよく見ていて旅日記に書いている。残念ながらどれも個人的なことばかりなので紹介は出来ないが、この時期考えていたこととリンクしている。夢はとても興味深い。



 ブダペストはいろいろ見どころも多く、文化的にも興味深い街だった。

※地図はこちら