Go straight till the end!!

世界一周の旅の思い出を綴っています。
ブログタイトルは、出発前に旅日記の表紙に書いた言葉です。

おまけ(その17)人の縁の話

2011-06-30 23:55:55 | おまけ
(149)テルアビブ(イスラエル)のおまけ記事

 

 当時、奇跡的に Tel Aviv (テルアビブ)から Malaga (マラガ)(スペイン)へと向かう格安航空券を手に入れることができたのだが、そこに一人の旅人の助言があった。
 その方は外山さん(仮名)といい、旅先で出会ったわけではない。
 ネットの掲示板にイスラエルからモロッコへと渡る為の情報募集を呼びかけたところ、「格安航空券は現地(イスラエル)で手に入るでしょう」と返事を書いて下さったのだ。

 この情報はかなり早い段階で得られていたので、Cairo (カイロ)(エジプト)を発つ決め手にもなっている。
 もし、この情報が無ければ、モロッコ行きを諦めていたかもしれないし、AKOさんや素晴らしい旅人達との出会いも無かったかもしれない。

 

 結果的に、Jerusalem (エルサレム)新市街の旅行代理店でチケットの手配(予約)が出来たのだが、正直エルサレムの街にいた時は大きな幸運というものを感じていた。それはまさしく恩寵のようなものだったと思う。感謝感謝。



 人の縁というのは実に不思議だいう話を書かせて頂く。

※昔書いた参考記事(縁の話)はこちら



 日本に帰国後、外山さんとお会いした(現在に至るまで交流が続いている)。

 外山さんはかつて中東を旅したことがあり、Aqaba (アカバ)(ヨルダン)で大怪我をしてカイロで輸血する程の手術をされたそうだ(それ以来性格が変わったらしい)。



 後年、職場の同僚の誕生日が自分にとっての旅の記念日(この旅の始まりの日)だったことがあった(同僚は自分と同期入社だった)。旅の記念日は亡き家族の命日を組み合わせた日だったので自分にとってとても重要だった。

 このことを外山さんにメールするとこんな返事が返ってきた。

 「もっと驚くことを教えてあげるよ。」

 なんと、外山さんの誕生日も同じ日だったのだ。何という偶然だろう。ここまでくるとさすがに偶然という言葉が軽すぎる気がした。



 実は数日程前に外山さんが旅立たれたのだが、ちょうどこの記事を書くタイミングだったこともあり、お見送りしてきた。
 つい先日も、エルサレムで会った旅人が仕事で来日したので再会したばかりだ。
 縁とは不思議なものだとつくづく思う。



 人生とは旅のようなものだとよく言われる。
 まさしく一期一会であるが、縁がある人とは再び会う時間を持てるのかもしれない。もし縁を大切にするのならば。

 ならば願いたい。出会った人達に再び会うその日まで。

 多々保重、一路平安!!

(149)テルアビブ(イスラエル)

2011-06-23 23:55:00 | イスラエル
 翌朝、ペトラホテルの屋上で、朝陽を眺めた。 
 AKOさんの言った通り、とても美しかった。この地を訪れた聖人達も同じように朝陽を眺めたのだろうか。



 さらば聖地 Jerusalem (エルサレム)。どうもありがとう。



 エルサレムを発つ前に旅日記に書き記しているのは、この地で出会った旅人から教えられた言葉だ。

 人生とはガラス玉をお手玉しているようなもの。

 そのガラス玉にはそれぞれ名前がある。

 soul ( spirit )(魂), health (健康), family (家族), friends (友人), work (仕事)...etc.

 ガラス玉は落とすと割れてしまう。バランスよくお手玉を続けなければならない。



 エルサレムから Tel Aviv (テルアビブ)までは、バスで45分。

 テルアビブは20世紀になってから急速に発展した都市で、国連が認めたイスラエルの首都だ(イスラエルはエルサレムを首都と主張しているが国際的に認められていない)。
 もともとは古代都市 Jaffa (ヤッファ)に隣接する海沿いの砂丘だったが、発展を遂げた後ヤッフォを飲み込んだ形(合併)となった。その為この都市の正式名称は Tel Aviv-Jaffa (テル・アビブ・ヤッファ)である。

 【テルアビブ】の地名はバビロニアに由来し、バビロニア語【テル・アブーブ(洪水の丘)であったものが【テル・アビーブ(春の丘)と呼びかえられたものらしい。

 ここにはイスラエルの報道・商業・政治などの主要機能が集中しており、ハ・メディナ広場周辺の地域は、白亜建造物が並ぶ計画都市で、白い都市として世界遺産に登録された(2003年)。



 残念ながら、テルアビブの街を観光していない。
 午後に到着し旅行代理店で Malaga (マラガ)(スペイン)行きの格安航空券(約$160)を購入後、そのままベン・グリオン国際空港へと向かったからだ。ボディー・チェックに時間がかかると聞いていたので早めに行くことにしたのだった。

※航空券購入に関するおまけ記事はこちら



 空港に着きチェックインを済ませようとすると、10m位離れたところに偶然 Mun さんを見かけた。
 彼はこれから母国(韓国)に帰るのだろう。

 「おお、Mun さん!!」

 と近づきながら手を挙げたその瞬間、空港の警備員に周りを囲まれ連行された。
 見ると Mun さんも別の警備員達に連行されていた。しかも我々二人の行く先は別々の部屋だった。

 当時の約28年前、ここは日本赤軍によるテルアビブ空港乱射事件の舞台になった場所であり、警備員がナーバスになったのも仕方ない。

 ここで荷物を全てチェックされ取り調べを受けたのだが、「なぜ仕事もせずに1年近くも旅をしているのか」というのが彼らの疑問だった。そして中東の国々を旅してきたことも彼らを疑心暗鬼にさせているようだ。
 こちらの答えはただ一つ。

 「私は美術大学の学生(彫刻専攻)だ。」

 たった一枚の国際学生証が頼りだった。

 ウォークマンの電池はここで回収されてしまったし、まるで犯罪者のような扱いをされたことに腹が立ったが、とにかく飛行機に乗らなくてはならない。



 私は学生だと連呼し続け、ようやく2時間以上の取り調べが済んだのだが、Mun さんに会いにいこうとしても許可されず、そのまま飛行機に搭乗するまで警備員がついてきた。

 思えば、Mun さんに偶然出会わなかったら、ここまできつい取り調べを受けることはなかったかもしれない( Mun さんもみっちり取り調べを受けたそうだ)。



 ちなみに、ヘブライ語の辞書には【偶然】という単語はないらしい。その代わりになる単語は【運命】だそうだ。

※地図はこちら  

(148)エルサレム④(イスラエル)

2011-06-16 23:55:00 | イスラエル
 Jerusalem (エルサレム)滞在三日目の夜。

 この日の朝AKOさんが宿を去った。
 AKOさんから今の宿の前に滞在していたというホテルを紹介された。
 屋上で寝ると朝陽がきれいで気持ち良く目覚められるということだったので、自分もエルサレム最後の夜にそこに泊まることにした。

 そのホテルの名前はペトラホテルという(ルーフ(屋上)で1泊約500円)。

 夕食の後、宿に戻って布団を敷いた。この日ルーフに泊まるものは自分以外誰もいなかった。
 AKOさんの言った通り、とても夜景が綺麗だった。街全体がライトアップされており、オレンジ色の光に包まれている感じだ。

 横になって空を眺めながら、感傷にふけっていた。
 ここは聖地の名にふさわしい歴史のある街だった。そんな地で出会った旅人たちは自分の中に強い印象を残した。この地を旅の目的地に選んだのは間違いではなかったし、来れて良かったと心から思った。
 そんなことを思いながら、空を眺めていると、不思議な光景を目にした。



 ふと一羽の鳥が飛んでいるのに気付いた。かなりのスピードで横(やや斜め下)に向かって進んでいる。街の光を受けてオレンジ色にぼんやり光っていた(古いTVのブラウン管がぼんやり光っているような感じ)。

 突然、その鳥がUターンをした。それはUターンというよりVターンだった。
 しかもその角度は、V (全角)というより V (半角)に近い。
 その瞬間、それは鳥ではないと確信した。あれだけのスピードで方向転換するのは、運動力学的に不可能だと思ったからだ。

 呆気(あっけ)にとられて見ていると、またVターンをした。そして再びVターン。
 Vターンをしながら行ったり来たりしているが、その往復の幅が狭まっていく(イメージ的に最も近い動きは、三角形の底辺から頂上に向かって、刷毛(はけ)で左右にペンキを塗る感じ)。

 しかも、往復の幅が狭まり頂点に向かうにつれ、その姿がターンする位置にしか見えなくなってきた。
 パッ パッ と消えて現れ消えて現れしているうちに、頂点付近になると・・・

 上へ向かいながら左右に高速で振動しているようだ。その姿が、ぶれて見えた。

 そして・・・ 

 そのまま、消えてしまった。異空間へワープしたのだろうか?



 この間約10秒ほど。他に誰もいなかったので、自分が幻覚を見ている可能性を否定できない。
 しかし、この後、何度かUFO(未確認飛行物体)を目にしているが、他にも目撃者がいる場合もあった。
 UFOを見た際に共通しているのは、①そこが聖地であるということだろうか。 
 聖地では、多くの人が祈りをささげる。そこには凄まじい程の祈りのエネルギーが集まっているのではないだろうか。

 そして、UFOを目撃する前に②霊性の高い人に出会い、自分の霊的レベルが高められている。あたかも水が高いところから低いところへ流れるように。
 今回はAKOさん、そして他の場所でUFOを目撃した際もやはり直前に霊性の高い人に出会っている。
 

 
 曲阜( Qu Fu )(チューフー)(きょくふ)(中国)の時のように、一般的な旅の話と少しかけ離れてしまったが、自分が体験したありのままの事実なので敢えて書かせて頂いた。

 Damascus (ダマスカス)(シリア)で聞いた中田さん(仮名)のUFO談話には半信半疑だったが、一度体験した後はその存在を信じるようになった。百聞は一見に如かずとはまさしくこのことを言うのかもしれない。 

※地図はこちら



 (追記)

 ふと思ったのだが、このUFO(未確認飛行物体)の軌跡は、人生そのもののような気がした。
 人はいろいろ試行錯誤を繰り返し、だんだんとその範囲を狭めていく。「これが自分だ」という境地に行き着き、最後にその生を終える。
 人生とは経験の場だ。

おまけ(その16) AKO さん

2011-06-09 23:55:00 | おまけ
(147)エルサレム③(イスラエル)のおまけ記事



 Jerusalem (エルサレム)は今回の旅の目的地の一つだった(西暦2000年に行きたかった)。
 昔から行きたかった場所にようやく行くことができたのだ。テンションが高くなるのは自然なことだと思う。

 当時西暦2000年、エルサレムの街はミレニアムで盛り上がっていた。
 盛り上がるのも無理はない。西暦とは、イエス・キリストが生まれたとされる年の翌年を元年(紀元)とした紀年法だからだ。

 旅の目的地では、楽しいイベントが起こることが多い。
 テンションが高くなっているからかもしれないし、時間をかけて気持ちを溜めていくことにより、そこに恩寵とも言うべき贈り物が用意されるのかもしれない。

 今回、AKOさんに出会えたのもまさに恩寵だと思う。



 今思い返すと、AKOさんはイエス・キリストのような人だと思う。
 こんなことを言うと本人は否定するかもしれないが、風貌・雰囲気・その人間性、どれをとってもよく似ている。
 エルサレムの地で彼に出会えたことに感謝したい。
 ちなみに同じ宿に泊まっていたバックパッカー達もAKOさんには尊敬の眼差しを送っていた。

 

 AKOさんは、昔から原発反対運動を継続されている。
 このような状況になることを既に予想されていたのだろう。

 他にも無農薬野菜を作る農家のお手伝いをされたり、地球環境に優しい生き方を広められている。紙芝居が有名だが、ラジオインターネット動画を通じて講演活動もされているようだ。

 帰国後2回位お会いした(また機会があればお会いしたい)が、その時のエピソードを一つ紹介したい。



 それは富士山麓で開かれたイベント【世界平和と祈りの日( World Peace & Prayer Day )】(2004年)での話だ。

 このイベントで知り合ったご婦人は動植物と会話できる特技があると仰(おっしゃ)っていたが、一般の人にこんなことを言えば頭のおかしい人と思われてしまうだろう。

 このご婦人はAKOさんと挨拶だけ交わされた(お二人は初対面)。このご婦人が立ち去った後、AKOさんがご婦人に対して「霊性の高い方ですね」と一言つぶやかれたのを覚えている。

 実はAKOさんも動植物と会話できるらしい。AKOさんにはこのご婦人の情報は伝えていなかったが、瞬時にそのことを見抜いたのだ。
 もしかしたら、人はそれぞれ波長(波動)があり、それが精妙になるほど感度が優れていくのかもしれない。



 今日もAKOさんは日本のどこかで、優しい語り口で語りかけていることだろう。
 AKOさんの語られることはどれもが当然・当たり前のことだ。
 いつしか我々の価値観は経済重視になり、AKOさんのそれと大きくかけ離れてしまった。 
 手遅れになる前に還らなければならない。



※AKOさんの動画はこちら(⇒リンク先は削除された模様)

※AKOさんの活動を紹介された方のブログ記事はこちら



 (追記)

 先日、数年ぶりにAKOさんから手紙が届いた。

 日本山妙法寺の方々と三週間、三陸の被災地を歩いて供養して周ったり、青森六ヶ所村など、原子力反対の農家のお手伝いをしたと書かれている。南下して関西方面へ向かう途中だそうだ。
 
 ちなみに下記は手紙に書かれたAKOさんお勧めのもの。

『百姓レボリューション』(書籍)

『 Earth Lings 』(映画)

※『 Earth Lings 』のHP(英語)はこちら

『まごころ地球便』(靴、フェアトレード・オーガニック・スニーカー)

(147)エルサレム③(イスラエル)

2011-06-02 23:55:00 | イスラエル
 Jerusalem (エルサレム)滞在三日目。

 この日の朝、AKOさんが宿を発った。
 水のような人だ。【水是万物的皿】と旅日記に書き記している。
 短いお付き合いだったが、いろいろなことを教わった。彼の生き方は素晴らしいと思う。
 そしてそれを続けるのは簡単なことではないし、真似するのは難しい。人間には欲というものがあるからだ。



※AKOさんのおまけ記事はこちら



 この日観光したのは下記の通り。

イスラエル博物館  新市街にある。イスラエルの考古学・歴史・民俗学・美術と様々なジャンルにわたり展示物がある。中でも死海写本館第2神殿時代の模型は必見。

城壁  一周した。城壁の内部はムスリム地区キリスト教徒地区ユダヤ人地区アルメニア人地区に分かれている。イスラエル軍の兵士が巡回していたが、ムスリム地区を通る際は階段を昇って屋上の道を使用していた(トラブルを避けるため屋上に通り道を造ったものと思われる)。



ロックフェラー博物館  ヘロデ門の近くにある。【石油王】ジョン・D・ロックフェラー(1839年~1937年)の資金援助を受け、英国委任統治政府が建設した考古学博物館(1938年完成)。

ゲッセマネの園  再訪して写真を撮った。



マグダラのマリア教会  オリーブ山にある。ロシアのロマノフ朝第13代ロシア皇帝アレクサンドル3世(1845年~1894年)によって建てられたロシア正教教会。自身の母后マリア(地下聖堂に彼女の遺体が眠っている)とマグダラのマリアを祀(まつ)っている。訪問時は午後の為閉まっていた(午前中のみオープン)。

主の泣かれた教会  オリーブ山にある。1955年に建てられた。由来になっているのは下記の伝承。

『ルカによる福音書』(第19章41節~44節)

 エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁(ほうるい)を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」

主の祈りの教会  オリーブ山にある。イエスが弟子に請われて主の祈りを教えた地に建てられた教会。ローマ皇帝コンスタンティヌス帝(272年~337年)の母ヘレナによって4世紀に建てられた。

昇天教会  イエスは死後復活し、40日目に弟子達の前でオリーブ山から昇天した。この出来事を記念して4世紀に建てられた教会。訪問時はミサ中だった。

オスカー・シンドラーの墓  オスカー・シンドラー(1908年~1974年)の墓地は、またもや閉まっていた。



 この日も Cairo (カイロ)(エジプト)発エルサレム行きのバスで仲良くなった旅人達と夕食を共にした(特に約束をしていたわけではないが、エルサレム観光中偶然再会したのでそういう流れになった)。
 もし前世というものがあるならば、前世からの知り合いなのかもしれない。一朝一夕に出来た関係ではないような感覚だった。



 この日AKOさんに紹介された宿へと移った。
 自分と出会う前に泊まっていた宿だという。
 その宿の屋上で一人布団を敷いて横になっていた時、不思議な光景を目にした。

※地図はこちら