Go straight till the end!!

世界一周の旅の思い出を綴っています。
ブログタイトルは、出発前に旅日記の表紙に書いた言葉です。

(155)カサブランカ④(モロッコ)

2011-08-25 23:55:55 | モロッコ
 首都 Rabat (ラバト)から Casablanca (カサブランカ)に戻り、宿の友人達と夕食を食べに行った。

 この時、日本代表応援団ウルトラス・ニッポン(通称ウルトラス)の方と食事を共にしている。
 弾丸ツアー(機内泊)で来られたそうで、観光せずにサッカーの試合だけ観て帰るらしい。日本代表にかけるあまりの熱さに会社では浮いた存在だそうだ(一流企業に勤務されている方だった)。世の中にはいろいろな人がいるものだ。
 


 翌日(カサブランカ滞在五日目)。

 朝食を済ませた後、ジャマイカ代表の選手たちが滞在するホテルに向かった。どうせならこの機会に一緒に記念写真を撮ってもらおうと思ったのだ。
 ホテルのロビーでジャマイカ代表の6番の選手と一緒に記念撮影をしたのだが、この選手が誰だったのか未だに分からずじまいだ。

 午後になってから試合会場に向かうと、会場の周辺で日本人サポーター(ツアー客)を見かけた(日本代表のユニフォームを着ているのですぐ分かる)。皆さん仕事を休んでこの試合の為だけにはるばるモロッコまで来られたそうだ。
 しばらくすると、日本代表のバスが到着した。と弥(いや)が上にもテンションが上がった。



 会場入りすると、前日ラバトで交渉した Mr.ALOVANI の姿が。彼の案内で一番高いカテゴリーの席に案内された。
 とは言っても、昨日とは違う場所だった。観客席の中心部はフランスからのツアー客の為に確保されており、その外側に座らざるを得なかったのだ。岡野俊一郎JFA(日本サッカー協会)会長(当時)や釜本邦茂JFA副会長(当時)も割を食うはめになった様子を見て、諦めることにした。Mr.ALOVANI の気持ちを感じたので、これ以上ごねる気は起きなかった。

 そう言えば、当時はフィリップ・トルシエ(フィリップ=ベルナール・ヴィクトル・トルシエ)監督の解任騒動があり、今大会の結果次第では監督更迭もありえる状況だったと思う。真偽の程は定かでないが、トルシエ氏と釜元氏の間でいろいろあったというニュース記事を見た覚えがある。

 また、観客席でうじきつよしさん等著名人を見かけて、改めて日本代表人気の高さを感じたのを覚えている。



 まず最初に、日本代表VSジャマイカ代表の試合(3位決定戦)が行われた。
 98年のフランスW杯で戦った時は2-1でジャマイカが勝利したが、その後の両国には大きな実力の差がついたように思える。
 試合は、日本が4-0で勝利した。この試合の得点者は城彰二氏(2得点)、柳沢敦選手(現ベガルタ仙台)(1得点)、カズ(三浦知良)選手(現横浜FC)(1得点)。
 中でも【キング】カズ選手のゴールを見れたことを幸せに思う。今のところ、このゴールがカズ選手の代表ラストゴールとなっている。
 
 ちなみにモロッコの人々も日本代表のことを応援してくれていたのだが、彼らにとって日本人の名前は馴染みがないらしく、車のメーカーの名前を連呼していた。

 「ホンダ、ホンダ、シシキ(スズキのこと?)シシキ」 

 正直言って、喜んでいいのかどうか分からないが・・・。



 試合後だっただろうか、中田英寿氏が自分の席のすぐ後ろの通路を通って控室に戻って行った。こちらを見て自分と目が合ったので、一人だけ日本人が観客席にいるのに気づいたようだった。
 何か声をかけようと思ったが、言葉が出てこなかった。
 「お疲れ様です」と言うのも変だし、「こんにちは」と言う状況でもないような気がする。「グッジョブ!!」なんて言うのは論外だ。
 皆さんが同じ立場だったらどうするだろうか。

※それにしても、後年中田さんが現役引退後、旅人になった時は驚いたと同時にとても不思議な気がした。彼はいつから旅への欲求を募らせていたのだろうか。



 第二試合(決勝戦)の前に、モロッコ国王ムハンマド6世(1963年~)が登場した。
 この時は、席を移動して宿の仲間達と一緒にいたのだが、ムハンマド6世がこちらに向かって手を振った瞬間、我を忘れて立ち上がって手を振っていた。我に返ると隣の友人達も同じ行動を取っていた。
 ここまで人を惹きつける力は一体何だろう?日本代表にも、カズ選手、ゴン中山選手、中田氏とオーラを感じる人達がいたが、ムハンマド6世のものは全く違う種類のオーラだった。
 人懐っこい笑顔とあいまって、モロッコ国民が「国王の為に」という気持ちになるのも自然なことのような気がした。



 決勝戦はフランス代表VSモロッコ代表だった。結果は5-1でフランスの圧勝。事実上の決勝戦は日本代表VSフランス代表の試合だったと思う。

 何はともあれ、日本代表の試合を生まれて初めて生で見れたこの機会を生涯忘れないと思う。
 この時の感動を再び味わいたくて、帰国後W杯アジア予選を観に何度かスタジアムに足を運んでいる。

 もしサッカーに興味がない方でも、今年行われたアジアカップ決勝( Doha (ドーハ)(カタール))や、女子W杯決勝( Frankfurt (フランクフルト)(ドイツ))の会場で試合を観戦したとしたら、またスタジアムに足を運びたくなると思う。
 そこまでの感動ではなかったかもしれないが、ハッサン2世国王杯もなかなか見ごたえのある大会だったと思う。

※地図はこちら

(154)ラバト(モロッコ)

2011-08-18 00:58:00 | モロッコ
 Casablanca (カサブランカ)滞在四日目。

 宿(ユース・ホステル)の友人達は日本代表の宿舎に行くという。
 記念写真やサインをもらいにいくそうだ。

 しかし、自分には他にやることがあった。
 
 昨日の試合、一番カテゴリーの高い席(約8000円)と次のカテゴリーの席(約2000円)の差がほとんどなかった。
 自分の購入した8000円の席は柱が邪魔して隣の2000円の席の方が見やすかった。
 これでは奮発して高いチケットを購入した意味がない。差額の6000円で何日モロッコで生活出来るだろうか。
 首都 Rabat (ラバト)まで出掛けてでもチケット代を返してもらおうとこの時意気込んでいた。



 カサブランカからラバトまでは列車で約50分。
 確かモロッコのサッカー協会の事務所を訪ねたと思う。担当者が不在ということで、彼が出掛けているというホテルへ。そこはフランス代表の滞在しているホテルだった。
 前回のようにフランス代表と記念写真を撮ってもらう気にもなれず、担当者を探しまわった。

 現在手元には、Official Representative (Representativeとは代表者・代理人の意)の Ali SBAI 氏の名刺がある。この方から紹介された Mr.ALOVANI と交渉したのを覚えている。
 確か「こんなことでW杯を開催するなんて無理だ」というようなきついことを言った覚えがある(当時モロッコは2010年のW杯開催を目指していた)。
 彼は最初「日本人は皆金持ちだろう?なぜこれ位のお金で文句を言うのだ。」と言っていたが、こちらの必死さに結局は折れてくれた。
 しかし、お金は返せないと言う。どうやら次の試合も一番高いカテゴリーの席で試合観戦させてやるから納得しろということのようだ。
 完全に納得したわけではないが、相手の気持ちも伝わってきたので了承することにした。
 
 

 その後、日本大使館へ行き新聞を読み漁(あさ)った。
 それから、特に観光もせず、カサブランカへ戻った。旅日記に記録しているのは遠目からハッサンの塔(ムーア様式)を見たことぐらい。



 ラバトの街の歴史は古く、紀元前3世紀にはすでに人が住んでいたらしい。
 その後、西暦250年までローマ帝国の支配下にあった。
 再び活気を呈するのは12世紀にムワヒッド朝(1130年~1269年)がこの地に大規模なリバート・エル・ファトフ(勝利の要塞)を築いてから。この名はラバトの街の名の起源になっている。
 その後再び衰退するが、17世紀に復興。1912年、フランスの植民地下になると Fez (フェズ)からラバトに首都が移転。以後、モロッコ独立後もこの地が首都と定められている。

 そんな歴史のある街だったが、観光しなかったのはサッカーのことで頭がいっぱいだったからだろう。今思えば、きちんと自分の目で見ておくべきだったと思う。

※地図はこちら

おまけ(その19)ムスタファ・ハッジ

2011-08-11 00:05:00 | おまけ
(153)カサブランカ③(モロッコ)のおまけ記事



 ムスタファ・ハッジ選手を紹介したい。

 わざわざ予定を変更してモロッコに行ったのは、日本代表フランス代表を見たかったからだけではない。
 モロッコにも素晴らしい選手がいたからだ。



 【ロレーヌの真珠】と評されたハッジのことを知ったのは、98年フランスW杯だ(彼は94年アメリカW杯にも出場している)。

 フランスW杯において、ワールドクラスのプレイを見せていたが、その後は怪我の影響かあまり名前を聞かなくなってしまった。
 2010年までルクセンブルクリーグCS フォーラ・エシュに所属していたらしいが、その後どうなったのか調べてみたが分からない。



 そのスピード感溢れるプレースタイルは、見ていてとても気持ち良かった。
 1998年にアフリカ年間最優秀選手賞を受賞している。


 
※ムスタファ・ハッジ選手の動画はこちら

ミスターマリノス、安らかに眠れ!!

2011-08-07 02:55:40 | コメント


 くしくも前回の投稿で取り上げた日に松田直樹さん(元日本代表松本山雅 FC ( JFL ))が急性心筋梗塞の為亡くなられた(亡くなるには早すぎる)。
 旅のブログと趣旨が外れるが、お悔やみの言葉を述べさせて頂きたい。



 松田さんが練習中に倒れたのは8月2日だった。
 この日はなでしこジャパンが、国民栄誉賞を授与されることが政府から正式に発表された日でもある。

 恵まれない環境で練習してきたのはなでしこ達だけではない。松田さんが倒れた練習場(公園)には AED (自動体外式除細動器)が無かった。この装置があれば彼の命は助かったかもしれない。
 今後、JFL の練習場や、なでしこリーグの練習場に AED の設置が義務付けられると思うが、彼の死を無駄にしないで欲しい。



 前回の記事にも書いたように、彼はハッサン2世国王杯ゲーム・キャプテンだった。
 彼が日本代表として輝いていたのはトルシエジャパンまでだ。ジーコジャパンでは06年ドイツW杯本大会まで残れなかった。

 彼はその性格からか、たびたび指導者・上層部とも衝突している。いつまでもサッカー小僧のままだった。



 生涯マリノスを誓いながら、戦力外を通告され横浜 F・マリノスを退団する際も、フロントとの対立が指摘されていた。J1でバリバリやれる実力を持ちながら、退団決定後に手を挙げるクラブはそう多くなかったと聞く。

 そんな中真っ先に手を挙げた JFL の松本山雅 FC を、J2、J1のクラブに育てるべく、新たな夢に向かって突き進んでいる矢先の出来事だった。



 松田さんの風貌はチェ・ゲバラを彷彿させる。




 若くして亡くなったチェ・ゲバラが世界的英雄・カリスマとなったのと同様、松田さんもまた、多くの人々に語り継がれることだろう。



 「昔、横浜 F・マリノスに、サッカーを取ったら何も残らないようなサッカー馬鹿がいたんだ。日本代表になるような実力を持ちながら、不器用で上の人間と喧嘩したりして、それでいて後輩やサポーターからは絶大な人気を誇っていた。その選手の名前は松田直樹というんだよ。」



 さらば、ミスターマリノス。安らかに眠れ!!





※松田さんの訃報について FIFA もコメントしている。

(153)カサブランカ③(モロッコ)

2011-08-04 23:55:55 | モロッコ
 Casablanca (カサブランカ)滞在三日目の午後。

 宿(ユースホステル)の旅仲間達と楽しみしていたハッサン2世国王杯日本代表戦を観に行った。 

 会場に着くと、既に日本代表の面々がアップを始めていた。
 この時オーラを感じた選手は3人。
 個人的に注目していたからかもしれないが、人を惹きつける存在感がそこにはあった。

カズ(三浦知良)選手(現横浜FC)  キングの風格が漂っていた。「何があっても自分らしく」(旅日記の表紙に書いた言葉)の主を見ることが出来て感激した。

ゴン(中山雅史)選手(現コンサドーレ札幌)  代表には選ばれたものの、残念ながら今大会は怪我で出場機会が無かった。その形相はTVで見るイメージと全く違っていて(真剣で戦っている武士のようだった)、試合に出たいという気持ちが伝わって来た。

中田英寿氏  サッカー一筋の選手が多い中で、どこか達観しているというか、独特のオーラを感じた。



 この日のチケットは一番カテゴリーの高い席(約8000円)だったが、旅仲間達が見ている席(約2000円)とたいして離れていないし、柱が邪魔で却って良く見えなかった。仕方なく、仲間達のところに移ることにした(後で交渉してお金を返してもらうつもりだった)。

 フランス代表との試合は日本代表の善戦が光り、2-2の引き分けだった(PK戦は2-4でフランスの勝利)。
 この試合でゴールを決めた西澤明訓(あきのり)氏(現セレッソ大阪アンバサダー)は、このゴールをきっかけにリーガ・エスパニョーラ(スペインリーグ)の RCD エスパニョールへと移籍している。

トルシエジャパンの代名詞とも言えるフラット3の中心選手として相手の攻撃を防いでいたのは本日亡くなられた松田直樹さん(松本山雅 FC ( JFL ))だ。彼は今大会ゲームキャプテンを任されていた。ご冥福をお祈りします(松田さんの追悼記事はこちら)。

 (下記画像は大会ガイドブックをスキャンしたもの。左上の人物が松田さん。)





 第二試合は、モロッコ代表VSジャマイカ代表だった。
 楽しみにしていた【ロレーヌの真珠】ムスタファ・ハッジ選手(2010年まで CSフォーラ・エシュ (ルクセンブルクリーグ)に所属)は、怪我の為出場しなかった。
 試合結果は1-0でモロッコ代表の勝利。試合内容を考えると、第一試合の日本VSフランスの試合が事実上の決勝戦と言えた。

※ムスタファ・ハッジ選手のおまけ記事はこちら

※地図はこちら