Go straight till the end!!

世界一周の旅の思い出を綴っています。
ブログタイトルは、出発前に旅日記の表紙に書いた言葉です。

(58)クタイシ(ジョージア)

2009-11-26 00:05:10 | カフカス(アルメニア・ジョージア)
 首都 Tbilisi (トビリシ)に1週間滞在した後、西に約220km離れた Kutaisi (クタイシ)まで行くことにした。これからトルコへと向かう。



 バスターミナルに行き、この時共に旅をしていた二宮さん(仮名)とバスに乗り込んだ。
 すると突然、先に乗り込んだ二宮さんの怒声が響き渡った。スリだ!

 スリは追いかける二宮さんを振り切ろうとしたが、後から乗り込んだ自分に退路を断たれることになり、観念して盗んだお金を返した。二宮さんのポケットにあった20ドル札だった。

 二人で行動していて良かったと思う。一人だったら逃げられていただろう(犯人を追いかけて荷物を車中に置いておけば今度はその荷物が危ない)。

 警察に犯人を突き出すことも考えたが、旧共産圏(特に経済的に豊かではない国)ではポリスも評判が悪いのでやめておくことにした(難癖をつけて賄賂を要求してきたりするらしい)。

 気分の悪くなる出来事だったが、お金が無事帰ってきただけでも良しとした方がいいのかもしれない。
 嫌な気持ちを引きずっていると、物事に冷静に対処できなくなり、次のトラブルを招くからだ。



 トビリシを発ったバスは、5時間半かかってクタイシの街に着いた。
 道中、トイレ休憩などもあったのだが、二人ともバスの外へ出ようとはしなかった。



 クタイシは、様々な国の首都としての役割を果たしていたらしい。

コルキス王国(コルヒダ王国)(紀元前6世紀~紀元前2世紀)

グルジア王国(975年~1122年)

イメレティ王国(15世紀~1810年にロシア帝国に併合されるまで)



 ここクタイシに1泊して、付近を観光している。

ゲラティ修道院  クタイシの東10km程にある世界遺産の寺院。1106年にグルジア王ダヴィド4世によって創設された。付属の学院は科学アカデミーとして、中世グルジアの学芸の中心地だった。創設者であるダヴィド4世の亡骸も安置されている。



バクラティ大聖堂  世界遺産。市街を見下ろすウキメリオニの丘にある。11世紀にバグラット3世によって創設された(大聖堂の名前はバグラット3世にちなんで名づけられている)。1691年にオスマン帝国によって破壊されたが、1952年に始まった大聖堂の修復作業により、2001年にグルジア正教会の聖堂へと戻されたらしい(訪問から2年後にあたる)。 



(写真は夕陽を背景にしたウキメリオニの丘)



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(57)トビリシ(後編)(ジョージア)

2009-11-19 00:04:28 | カフカス(アルメニア・ジョージア)
 首都 Tbilisi (トビリシ)もいろいろ観光している。



ジョージア国立博物館  ジョージア(旧グルジア)の歴史・民俗資料について展示。

ジョージア国立芸術博物館(国立美術館)  帝政ロシア時代にはグルジア正教の神学校だった建物。スターリンもここで学んだらしい。Niko Pirosmani (ニコ・ピロスマニ)(1862年~1968年)の作品も展示してあったらしいのだが、よく覚えていない。

アンティスハティ教会  5世紀に建てられたトビリシ最古の石造教会

シオニ大聖堂  6~7世紀に建てられたグルジア正教の総本山聖ニーノの十字架が残っている。

メテヒ教会  ムトゥクバリ川のほとり、小高い丘の上にある。17世紀のモンゴルの侵入により破壊されたが、すぐに再建された。

ナリカラ要塞跡(シュリスツィヘ)  高台にあり眺めがいい。1827年に城内の火薬庫が大爆発を起こし、建物の大部分が吹っ飛んでしまった模様。

カルトゥリス・デダ(ジョージアの母像)  ナリカラ要塞近くにそびえ立つ巨大な女性像。彫刻家アマシュケリの作品らしい。



スニト・モスク  アゼルバイジャン系の住民が礼拝に使用している。



 他には、演劇を見るべく劇場にも行っている。
 残念ながらその時の出し物はお笑いのライブだった。言葉が分からないので周りが大爆笑をしている中ポカンとしていた。
 大多数の人間が笑い転げている中笑わずにいるのは結構勇気のいることだ。周りにとけこむ為に変な作り笑いを浮かべていたかもしれない。



 バザールにも出かけている。
 ガイドブックで覚えたロシア語で挨拶しても素っ気ない反応だった人々が、ジョージア語で話しかけると随分気さくな反応を示すことに気付いた。
 ジョージアは長い間ソビエト連邦の一員だったが、それは国民が本心から望んでいたことではなかったのだろう。
 ロシア語は彼らにとって支配者の言語だったのだ。



 トビリシに1週間滞在した後、バスで Kutaisi (クタイシ)へ向かうことにした。

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(56)ムツヘタ(ジョージア)

2009-11-12 05:59:11 | カフカス(アルメニア・ジョージア)
 Mtskheta (ムツヘタ)は、ジョージア(旧グルジア)の首都 Tbilisi (トビリシ)から北西へ約20kmのところにある静かな街だった。

 ムツヘタは、紀元前3世紀~5世紀の間、イベリア王国の首都だった。
 街全体が世界遺産に登録されている(現在は危機遺産にも登録)。



 観光したのは下記の通り。

ヘブリスツィヘ要塞  アラグヴィ川に臨む中世の要塞。

スヴェティ・ツホヴェリ大聖堂  スヴェティ・ツホヴェリとは【聖なる癒しの水】の意。礼拝中の為、聖なる癒しの水の部屋聖ニーノのイコンは見れなかった。

聖ニーノジョージア人のキリスト教化のきっかけを作った聖女。4世紀末、トルコの Cappadocia (カッパドキア)から来訪し、ビザンツ帝国の影響下にあったイベリア王国のミリアン王をキリスト教に改宗させた。

サムタヴロ教会  もともと聖ニーノの住居があったところに11世紀に建てられた教会。

ジュワリ大聖堂  ジュワリとはジョージア語で【十字架】の意。4世紀に木造教会が建てられ、6世紀に石造りに変えられた。山の上にありムツヘタの街を一望出来る。



 この街は世界遺産でありながら、静かで人気(ひとけ)が少ないので、犯罪に巻き込まれないようビクビクしていた気がする。
 昨日ゴルゴ13のようなジョージア人に会ったからかもしれない。旅仲間と一緒に行動して良かったと思う。
 
 ジョージア滞在中に銃を突きつけられてお金を取られたと言う旅人に出会ったが、そういう物騒な話も実際にあった。 

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(55)カズベギ(ジョージア)

2009-11-05 06:49:42 | カフカス(アルメニア・ジョージア)
 同じ宿(ナジの家というプライベート・ハウス(民宿))に泊まっていた旅人に誘われ、一緒に Kazbegi (カズベギ)まで行くことにしたのだが、正直日帰りで行く場所ではないと思う。

 何故なら、往復7時間以上かかるし、カズベギは僅(わず)かの滞在で済ませてしまうにはもったいない場所だからだ。
 他の方のブログを拝見すると美しい写真が多い。じっくり滞在したかったと改めて思う。



 カズベギまでは首都 Tbilisi (トビリシ)から乗合いタクシーを利用した。タクシーと言っても車は四輪駆動のランドクルーザー(ランクル)だ。



 トビリシからカズベギを通り、ロシア連邦の北オセチア共和国の首都 Vladikavkaz (ウラジカフカス)まで続く南北全長210kmの道は、ジョージア軍用道路と呼ばれている。

 この道路が造られたのは、19世紀初め、この地域にあったカルトゥリ・カヘティ王国が、ロシア帝国の庇護を受けたことに端を発する。
 カヘティ王国はロシアと協力してガージャール朝(イラン)の脅威に対抗し、その支配から脱却した。

 その後、この地は(アレクサンドル・セルゲーヴィチ・)プーシキン(1799年~1837年)や(ミハイル・ユーリエヴィチ・)レールモントフ(1814年~1841年)の文学作品の舞台として注目を集めた。

 ちなみに、2008年の8月、ジョージア軍が侵攻した南オセチア自治州(南オセチア共和国)はカズベギのすぐ西に位置する。
 この南オセチア紛争は、当時北京オリンピックの開会式のニュースと共に世界を駆け巡ったので、覚えておられる方も多いと思う。



 この小旅行で記憶に残っているのは、車の移動が長かったということだろうか。
 疲れてほとんど寝てしまっていた。

 それでも車中から見たアナヌリ教会など美しい景色は覚えている。
 ゆっくり観光したかったが、残念ながらタクシーを貸し切ったたわけではないので、他の乗客の手前こちらの都合を押しつける訳にはいかない。車中から眺めただけだ。

 カズベギに着いてからの滞在時間は僅か30分位。
 ここが終点なので、乗り合いタクシーがトビリシに向けて折り返し出発するまでの休憩時間に観光をしなければならなかった。

 山の上にツミンダ・サメバ教会が見える。
 あそこからの景色はさぞ素晴らしいことだろう。カフカス(コーカサス)の山々を一望出来るかもしれない。
 そんな空想を巡らせながら食事とトイレを済ませ、帰りのタクシーに乗り込んだ。



 途中、迷彩服を着た屈強な体と鋭い目つきを持った男が乗客として乗り込んできた。軍人と思われる。
 平和ぼけした日本から来た自分にとって、その男は異次元の存在に思えた。人生経験が違うとハッキリ分かった。
 分かりやすい例を挙げるならば、ゴルゴ13と同じ車に乗ったような感じだ。車中の空気がピリピリと張り詰めたものになった。


 
 そんな中でも眠ってしまった自分に目が覚めて驚いた。
 随分と神経が図太くなったものだと我ながら感心したのを覚えている(果たしてそれでいいのか分からないが)。

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