都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「ホテル・ルワンダ」 シアターN渋谷 1/21
2006-01-25 / 映画
シアターN渋谷(渋谷区桜丘町24-4)
「ホテル・ルワンダ」
(2004年/南アフリカ=イギリス=イタリア/テリー・ジョージ監督)
ネット上の署名運動から上映にこぎつけたという話題の「ホテル・ルワンダ」を、渋谷の「シアターN」(旧ユーロ・スペース)で見てきました。期待を全く裏切ることのない、非常に希求力のある優れた作品です。これは是非おすすめします。
詳細なストーリーは公式HPを参照していただきたいのですが、この作品は、1994年にアフリカのルワンダで起きた恐るべき「ジェノサイド」(僅か三ヶ月強で100万人もの命が奪われた。)をテーマとしています。主人公は、首都キガリのベルギー系四つ星高級ホテル「ミル・コリン」にて支配人を勤めるポール。彼がフツ族とツチ族の対立という、植民地主義時代の遺物であり、今も大国のパワーゲームに翻弄されている苦い現実に巻き込まれます。ある日始まったツチ族への信じ難い「大虐殺」。その事実を目の当たりにしながら、必至に助けを求める人々を匿い、また生き存えさせていく日々が続きます。ルワンダに当時駐留していた国連平和維持軍も、その事件の残虐性を鑑みるとあまりにも無力でした。「我々は平和維持軍だ、仲裁はしない。」と無念にも述べるオリバー大佐の惨たらしい一言が、結果的に数十万人以上の犠牲者を生み出すことにもつながります。国際社会が派遣したのは、「白人」を助けるためだけに来たベルギー軍のみ。これ以降ポールを始めとしたルワンダ人は見捨てられて、狂気と憎悪の渦巻く血みどろの生存競争に否応無しに放り込まれるのです。「ミル・コリン」にて虐殺の模様を取材し、その一部をカメラにおさめた欧米人ジャーナリストのダグリッシュはポールにこう述べます。「世界の人々はあの映像を見て、『怖いね。』と言うだけでディナーを続ける。」当然ながらこのセリフは、まさに今この作品を見ている者全てに突きつけられるであろう真実の告発です。
民族間の対立を利用して統治してきた旧宗主国のベルギー、そしてルワンダ政府軍を後押しするフランス、さらには「ソマリアの失敗」から介入に及び腰となるアメリカを始めとした国際社会。複雑な要因の絡むこのジェノサイドは、後に主にフツ族の指導者が国際法廷によって裁かれることによって、一定の「ケリ」が付けられますが、この作品において悪者探しをしている暇は全くありません。「誰が正義で何が悪なのか。」という単純な対立項を軽く乗り越えて、あまりにも惨たらしいジェノサイドという敢然たる事実のみを、背筋が凍るほどの緊張感にて、間髪入れずに次から次へとぶつけてきます。「ツチ族はゴキブリだ。駆除せよ。」と叫ぶフツ族のプロパガンダラジオ局。それに呼応して、手にナタや銃を持ち殺戮の限りを尽くす者たち。無惨にも道路に転がり、また湖を埋め尽くす死体の数々。ポールは、何とか「ミル・コリン」に逃げて来た人々を助けようとして、政府軍幹部やフツ族民兵組織などに取り入り、あらゆる限りの手練手管を弄します。ここにはきれいごとはありません。彼は決して大衆を動かした偉大なヒーローではなく、ただ生きたい、そしてこれまで一緒に暮らして来た仲間を救いたいという一心で動き続けるのです。ツチ族でもある妻タチアナへの愛が、そのまま周囲の人々全てに行き渡って、何とか生き延びようと努力をする。破滅的な世界の中で、おびただしい数の死を与える者と、生へ執着心を剥き出しにした者との壮絶なぶつかり合い。ジェノサイドの残虐性と、それを殆ど野放しにした国際社会は当然ながら糾弾されなければなりませんが、ポールの生き様は、恐るべきあの圧倒的な残忍さの渦の中において、弱々しくも一筋の光明のように輝いています。もちろん、彼をそれこそ「救世主」のように崇めて、結果的に助かったことを「ハッピーエンド」として捉えるのはあまりにも盲目ですが、この作品にもし希望を見出すとすれば、まず極限の状況下において「生」を見つけたポールと、孤児を救い出す活動を懸命に続けた赤十字のアーチャーのような存在にあるのでしょう。
内戦の終結によってジェノサイドを間一髪で抜け出したポールたち。彼らを一時待っていたのは、暴力と破壊こそなけれども、非常に貧弱な難民キャンプでした。そこに群がる多くの人々。そして最も無力である小さな子供たち。彼ら彼女らは、一先ず眼前の悲劇こそ奇跡的に逃れられましたが、その先の未来に貧困を抜け出す生活はあるのでしょうか。エンドロールは、キャンプにて子供たちがルワンダ民謡を健気に歌うシーンです。それを見た時、これまで必至に堪えていた涙腺がとうとう緩んで、自らの無力を無責任にも涙で慰める他ありませんでした。この映画が見せる悲劇に終わりはありません。アフリカの今の、また世界で頻発する暴力に無関心ではいられないこと、そしてまさにそれを「怖いね。」だけで片付けてはならないこと。そしてこの世界、特にアフリカに真の「自決」が許されているのかということ。それらを考えると殆ど絶望的な気持ちにもさせられますが、ともかく一人でも多くの方に、ポールやアーチャー、そして必至に生きるルワンダの子供たちの姿を見て欲しい。心からそう思う作品でした。
*公開映画館数が少ない為なのか、(シアターNは非常にキャパシティも小さい。)会場は常に満員のようです。時間に余裕を持って早めに行くことをおすすめします。(あまりギリギリだと立ち見か、次回上映に廻されるようです。)
「ホテル・ルワンダ」
(2004年/南アフリカ=イギリス=イタリア/テリー・ジョージ監督)
ネット上の署名運動から上映にこぎつけたという話題の「ホテル・ルワンダ」を、渋谷の「シアターN」(旧ユーロ・スペース)で見てきました。期待を全く裏切ることのない、非常に希求力のある優れた作品です。これは是非おすすめします。
詳細なストーリーは公式HPを参照していただきたいのですが、この作品は、1994年にアフリカのルワンダで起きた恐るべき「ジェノサイド」(僅か三ヶ月強で100万人もの命が奪われた。)をテーマとしています。主人公は、首都キガリのベルギー系四つ星高級ホテル「ミル・コリン」にて支配人を勤めるポール。彼がフツ族とツチ族の対立という、植民地主義時代の遺物であり、今も大国のパワーゲームに翻弄されている苦い現実に巻き込まれます。ある日始まったツチ族への信じ難い「大虐殺」。その事実を目の当たりにしながら、必至に助けを求める人々を匿い、また生き存えさせていく日々が続きます。ルワンダに当時駐留していた国連平和維持軍も、その事件の残虐性を鑑みるとあまりにも無力でした。「我々は平和維持軍だ、仲裁はしない。」と無念にも述べるオリバー大佐の惨たらしい一言が、結果的に数十万人以上の犠牲者を生み出すことにもつながります。国際社会が派遣したのは、「白人」を助けるためだけに来たベルギー軍のみ。これ以降ポールを始めとしたルワンダ人は見捨てられて、狂気と憎悪の渦巻く血みどろの生存競争に否応無しに放り込まれるのです。「ミル・コリン」にて虐殺の模様を取材し、その一部をカメラにおさめた欧米人ジャーナリストのダグリッシュはポールにこう述べます。「世界の人々はあの映像を見て、『怖いね。』と言うだけでディナーを続ける。」当然ながらこのセリフは、まさに今この作品を見ている者全てに突きつけられるであろう真実の告発です。
民族間の対立を利用して統治してきた旧宗主国のベルギー、そしてルワンダ政府軍を後押しするフランス、さらには「ソマリアの失敗」から介入に及び腰となるアメリカを始めとした国際社会。複雑な要因の絡むこのジェノサイドは、後に主にフツ族の指導者が国際法廷によって裁かれることによって、一定の「ケリ」が付けられますが、この作品において悪者探しをしている暇は全くありません。「誰が正義で何が悪なのか。」という単純な対立項を軽く乗り越えて、あまりにも惨たらしいジェノサイドという敢然たる事実のみを、背筋が凍るほどの緊張感にて、間髪入れずに次から次へとぶつけてきます。「ツチ族はゴキブリだ。駆除せよ。」と叫ぶフツ族のプロパガンダラジオ局。それに呼応して、手にナタや銃を持ち殺戮の限りを尽くす者たち。無惨にも道路に転がり、また湖を埋め尽くす死体の数々。ポールは、何とか「ミル・コリン」に逃げて来た人々を助けようとして、政府軍幹部やフツ族民兵組織などに取り入り、あらゆる限りの手練手管を弄します。ここにはきれいごとはありません。彼は決して大衆を動かした偉大なヒーローではなく、ただ生きたい、そしてこれまで一緒に暮らして来た仲間を救いたいという一心で動き続けるのです。ツチ族でもある妻タチアナへの愛が、そのまま周囲の人々全てに行き渡って、何とか生き延びようと努力をする。破滅的な世界の中で、おびただしい数の死を与える者と、生へ執着心を剥き出しにした者との壮絶なぶつかり合い。ジェノサイドの残虐性と、それを殆ど野放しにした国際社会は当然ながら糾弾されなければなりませんが、ポールの生き様は、恐るべきあの圧倒的な残忍さの渦の中において、弱々しくも一筋の光明のように輝いています。もちろん、彼をそれこそ「救世主」のように崇めて、結果的に助かったことを「ハッピーエンド」として捉えるのはあまりにも盲目ですが、この作品にもし希望を見出すとすれば、まず極限の状況下において「生」を見つけたポールと、孤児を救い出す活動を懸命に続けた赤十字のアーチャーのような存在にあるのでしょう。
内戦の終結によってジェノサイドを間一髪で抜け出したポールたち。彼らを一時待っていたのは、暴力と破壊こそなけれども、非常に貧弱な難民キャンプでした。そこに群がる多くの人々。そして最も無力である小さな子供たち。彼ら彼女らは、一先ず眼前の悲劇こそ奇跡的に逃れられましたが、その先の未来に貧困を抜け出す生活はあるのでしょうか。エンドロールは、キャンプにて子供たちがルワンダ民謡を健気に歌うシーンです。それを見た時、これまで必至に堪えていた涙腺がとうとう緩んで、自らの無力を無責任にも涙で慰める他ありませんでした。この映画が見せる悲劇に終わりはありません。アフリカの今の、また世界で頻発する暴力に無関心ではいられないこと、そしてまさにそれを「怖いね。」だけで片付けてはならないこと。そしてこの世界、特にアフリカに真の「自決」が許されているのかということ。それらを考えると殆ど絶望的な気持ちにもさせられますが、ともかく一人でも多くの方に、ポールやアーチャー、そして必至に生きるルワンダの子供たちの姿を見て欲しい。心からそう思う作品でした。
*公開映画館数が少ない為なのか、(シアターNは非常にキャパシティも小さい。)会場は常に満員のようです。時間に余裕を持って早めに行くことをおすすめします。(あまりギリギリだと立ち見か、次回上映に廻されるようです。)
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )
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アフリカの戦火は今でも続いていますが、関心を持ち続けたいと思います。
こどもたちが歌うシーンは本当に希望を託すしかありませんよね。
不覚にも私は涙でした…。
よろしかったら今後ともよろしくお願いします。
ご丁寧にありがとうございます。
いつも拝見させていただいております。
こちらこそ宜しくお願いします。
あまりにも重い映画でした・・・が、観ておいて本当に良かったです。
>ともかく一人でも多くの方に、ポールやアーチャー、そして必至に生きる
>ルワンダの子供たちの姿を見て欲しい。心からそう思う作品でした。
まったく同感です。
#当初より上映館も増えて好評なようですね、嬉しいニュースです。
>あまりにも重い映画でした・・・が、観ておいて本当に良かったです
同感です。
ただ悪い意味でないハリウッド色が出ていて、
最後まで飽きさせない力のある作品でしたよね。
映画としてシリアスになり過ぎないバランス感覚が秀逸でした。
>当初より上映館も増えて
良かったですよね。
もちろん初めが少な過ぎただけなのですが、
公開へ向けてご尽力なされた方々にも感謝したいです。