都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
読売日本交響楽団 「シベリウス:交響曲第5番」他 1/15
読売日本交響楽団 第74回東京芸術劇場マチネーシリーズ
セゲルスタム: 交響曲第91番
ラフマニノフ: ピアノ協奏曲第2番
シベリウス: 交響曲第5番
ピアノ アレクサンダー・ガヴリリュク
指揮 レイフ・セゲルスタム
演奏 読売日本交響楽団
2006/1/15 14:00 東京芸術劇場3階
今年初めてのコンサートは、セゲルスタムの指揮による、読売日響「芸劇マチネーシリーズ」でした。プログラムは、セゲルスタム自作の交響曲とシベリウスの5番、それにソリストにガヴリリュクを迎えての、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番です。私は数年ぶりにこのマチネーへ出向いたのですが、会場はとても混雑していて、特に女性の姿が多く見受けられました。プログラムの妙か、ピアニストによるものなのか、ともかくもなかなか活況を呈していたコンサートです。
さて、この日最も素晴らしかったのは、二曲目のラフマニノフのピアノ協奏曲、特にアレクサンダー・ガヴリリュクのピアノ独奏です。恥ずかしながら私は、ホールに行って初めて彼の名を知ったのですが、ともかくピアノにて繊細な感性を表現することの出来る、非常に力のあるピアニストでした。何かとお涙頂戴的な要素もあるこの超名曲を、決して力で押し切ることなく、半ば一歩曲から引いて構えるようにして、端正にピアノを鳴らして仕上げていきます。きらびやかな高音のトリル、やや訥々としながらも、素朴にピアノを語らせることの出来る控えめな中音域。そして繊細で、まるでシルクの肌触りのように滑らかなピアニッシモ。そのどれもが欠けることなく器用に表現されて、強烈な個性こそありませんが、この曲の持つ魅力を巧みに引き出すのです。実は私はこの曲があまり好きではないのですが、こうなってくると彼のピアノにひたすら聞き惚れるしかありません。今後は是非、美しく聴かせることに難しい、モーツァルトのピアノ協奏曲で聴いてみたいとも思います。予期せぬほど美しいピアノを聴かせてくれた、ガヴリリュクだけで、私のこの日のコンサートは殆ど終りです。(と言ったら怒られそうですが…。)
さて、メインのシベリウスは随分と重めです。セゲルスタムのタクトの元、非常にこってりとした厚みのある音色によって、時折ワーグナーの「ジークフリート」を思わせるような、渋く、また濃厚な音楽を作り上げます。全体的なテンポはやや遅めでしょうか。一つ一つのフレーズを、あまり力を入れないで丁寧になぞっていく。この曲における印象的な主題は特にゆっくりと鳴らしながらも、弦も管も抑制的に演奏させて、オーケストラを華美に味付けしない。何故か突然、俗っぽく盛り上がってくるいくつかの箇所を除けば(それこそオペラ的にクライマックスを作り上げます。)、これほどこじんまりとした響きが読響から聴かれるとは思いませんでした。
終始どうしても気になったのは、デュナーミクの、特にピアニッシモ方向における平板な表現と、全体のレンジの狭さです。ある時は管弦楽が咆哮し、またある時は室内楽のように精緻に響く、まさに目まぐるしく表情の変化するこの曲が、どこを切り取ってもあまり変わらないように聴こえてしまいます。冷気を帯びているような、寒々しいシベリウスのストイックな魅力のある響きが、セゲルスタムの手にかかると、あまりにも温かみとふくらみを持ち過ぎるのかもしれません。もちろん、それも一つのスタイルではあるので、こればかりは私の好みに合わなかったとしか言う他ないでしょう。それにしても洗練されたこの美しい曲が、あまりにも長く聴こえてしまったのは残念でした。
21日の公演にて予定されている「復活」では、セゲルスタムの方向性が上手く曲とマッチするような気もします。あまり好意的でないことばかり書いてしまいましたが、もう少し聴き続けてみたい方だとは思いました。
セゲルスタム: 交響曲第91番
ラフマニノフ: ピアノ協奏曲第2番
シベリウス: 交響曲第5番
ピアノ アレクサンダー・ガヴリリュク
指揮 レイフ・セゲルスタム
演奏 読売日本交響楽団
2006/1/15 14:00 東京芸術劇場3階
今年初めてのコンサートは、セゲルスタムの指揮による、読売日響「芸劇マチネーシリーズ」でした。プログラムは、セゲルスタム自作の交響曲とシベリウスの5番、それにソリストにガヴリリュクを迎えての、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番です。私は数年ぶりにこのマチネーへ出向いたのですが、会場はとても混雑していて、特に女性の姿が多く見受けられました。プログラムの妙か、ピアニストによるものなのか、ともかくもなかなか活況を呈していたコンサートです。
さて、この日最も素晴らしかったのは、二曲目のラフマニノフのピアノ協奏曲、特にアレクサンダー・ガヴリリュクのピアノ独奏です。恥ずかしながら私は、ホールに行って初めて彼の名を知ったのですが、ともかくピアノにて繊細な感性を表現することの出来る、非常に力のあるピアニストでした。何かとお涙頂戴的な要素もあるこの超名曲を、決して力で押し切ることなく、半ば一歩曲から引いて構えるようにして、端正にピアノを鳴らして仕上げていきます。きらびやかな高音のトリル、やや訥々としながらも、素朴にピアノを語らせることの出来る控えめな中音域。そして繊細で、まるでシルクの肌触りのように滑らかなピアニッシモ。そのどれもが欠けることなく器用に表現されて、強烈な個性こそありませんが、この曲の持つ魅力を巧みに引き出すのです。実は私はこの曲があまり好きではないのですが、こうなってくると彼のピアノにひたすら聞き惚れるしかありません。今後は是非、美しく聴かせることに難しい、モーツァルトのピアノ協奏曲で聴いてみたいとも思います。予期せぬほど美しいピアノを聴かせてくれた、ガヴリリュクだけで、私のこの日のコンサートは殆ど終りです。(と言ったら怒られそうですが…。)
さて、メインのシベリウスは随分と重めです。セゲルスタムのタクトの元、非常にこってりとした厚みのある音色によって、時折ワーグナーの「ジークフリート」を思わせるような、渋く、また濃厚な音楽を作り上げます。全体的なテンポはやや遅めでしょうか。一つ一つのフレーズを、あまり力を入れないで丁寧になぞっていく。この曲における印象的な主題は特にゆっくりと鳴らしながらも、弦も管も抑制的に演奏させて、オーケストラを華美に味付けしない。何故か突然、俗っぽく盛り上がってくるいくつかの箇所を除けば(それこそオペラ的にクライマックスを作り上げます。)、これほどこじんまりとした響きが読響から聴かれるとは思いませんでした。
終始どうしても気になったのは、デュナーミクの、特にピアニッシモ方向における平板な表現と、全体のレンジの狭さです。ある時は管弦楽が咆哮し、またある時は室内楽のように精緻に響く、まさに目まぐるしく表情の変化するこの曲が、どこを切り取ってもあまり変わらないように聴こえてしまいます。冷気を帯びているような、寒々しいシベリウスのストイックな魅力のある響きが、セゲルスタムの手にかかると、あまりにも温かみとふくらみを持ち過ぎるのかもしれません。もちろん、それも一つのスタイルではあるので、こればかりは私の好みに合わなかったとしか言う他ないでしょう。それにしても洗練されたこの美しい曲が、あまりにも長く聴こえてしまったのは残念でした。
21日の公演にて予定されている「復活」では、セゲルスタムの方向性が上手く曲とマッチするような気もします。あまり好意的でないことばかり書いてしまいましたが、もう少し聴き続けてみたい方だとは思いました。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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凄い才能に出会ったと、今でも15日のことをはっきり思い出すことができます。
ただ、あのとき右手の人差し指?にバンドエイドのようなものが巻かれているような気がして、それが気になりました。
当日アンコールはありませんでしたが、その前の同プロの名曲シリーズではアンコールにも応えたようなので、そのあたりが心配です。
ところで、休憩時間に思わずロビーで彼のCDを買ってしまいましたが、素晴らしい出来栄えでした。また記事を書きますね。
今後ともよろしくお願い致します。
コメントまでありがとうございます。
>右手の人差し指?にバンドエイドのようなものが巻かれているような気がして、それが気になりました。
当日アンコールはありませんでしたが、その前の同プロの名曲シリーズではアンコールにも応えたようなので、そのあたりが心配です。
そうなのですか!
私はもうラフマニノフだけで大満足だったので、
アンコールを望むことすらなかったのですが、
お怪我なら尚更心配です!
>休憩時間に思わずロビーで彼のCDを買ってしまいましたが、素晴らしい出来栄えでした。また記事を書きますね。
記事お待ちしております!
>今後ともよろしくお願い致します
美術ばかりで、あまりクラシックの記事のないブログなのですが、
こちらこそどうぞよろしくお願いします。