「亀倉雄策生誕100年記念 デザイン飛行」 クリエイションギャラリーG8

クリエイションギャラリーG8
「亀倉雄策生誕100年記念 デザイン飛行」
4/6-5/21



クリエイションギャラリーG8で開催中の「亀倉雄策生誕100年記念 デザイン飛行」を見てきました。

東京オリンピックや大阪万博のポスター、それにグッドデザイン賞のロゴマークなどでも知られる亀倉雄策(1915-1997)。

戦後の昭和日本を代表するグラフィックデザイナーと言えるのではないでしょうか。その業績を紹介する展覧会が銀座のクリエイションギャラリーG8で行われています。

会場内、撮影が出来ました。(一部撮影不可。)



まず並ぶのは輝かしきオリンピックのポスター、1964年の東京五輪です。シンプルな日の丸を落とし込んだデザインは否応無しに目を引くもの。水を力強く掻き分けて迫る水泳選手、そして聖火を手にして走るランナー。人間の肉体美はもとより、スポーツの躍動感を見事なまでに伝えています。



亀倉と交流した様々なアーティストも取り上げられています。代表的なのは土門拳に勅使河原蒼風、そしてイサムノグチなどです。いわゆる写真パネルでの展示ですが、あわせて亀倉が彼らに思いを寄せたテキストが付いているのも見逃せません。

例えば亀倉はイサムノグチを「形態の魔術師」と称しています。また妻の山口淑子に対しては、イサムの「狂気に近い完全主義のために随分辛い思いをしたのではなかったか。」と同情を寄せています。それによるとイサムは日本の生活には藁草履が合うとして、家の中でもスリッパを履かせなかったとか。ゆえに淑子の足の皮膚はすり切れて血で滲んでいたこともあったそうです。



田中一光に対しては「彼ほど有能なアートディレクターはいない。」と激賞しています。そして田中のデザインに「琳派の精神」を見ている。こうした亀倉のテキスト、率直なところかなり興味深いもの。思わずじっくり読んでしまいました。



海外のアーティストとの交流も重要です。サヴィニャックです。1954年、初めて渡仏した亀倉はサヴィニャックに面会。サヴィニャックはこの時初めて日本人と出会いました。お土産には鯉のぼりを渡したそうです。



来日時に毎晩のようにバーで飲み交わしたというヨゼフ・ミューラー=ブロックマンのエピソードも面白いもの。何でもブロックマン、日本を大いに気に入ったのか、住まいを純和風の日本家屋に定めていたそうです。そして日本食ばかりを食べていた。そのおかげでしょうか。しばらくすると痩せていきます。すると亀倉は彼の健康状態が心配になり、ステーキハウスに誘い出しました。それでもブロックマンは断って日本食を食べ続けていたそうです。

さて、デザイナーとして世に様々な作品を生み出したとともに、日本デザインセンターの設立など、デザインというジャンルの普及にも尽力した亀倉。晩年には雑誌「クリエイション」の編集者として活動します。



第1号は1989年です。ご覧の通り、壁一面には「クリエイション」の表紙やデザインなどが並んでいます。



また「クリエイション」に際してのドイツの企業とのやり取りも興味深い。実は当時、クリエイションという名は、既にドイツの企業によって登録されていました。よって発刊が困難だと知った亀倉は交渉を思いつきます。大胆にもドイツの会社に出版目的を直接訴えました。すると熱意にうたれたのでしょうか。先方の会社からタイトルの利用を許可する旨の返事を得られたそうです。



ほかにも19歳の時に初めて装幀した「夜間飛行」や、アーティストらと交わした直筆の手紙も多数展示。新出のものも少なくありません。希求力のあるポスター群は私のようなデザインに疎い者にとっても素直に引き付けられるものがあります。




クリエイションギャラリーで見る亀倉のクリエイション。そもそも亀倉は同ギャラリーを運営するリクルートとも関係のある人物です。一時は会社の取締役にも就任、かつてのリクルートのロゴをデザインしています。

亀倉のパワフルな創造の源泉、あるいは人となり。それを垣間見られる展覧会と言えるかもしれません。

「亀倉雄策のデザイン/六耀社」

入場は無料です。5月21日まで開催されています。

「亀倉雄策生誕100年記念 デザイン飛行 世界を代表する作家たちとの交流から、デザイン誌『クリエイション』にいたるまで」 クリエイションギャラリーG8
会期:4月6日(月)~5月21日(木)
休館:日・祝日。4/29(水)~5/6(水)。
時間:11:00~19:00。
料金:無料。
住所:中央区銀座8-4-17 リクルートGINZA8ビル1F
交通:JR線新橋駅銀座口、東京メトロ銀座線新橋駅5番出口より徒歩3分。
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