極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

ビブリア古書堂の事件手帖

2013年01月22日 | 日々草々

 

 

【激しく遷ろう現在のサスペンス・オアシス】

先週は作業しながらテレビをみていたが、勿論、夕食後だからアルコールは入っているが、初回放送
とあって手をとめることはなかったのだが、セピアトーンの画面が気にいってしまう。また、チャラ
チャラしたキャラクターの登場(ラメを塗りたくった剛力彩芽を想像するだけで北鎌倉のイメージは
壊れてしまう?)がなかったのが幸いしたのか気に入ってしまうが手と手をとめることはなかった。
昨夜は、その期待から手作業をとめ、ドラマの後半からソファーに移り鑑賞することに。

 小説家の僕は、いつも一人で過ごしている。ときどきは一日中言葉を話さないこともある。ああ、
 これはよくない。誰とでもいい、ふたこと、みことでもいいのだ。お天気の話をするだけでもい
 い。その人のためになにかの役に立つということを抜きにして、僕達がお互いに必要とし合う間
 柄になれたなら、ど
んなにいいことだろう。
                            
                               小山清著 『落ち穂拾い』

と、高橋克美扮するせどり屋志田肇が本の一節を語るシーンに思わず哀愁(pathos)の調べに落ちな
がら久しく感じることのなかった登場人物のこころの襞を現実のように見えてくるようなで不思議な
安堵感を覚える。舞台は、北鎌倉駅のホーム隣の路地の向かいで営業している古本屋(勿論、フィク
ョン)。古い木造の建屋で、何十年も前から営業している老舗で人文科学系の専門書を主に扱うが、
マンガや文庫本の棚もあり、ネット上にある古本の検索サイトに参加しもし、売り上げの多くはネッ
ト通販でまかなわれ、店のカウンターの奥は店主が住んでいる母屋へ通じているという家屋をコアと
してドラマが展開する。

 


「僕はいま武蔵野市の片隅に住んでいる。僕の一日なんておよそ所在ないものである。本を読んだり
散歩をし
たりしているうちに、日が暮れてしまう。それでも散歩の途中で、野菊の咲いているのを見
かけたりすると、ほっとして重荷の下りたような気持になる。その可憐な風情が僕に、「お前も生き
て行け」と囁いてくれるのである。僕は外出から帰ってくると、門口の郵便箱をあけて見る。留守の
間になにかいい便りが届いていはしまいかと思うのである。箱の中はいつも空しい。それでも僕はあ
けて見ずにはいられないのだ。僕はいまの人が忘れて顧みないような本をくりかえし読むのが好きだ
。」(同上『落ち穂拾い』より)。小山の母つたはキリスト教徒であったこともあり、「私の家では、

毎日、朝御飯を食べる前に、また、夜寝る前に、家族の者が集って、讃美歌をうたひ、聖書を読み、
そしてお祈りをした」(『クラ爺や』」より)という小山にとってキリスト教は幼い頃より身近なも
のであった。1923年(大正12)関東大震災により家は全焼、弟が行方不明になるなど、小学六年生の
小山は、人生に懊悩した日々を過ごす。そんな中救援事業のため状況していたキリスト教伝道者・社
会運動家の賀川豊彦と出会い、キリスト教に接近する。25年(大正14)には高倉徳太郎の説教に感銘
を受け聖書を耽読、28年(昭和3)17歳のとき高倉により受洗するも、母の逝去を契機に数年で教会を
脱会する小山だが、彼が残した諸作品には「よきサマリア人」「聖家族」「グラ爺や」など聖書やキ
リスト教をテーマにしたものが多くあり「落穂拾ひ」「遁走」のように、一部聖書の警句を引用した
ものや、聖書がアイテムとして出てくる作品がある


「聖家族」のヨセフが繰り返し読んだといわれる「汝らの地の穀物を獲ときには汝等その田野の隅々

までを尽くべからず 亦汝の穀物の遺穂を拾うべからず また汝の菓樹園の菓を取尽くすべからずた汝
の菓樹園に落たる菓を斂むべからず 貧しき者と旅客のためにこれを遺しおくべし」には、小山にとっ
て重要な箴言であったという。また、彼の作品には「隣」という言葉が目立ち、「日々の麵麭」には
「隣人」「隣のかみさん」「隣にすんでいる」、この『落穂拾い』には「隣家の庭」「『秋深き隣は
何をする人ぞ』」「隣同士」などとの引用が多く、身近な人々の貧しくつつましい生活を送っている
ひととのと触れ合いが淡々と描かれる。幼いころよりキリスト教の「隣人愛」の思想を肌身で感じて
いた著者は、僕は一日中誰とも言葉を交さずにしまうことがある」「僕にはつい遊びに出かけるよう
な処もない」「誰かに贈物をするような心で書けたらなあ」と希求していた「僕」は、最後に貧しい
本屋を営むはたちまえの少女から、十月四日の誕生日に、耳かきと爪きりというささやかな贈物
を貰
う。その後少女が広げて見せた少女雑誌の付録に、同じ十月四日生まれの農民画家ミレーの名前
を見
つけるという結末設定で、貧しき者のために残しておく落ち穂と、それを拾う貧しき農婦。
隣人に贈
る物と、隣人から贈られる物という、素朴な「隣人愛」の思想に触れることができる。

※小山 清(1911年(明治44年)10月4日 - 1965年(昭和40年)3月6日)は東京府出身の小説家。東京
市浅草区新吉原の廓内に生まれる。生家は兼東楼という貸座敷業を営んでいたが、盲目の父は家業に
関係せず義太夫を謡っていた。明治学院中等部卒業。18歳のとき人生への煩悶から洗礼を受けるも、
数年で脱会。母の死後、一家離散の憂き目を見る。下谷竜泉寺町界隈で新聞配達をしていたが、1940
年(昭和15年)に太宰治の門人となる。第二次世界大戦後まもなくは炭坑夫として、夕張の炭坑で働
き2年足らずを過ごす。この時期に太宰が死去。同じ頃から太宰に預けていた原稿が売れるようになり、
作家となる。1952年(昭和27年)に『文學界』に発表した「小さな町」や『新潮』発表の「落穂拾ひ」
など、一連の清純な私小説で作家としての地位を確立。1951年(昭和26年)に「安い頭」が第26回芥
川賞候補に、1952年に「小さな町」が第27回芥川賞候補に、1953年(昭和28年)「をぢさんの話」が
第30回芥川賞候補にあげられ、1952年、亀井勝一郎夫妻を仲人にして、18歳下の関房子と結婚。1953
年に長女美穂、1955年に長男穂太郎(現在東京藝術大学絵画科教授)が誕生。1958年(昭和33年)、
心臓障害による脳血栓から失語症となる。以後は妻の稼ぎに依存し生活保護を受けて暮らすが、1962
年4月13日、妻が9歳の長女と7歳の長男を残して練馬区の雑木林で睡眠薬自殺。1965年(昭和40年)、
急性心不全で死去。享年55。
 

ところで、このドラマの原作『ビブリア古書堂の事件手帖』は三上延による日本のライトミステリ小
説シリーズということだ。イラストは越島はぐ(放電映像という日本のイラストレーターの主にライ
トノベルのイラストを手がける水彩画風のタッチが特徴という作家集団)?というがよくわからない
が、メディアワークス文庫(アスキー・メディアワークス)より刊行されているというが、正式タイ
トルは『ビブリア古書堂の事件手帖―栞子さんと奇妙な客人たち 』。また、三上延(みかみえん、
1971年-)は、日本の小説家。神奈川県横浜市出身、藤沢市育ち。武蔵大学人文学部社会学科卒業、大
学時代は文芸部に所属していたという。そんな彼は自らのブログで「古書店を舞台にしたミステリっ
ぽい
小説です。イラストは越島はぐさん。表紙が素晴らしいのは言うまでもないですが、各話ごとの
扉絵もとてもいいです。」
「美人で人見知りなお姉さんが古書店で働いていたらどんなにいいだろう」
という高校時代の俺の白日夢がベースになってます。後になって古書店でバイトしてみると、きれい
な女性は働いていましたが、ものすごく有能な原価率管理の鬼でした。」と作品モチーフをこのよう
に表現している。

 

 

古書に関して並外れた知識を持つが、極度の人見知りである古本屋の店主・栞子(しおりこ)が、客
が持ち込む古書にまつわる謎を解いていく。作中で扱っている古書は実在のものである。2012年1月、
発行部数がシリーズ累計103万部となり、メディアワークス文庫で初のミリオンセラー作品となった
とか。累計発行部数は2012年4月時点で200万部、第3巻が発売された同年6月時点で300万部を突破し
ているという-鎌倉の片隅で営業している古本屋「ビブリア古書堂」。店主の篠川栞子は古本屋のイ
メージに合わない若い綺麗な女性である。人見知りであり接客業を営む者として心配になるが、古書
知識は並大抵のものではない。彼女は古書にまつわる謎を解き明かしていくという展開。主なキャス
トは、小学生の頃の些細ないたずらが原因で、活字を見ると体調が悪くなる「活字恐怖症」とでもい
うべき症状があり、読書とは縁遠い人生を送ってきた。しかし本人は、本に対して憧れに近い感情を
抱いている。内定していた会社が倒産し、大学卒業後無職の状態が続いていた。祖母が遺した『漱石
全集』を査定してもらうために「ビブリア古書堂」を訪れ、そこで栞子に祖母の秘密を解いてもらっ
た縁で、アルバイトとして就職する五浦大輔二十三歳♂。北鎌倉の古本屋「ビブリア古書堂」の女店
主。黒髪の長髪に透き通るような肌をした美人。近眼で、普段は眼鏡を着用している。小柄で身体は
細いが、服の上からでも分かる巨乳。本の話以外では他人と目を合わせることもできない、内向的な
性格。しかし、古書の知識は並大抵のものではない。普段はたどたどしい喋り方をするが、本が絡む
話になると別人のようにキビキビとした喋り方になり、相手に構わずその知識を語り続ける篠川栞子
年齢?♀。ビブリア古書堂の常連客の男で、せどり屋。ホームレスで、鵠沼の橋の下に住んでいる。
ある事件で小菅と親しくなる。その後本に対する感想を言い合う関係となり、彼女から「先生」と慕
われるようになる志田□□年齢?♂。

さて、第一話の「偽のサインと古書に秘められた謎」 では、「ビブリア古書堂」の店主・篠川栞子
剛力彩芽)のもとに、古書の査定のため五浦大輔(AKIRA)がやってきて、大輔が持ち込んだ亡く
なっ
た祖母の蔵書『夏目漱石全集』で、その『第八巻それから』に「夏目漱石」と署名があったため、サ
インが本物なら高く売れるのでは、と期待した母・恵理(松坂慶子)から頼まれたものだった。
本を
手にじっと考え込んだ栞子は、やがてサインは偽物だと言う。大輔は礼を言い立ち去ろうとするが、
栞子はサインを書いたのは祖母自身としか考えられないと話す。唐突な話に、証拠はあるのかと尋ね
る大輔に、栞子は祖母にまつわる驚くべき推論を展開していく
後日、「ビブリア古書堂」を訪ねた
大輔は、恵理に確認した結果、栞子の推論が事実だったと話す。本を見ただけでなぜそこまでわかる
のかと興奮気味の大輔に、栞子は困惑し言葉を濁すが、
その数日後、栞子と再会した大輔は再び「ビ
ブリア古書堂」へやってきて、自分は本を読むと気分が悪くなる体質だと明かすが、栞子は大輔にこ
の店で働いてみないかともちかける。古書店の人間に必要なのは、本の内容ではなく市場価値の知識
だと説く栞子。迷いながらもその申し出を受ける大輔。
翌日、彼が「ビブリア古書堂」にいると、志
田肇(高橋克実)がやって、志田は荷物をカウンターに置くと、栞子に小山清の『落ち穂拾ひ』が盗
まれたと言った。それを聞いた栞子は推論を展開するという予兆でドラマはおわる。

小説『それから』は、夏目漱石の小説。1909年6月27日より10月4日まで、東京朝日新聞・大阪朝日新
聞に連載。翌年1月に春陽堂より刊行され『三四郎』(1908年)・『それから』(1909年)・『門』(1910
年)によって前期三部作を構成するといわれている。いずれも読書した記憶はあるが内容の記憶は断片
的と
なっている。ましてや、前期三部作?といわれても「はぁ~っ」というしかない。そのストーリ
というのは、定職に就かず、毎月1回、本家にもらいに行く金で裕福な生活を送る、ニート族の長井代
助が、友人平岡常次郎の妻の三千代とともに生きる決意をするまでを描いている。1909年を背景に、
東京高等商業紛争、『それから』の連載に先立つ『煤煙』の連載、日糖事件などの作品外の事象への
言及があるとか。代助の父は実業家で、次男の代助は学生時代から裕福な生活を送り、卒業後も一戸
を構えるが就職せず、実家にもらいに行く金で、自由気ままな生活を続ける。親友である平岡は卒業
後、銀行に就職し、京阪の支店に勤務し、一年後に代助と平岡との共通の友人である菅沼の妹である
三千代と結婚。三年後、平岡は、部下の公金500円ほどの使い込みが支店長に及ぶのを避けるために辞
職させられ東京に戻っくる。代助が三千代を愛していることに気づき愛を告白し、佐川の娘との縁談
を父に断り、平岡に三千代を譲ってくれるよう懇願するが父から感動されてしまう。自然の児になろ
うか、または意志の人になろうかと代助は迷うが、人妻を奪還し親族や親友(=社会)と闘い、彼は、
やっと凡てと闘う決意と覚悟もつという件で小説は終わるというものだ。
 

 

因みに『門』は、夏目漱石の長編小説。1910年に「朝日新聞」に連載され、翌年1月に春陽堂より刊行
され、『三四郎』『それから』に続く、前期三部作最後の作品。親友であった安井を裏切って、その
妻である御米と結婚した宗助が、罪悪感から救いを求める様を描く。宗助は、かつての親友である安
井の妻である御米を得たが、その罪ゆえに、ひっそりと暮らさざるをえなかった。そのため弟小六に
関する父の遺産についてもあまり関心を示さず、小六を引き取り共に暮らすことになる。しかし気苦
労の多い弟との同居のためなどで、御米は寝込んでしまう。
宗助は救いを求める鎌倉へ向かい参禅し
たが、結局悟れず帰宅。すでに安井は満州に戻り、小六は坂井(大家)の書生になることが決まって
いた。御米は春が来たことを喜ぶが、宗助はじきに冬になると答える。『三四郎』『それから』とと
もにいわゆる前期三部作をなす作品で、その最後にあたり、この作品は『それから』で友人の妻を奪
い、高等遊民を脱して職を探しに出た主人公長井代助の「それから」で、社会から逃れるように暮ら
す夫婦の苦悩や悲哀を描写したとされるが、
宗助が唐突に鎌倉に参拝し、最も緊張感がある場面設定
となるべきところ、満州に戻ったことで『それから』のような大きなクライマックスが持てず結末す
るのは、夏目漱石の病状の悪化が原因とされるが、この作品の連載終了後、漱石は胃潰瘍のため入院
し、修善寺の大患の経験しその作風に影を落としものと推測されている。
 

今夜は、『ビブリア古書堂の事件手帖』の絶賛となった。

ところで、

鎌倉は狭すぎるという印象をもって帰ってきた経験がある。それなりに、総合的な基本的な見直しは
必要やね
ぇ~というのが彼女と二人の感想。あれと、これと、それをこう持ってきてと、叡智、想像
力を働かしてできあがった北
鎌倉イメージは歴史的でしっとりとチャーミングで住みやすい日本屈指
の田園都市だと思っている。

※電信柱や電線など高架線がごちゃごちゃしていますね。これを埋設にすれば、まずはスッキリする。
 江ノ電と交通インフラ(プラットフォーム)を再整備(交通事故、渋滞、パークランドの有無、EV
 車導入などハード面、ソフト面)するなど仕事は多いですね。

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