極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

おしまいの断片・考

2016年06月09日 | 時事書評

 

    

  

           世界的な作家といわれ、社会的な地位や発言力をもつことよりも、
           自分が接する家族と、文句なしに円満に気持ちよく生きられたら、
                    そのほうがはるかにいいことなのではないか、
                    そんなふうにぼくは思うのです。

 

                                  

                                             Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924 - 16 Mar, 2012  

 

【おしまいの断片・考Ⅰ】




    プロポーズ


   私は彼女に申し入れ、それから彼女は私に申し入れる。我々はお互いの頼みを

   受け入れる。かけひきはない。十一年近く一緒に暮らしたから相手の胸の

   うちは痛いほどよくわかっている。のばしのばしにしてきたことも、ようやく

   機が然した。今なら筋が通る。我々は薔薇の咲き乱れた庭園にでも

   いるべきだ。あるいは少なくとも海に突き出した

   美しい崖の上にでも。しかし

   我々はカウチの上にいる。読みかけの本を膝に置いたまま、あるいは

   古いベティー・デイヴィスの映画

   妖艶な白黒画面の中で繰り広げられるのを前に(背景の暖炉では炎が

   まがまがしく踊り、彼女は可愛らしい銃身の短い回転拳銃を手に大理石の

   階段を登っていく。かつての愛人を消す

   ために。男にプレゼントされた毛皮のコートを彼女は肩にだらりと羽織っている。ああ

   美しき、生死をかけた関係。かくも世界で

   真実たること)、よくうとうと眠ってしまうその

   カウチに。

   数日前に、ちょっとしたことが判明した。

   自分たちのためにあると思い込んでいた将来の歳月がほんとうはないのだと

   いうことが。医者は最後には、私があとに残していくはずの「なきがら」の話

   まで持ち出した。我々が涙と暗濃の帳の中に入ってしまうのをなんとか

   防ごうとして。「でもこの人は自分の人生を愛しているんです」という声を

   私は聞いた。彼女の声。若い医者は間髪を入れずに応じる。「わかっています。

   あなたはこれからそういった七つの段階を通り技けねばなりません。しかし最後は

   受容に終わります」

   そのあとで、我々はこれまでに入ったことのないカフエでランチを

   食べた。彼女はパストラミを、私はス-プを注文した。たくさんの

   人々がそこでランチを食べていた。幸いなことに知った顔は

   見えなかった。我々は計画を立てなくてはならなかった。時間はまるで万力の

   ように我々を締めあげ、永続的なるもののために場所をあけさせるべくぐいぐいと

   希望をしぼりだしていた。フ氷続的」という言葉を思うと私は大声で叫びだしたく

   なった。「おい、ここにはエジプト人でもいるのか?」と。

   家に戻ると我々は互いにすがりあい、愁嘆場もなく

   誤魔化しもなく、その意味をとことん突き詰めることにした。こうなって

   しまったからには、隠し立てをするのは愚かだ。馬鹿げた無意味な

   ことだ。いったいどれくらいの人聞かここまでたどりつくのか? ふと私はそう

   思った。ここからお祝いまではそんなに

   遠い距離じゃない。みんなで集まって、それぞれの友達を達れてきて

   シャソペソやらペリエやらを

   回したりして。「リノだ」と私は言った。「リノに行って結婚しようぜ」

   リノではね、と私は彼女に言う、結婚

   再婚なんでもござれ、二十四時間営業、休みなしなんだよ。猶予期間なんて

   ゼロ。「誓います」「誓います」それでおしまい。牧師に

   十ドル余分に払ったら、たぶんどこかで

   立会人だって調達してきてくれる。彼女もその手の話は

   いっぱい聞いた。離婚したあと結婚指輪をトラッキー川に

   投げ捨てて、十分後には別の相手と手に手をとってしずしずと祭壇に

   向かうらしい。彼女だってこの前の結婚指輪をアイリッシュ海に投げ捨てたんじゃ

   なかったのか? でも彼女は賛成する。リノはまさにうってつけの

   場所。彼女は私がバースで買ってやった緑のコットソ・ドレスを持っている。

   それをクリーニングに出す。

   これで準備完了。まるで正しい解答をきっちり見つけたみたいな

   感じだ。希望というものが消滅したあとに

   何か残されるかという質問に対する解答を。フェルト張りテーブルの上を

   転がるさいころのくぐもった音、かたかたかたというルーレットの回転音、

   
スロット機械が夜の奥へとじゃらじゃら鳴り響き、そしてもうコ斐の、もう

   一度のチャンス。そして我々の予約したそのスイート。

                                       Proposal



   イントロダクション


                                          テス・ギャラガー
                                           村上春樹 訳 

  その途方に暮れてしまうような日々に、少しでも本の執筆に専念するためにも、私たちは肺癌の再発のこ
 とは一切誰にも言わないでおこうと決めた。訪問客の相手をしたり、あるい
は知合いのひとりひとりに涙な
 がらの別れの挨拶をしたりするよりは、自分たちがやりたい
物事に意識を集中させたかったのだ。我々がや
 ろうと決めたひとつは、一緒に住んだ11年
の日々を、6月17日にネバダ州リノで結婚式をあげて祝おう
 ということだった。レイが安ピカ式」と呼んだその結婚式は、市役所の筋向かいにあるハート・オブ・
リノ
 教会でおこなわれた。教会の窓には、金色の小さな電球をちりばめた巨大なハートが飾られていた。SHE
 HABA ESPANOL(スペイン語話します)という看板も出ていた。式のあとで我々はギャソブルを
 やりにカジノに行った。そこで私はルーレットをやり、なんということか三日間負け知らずで勝ちつづけた
 のである。

  家に戻るとレイは『フロポーズ』という詩を書いた。この詩はその時期の切迫性を如実に伝えている。そ
 れは邪念なしに生きられる人生の、あるいは人生を暫定的なもの以上に拡大するために我々が頼る希望とい
 うクッションを抜きに生きられる人生の、剥ぎ出しの感覚である。結婚したことによって、我々は新しい場
 所に錨をおろすことになった。まるで今日この日に大きな慰めを得るために、賢明にも、今の今までこの祝
 い事をずっと保留しておいたのだというように思えた。そしておそらくまた、まるでカフカが書くところの
 「陽気で無内容な旅」から得られるような、朧の底が技けてしまいそうな壮大な大笑いを、もう一度経験す
 るために。

  この時期にまた、レイは『GRAVY』を書いている。この詩のアイデアは二人でファソ・デ・フカ海峡
 に面するヴェランダに座って、来し方行く末についてあれこれ話をしているときに出てきた。「私に出会う
 前の、あなたがもう少しで死ぬところだったときのことを前に話してくれたわよね?」と私は彼に言った。
 「あのときにあなたが死んでいても不思議はなかったし、そうなっていたら、あなたに会うことだってかっ
 た。こういう何もかもが起こりはしなかったのよね」私たちは、自分たちが与えられたものにあらためて驚
 きつつ静かにそこに座っていた。「本当にこれはグレイヴィーだったね」とレイは言った。「まさにグレイ
 ヴィーだ」(「グレイヴィー」の意味については448ページを参照)

  レイが本書のために書きためてぎた詩の多くは、この前年(1987年)の夏の7月から8月の終わりに
 かけて草稿が書かれたものである。それからおおよそ1年後に、この6月に、完成した詩が十分な数たまっ
 たので、私がそれらの詩をいくつかのセクションに分類し、本のかたちにしていくことになった。私はそれ
 までもレイの詩集に関しては、あるいは彼の小説の多くに関しても、同じような作業をしていた。原稿の順
 番を決めるために私は、かなり原始的な方法を取る。すべてのページを居間の床にばらまき、四つんばいに
 なって部屋の中を追って読んでまわり、この作品の次にはどの作品がくればいいかと見当をつけていくので
 ある。直観と物語と情感によって、それは進められる。



元気なときは「死」を身近に考えることがあっても、入院しなければならないほど、調子が悪い、具合が悪い時
や、途轍もなく落ち込んだとしても、回復すれば、嘘のように遠離ってしまうが、死に至る病だと医者から告知
されればどうなるか、それをレイを通し考えてみたいと記載しはじめた。癌による死を考えながら「沈黙の20
16年」が頭を過ぎる。


                                           この項つづく

  US 8848273b2

Aberration-Free Ultrathin Flat Lenses and Axicons at Telecom Wavelengths
Based on Plasmonic Metasurfaces


【デグサマニーの返礼 Ⅰ:安価かつ環境に優しい共融系二次電池】



昨夜の「超薄膜レンズの衝撃-メタレンズ」の騒動は今朝も続くことになる。というのも、件の研究室での開発
の経緯について調べる必要があるが、やるべき作業が手つかずに放置されているのでそれに時間を当てるつもり
にいたが、産総研の「安価かつ環境に優しい共融系二次電池の開発」が目につき、結果こちらの作業を優先させ、
つぎに、メタレンズの知財調査、その後、残件(三次元プリンタでの試作)に移るということで、明後日に変更
する。

さて、「安価かつ環境に優しい共融系二次電池の開発」は、中国の研究グループと三菱自動車工業株式会社との
共同研究。2種類の固体物質を共融点組成で混合することで凝固温度が大幅に低下させ――三塩化鉄六水和物 と
尿素とを共融点組成で混合――液体化させこれを正極側の活物質に用い。正極側の電解液を別途必要とせず、ま
た固体で問題になる構造劣化が生じない点が利点となる。これを金属リチウムの負極と組み合わせると、電圧が
約3.4ボルト、正極側の体積容量(共融系液体の体積当たりの容量)141ミリアンペア/立方センチメートル
の二次電池として動作させ実験を行い、ほぼ理論通りの結果を得る。但し、3回目(3サイクル目)の充放電特
性測定結果、温度が高い場合は理論容量の97%まで放電電流量が得られたが、温度の低い場合は60%にとど
まりおり改善が必要であるという(下図参照)。


また、一定電流密度で、3時間放電と.3時間充電とを繰り返した充放電試験の最初の20サイクルの測定では、
下図(縦軸は充放電時の電池の電圧、横軸は時間経過を示し、黒線/25℃、赤線/40℃のように。電池容量
に比べ、ほぼ変化のない繰り返し特性が得られ、温度が低い場合の充電時(上側)と放電時(下側)の電圧差は、
が40℃より大きくなっており、上図と同様、この電池は温度の低い側に課題があることが見て取れる。ただし、
試作段階の電池としては繰り返しの充放電動作が安定しており、正極の活物質が液体であることの利点が現れて
いるものと期待している。


なぜ、注目したかというと、レアアースを使用することなく安価な三塩化鉄六水和物と尿素で電解液を使わない
ことと、三塩化鉄を過去に取り扱ってきたので興味を惹くことになる。大規模な太陽光発電システムには、この
ような「レドックスフロー電池」は、苛性ソーダ製造工程から大量に排出される塩素を利用することができるの
で有利だと考える。これは、「デクサマニーからヘーリオスへの返礼」の一つとして参考にさせてもらった次第。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 超薄膜レンズの衝撃 | トップ | ビートルズ・ラブ・ソングス Ⅲ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

時事書評」カテゴリの最新記事