極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

ブナと宇宙のかたち

2012年09月10日 | 環境学・環境思想

 

 

 

宇宙に果てはあるのか?宇宙は一体どんな形なのか?



【なぜ、ポワンカレ予想が解けたのか】

 

 

2002年から2003年にかけて当時ステクロフ数学研究所に勤務していたロシア人数学者グリゴリー・
ペレルマンはポアンカレ予想を証明したと主張し、論文をarXivにて公表。そのなかで彼はリチャ
ード・ストレイト・ハミルトンが創始したリッチフロー(Ricci flow)の理論に「手術」と呼ぶ
新たな手法を付け加えて拡張し、驚くべきことにサーストンの幾何化予想を解決してその系とし
てポアンカレ予想を解決したと表明する。

Finite extinction time for the solutions to the Ricci flow on certain three-manifolds

「手術」? 非常に単純かして言えば、幾何化予想とは、多様体を8つのピースに分割し、その
ピース毎に幾何的性質を調べるというもの。一方で、リッチフローを用いたときに、ピースから
全体を構成し直すときに特異点が発生する可能性がある。ペレルマンはこの特異点の発生条件と
特異点の性質を調べ、特異点が発生しないような手法を考えた。それが「手術」といわれる方法
だという(なるほど、さっぱり分からないから先を行こう)。それ以来ペレルマン論文に対する
検証が複数の数学者チームによって試みられ、原論文が理論的に難解でありかつ細部を省略して
いたため検証作業は難航したが、2006年5~7月にかけて3つの数学者チームによる報告論文が出
そろい、彼の解答が正しいことを検証-つまり、ペレルマン論文は基本的に正しく致命的誤りは
なかったことを確認する。



ほとんどの数学者がトポロジーを使ってポアンカレ予想を解いていたのに対し、彼は微分幾何学
と物理学の手法を使い解く。そのため、解の説明を求められてアメリカの壇上に立ったペレルマ
ンの解説を聞いた数学者たちは、「まず、ポアンカレ予想を解かれたことに落胆し、それがトポ
ロジーではなく微分幾何学を使って解かれたことに落胆し、そして、その解の解説がまったく理
解できないことに落胆した」という。

    

2006年8月22日、スペインのマドリードで催された国際数学者会議の開会式においてペレルマン
に対しフィールズ賞が授与された。ただし、本人はこれを辞退した。その直前にステクロフ数学
研究所を退職しており、その後は無職の状態である。人付き合いを嫌い、サンクトペテルブルク
の実家で僅かな貯金と母親の年金で生活している。2006年12月22日、アメリカの科学誌「サイエ
ンス」で科学的成果の年間トップ10が発表され、第1位に「ポアンカレ予想の解決」が選ばれる。

2010年3月18日、クレイ数学研究所はペレルマンへのミレニアム賞授賞を発表するが、結局授賞
式には出席しなかった。研究所の所長は「選択を尊重する」と声明を発表し、賞金と賞品は保管
されるという。2010年7月1日、ペレルマンは賞金の受け取りを最終的に断ったと報じられた。断
った理由は複数あり、数学界の決定には不公平があることに対する異議や、ポアンカレ予想の解
決に貢献したリチャード・S・ハミルトンに対する評価が十分ではないことなどを挙げている。

さらに、このことについて本人は「理由はいろいろある」と答えたという。

宇宙に果てはあるのか?宇宙は一体どんな形なのか?

宇宙が丸いとは、地球から真っ直ぐ宇宙へ旅たてば、いつの日か反対側から戻ってくることを意
味するが、2001年6月に打ち上げられたNASAの宇宙観測衛星WMAPでは、宇宙空間の曲率
=0との観測結果が出ていた。これは、宇宙空間は平坦であるとしたアインシュタインの相対性
理論や現在の宇宙論の主流となる「インフレーション理論」などの理論を裏付けするものだった
が、位相幾何学<トポロジ->のポアンカレ予想が示した数学的結論と矛盾する。数学は、工学
や物理学などの学問の道具(上位概念)。その定理が示す影響力は、総ての学問を超越した存在
となると信じられている。ポアンカレ予想は、現実の世界の法則を示し、宇宙観測衛星WMAP
の観測結果の結論が誤りである立場にある。数学的真理は、一度、証明されると、未来永劫、永
久に不変であるもとされる。ペレリマン博士は、宇宙の外に出ることなく、<ポアンカレ予想>
と<幾何化予想>の両方の難問を解き、<宇宙が丸い>ことを証明したが、今後、人類が宇宙観
測を続けていくと、彼の理論(=形式論理学)と矛盾するようなことと遭遇するかも知れない。
それは誰にも分からないことだ。




【ブナは共生の象徴】



ブナが共生の象徴であることを知ったのはつい最近だ。白神山地のブナ原生林を観た時だった。
ブナの葉っぱは光を通すぐらい薄く、透す機能を備えていることだった。太陽光を独り占めせず
自分より低木や草植物に光を届けることにあった。つまり「共生」だ。そこで、『赤龍と化した
長江
』の続きと「木工革命」との接点となる。つまり、上図のBUNACOとなる。そこではブ
ナの原木を加工する独自技術が光る。、

 




それは、原木を桂剥きしたピールを巻き重ねる工法というもの。わたし(たち)のネオコンバー
テック技法でいけば原木のパウダー化となるが、製品の機能・仕様比較や製造加工工程の環境評
価(LCA、EPT、CBT、DCL)などの見積作業を経てみないとわからない(ということ
はそれへの作業時間が増えることとなるが)。これは結構なボリュームだ。


 

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