年頭の言葉を探した。大局観は「嵐」という言葉は、昨年と同じで当面変わりない。そこ
で、もう少し焦点を身近に合わせ「極」という言葉を選択。これは、「極める」という意
味で自分にとって二つ意味する。それがセカンド・ライフにおける「健康進」と今抱えて
いる生涯の目標の「仕事」にかかわる。後者について言えば、基礎的な知識の集積にほと
んどの時間を割かざるをえず、ひたすら机に釘付け状態に終始。ことしもこれを続けるこ
とは自分の性格からどこかで破綻するだろうという鬱たる思いがあり、夏までにはこれを
極め、第二ステージに突入したいと願望、あるいは、を見極める、と。そう言う意味での
「極」である。さて、前者の「健康」あるいは「体力維持」のための「健康」というだが、
昨年、"和食"が世界無形文化遺産に登録したこともあり、特異なな加工方法・技法ではな
く、古来から日常的に食してきた素材のレシピに焦点を当てたいと考えている。年末も、
彼女に、朝食はご飯と香の物に、味噌汁と魚介類の干物をアレンジしてくれないか相談す
る(我が家は、厨房が狭いこともあり、"男子禁制"というタブーが布かれている)。そこ
で、今日は、"めざし"を考えてみる。まずは、『食べるな、危険!』から放射能汚染から
考察を始めた。
●太平洋が史上最大の放射能汚染
福島第一原発から出た放射能のハ割が、太平洋を汚染した。
過去にアメリカ、イギリス、フランスが行った核実験で南太平洋やインド洋が汚染
されたし、それらの国の核兵器や核燃料の再処理工場も、放射能による海洋汚染を引
き起こしてきたが、福島の事故が史上最大の海洋汚染となった。
汚染された海水の塊は、福島県沖に高濃度の汚染地帯を残したまま、2010年夏
にハワイの北側を通ってカリフォルニア沖に向かって移動している。ハワイ大学のシ
ミュレーションでは、2014年にカリフォルニア沖から北半球の太平洋全域に汚染
はゆっくり拡散していくと予想されている。
海面に浮いている漂直物は、2013年にはカリフォルニア沿岸に続々と漂着して
いくことだろう。
セシウムー37の半減期は三〇年、ストロンチウム90の半減期は29年である。放
射能が1000分の1になるまでに、300年かかるから、海産物の不安は長く続く。
放射能は海水中で拡散し、薄まっていくが、その一方で、海洋生物は海水中から放射性セシ
ウムと放射性ストロンチウムを取り込んで濃縮する。
この濃縮スピードと、海水中で薄まる速さと、魚の移動によって、どの海産物が、
どのくらいの放射能濃度になるかに、大きな違いが出てくる。
それがどうなるかを正確に予想できないので、サンプル調査などで、危なそうな海
産物を見つけて、それを獲るのを自粛させているわけである。
そうしていても、魚が予測とはまったく違う移動をして、予期しなかった放射性セ
シウムや放射性ストロンチウムが検出されることがある。
これからは、基準を超えた魚が見つかると、「先日、食べてしまった」と、がっか
りさせられることがときどきあるだろう。
高濃度に放射能汚染された海産物が出回っていることが、ある日、突然わかるのだ
から、完全に避けることはできない。
だから、汚染されていないと考えられる海域で獲れた海産物だけをできるだけ食べ
るようにして、普段から自衛しておきたい。
●最大値はアイナメ
2012年8月に福島県南相馬市の太田川沖合で獲れたアイナメ2匹から、1㎏当
たり平均25800ベクレルの放射性セシウムが検出された。
それまで、海の魚の最大値は2011年4月に獲れたコウナゴの14400ベクレ
ルで、川魚では飯舘村のヤマメで18700ベクレルだったが、それらを更新してし
まった。
アイナメは海底近くにすむ魚で、この魚が獲れた状況から考えると、太平洋の魚の
実態が見えてくる。
2匹とも25mほどのアイナメで、1匹は38000ベクレル、もう1匹は930
0ベクレルだった。
同日、同地点で獲った魚で、次に高い値を示したのはコモンカスベの260ベクレ
ル。最低値はガザミで22.7ベクレル。周辺の海水は0.1~0.01ベクレルだ
った。
1ヵ月ほど前に同地点で獲れたアイナメは、82ベクレルたった。
これらをまとめると、
①同じ日に、同じ地点で、同じ魚種を獲ったのに、放射能値には四倍の差があった。
②魚種が違うと、同じ地点で同じ日に獲れても、放射能値に数千倍の差が出た。
③海水の放射能濃度は低いのに、非常に高い汚染度の魚がいた。
④1ヵ月ほどたつと、同じ地点で、同じ魚種から、500倍ほど多く検出された。
これが実情なので、公表されている測定値が低くて安全に見えても、太平洋産の魚
は、いつ危険が表面化するかわからないのである。
魚を選ぶときに誤解されやすいのは、中国産だ。今や中国は北太平洋での漁獲量が
日本より多くなっている。太平洋で獲れる魚は、中国産でも安心できない。
淡水魚は、河川や湖沼のミネラルが少ない水からミネラルを取り込んで生きている。
だから、体質的に放射性ミネラルを体内に取り込んで濃縮しやすい。
山に落ちた放射能が少しずつ川に出てくるので、淡水魚からも長い間、放射能は検
出され続けるだろう。だから、妊婦や、今後妊娠する可能性のある女性は、福島県、
宮城県、岩手県、山形県、関東の川魚や、湖の魚を食べないようにするのがいい。
小若順一 著 『食べるな危険!』、PP.15-19
●イワシ・煮干し 東シナ海、日本海、瀬戸内海産が安心
1000年以上前から日本人が、動物性タンパク源として食べてきたのがイワシだ。
江戸時代からは肥料としても利用されるほど大量に獲れていた。カルシウムなどのミ
ネラルが全般的に豊富なだけでなく、血液をサラサラさせるDHAやEPAなどの不
飽和脂肪酸も多く、肌の健康を維持する補酵素のコエンザイムQ10や、細胞膜の主要
構成成分であるレシチンも豊富に含まれている。
だから、イワシは日本人の健康を支えてきたといえるが、マイワシは1988年を
ピークに漁獲量が減少し、少ししか獲れなくなってしまった。
しかし、カタクチイワシとウルメイワシの漁獲量は減っていないので、煮干しがな
くなることは今のところない。
2011年10月には千葉県房総沖で獲れたマイワシから、11ベクレル/㎏の放
射性セシウムが検出されている。だから、マイワシの刺身や、寿司屋のイワシは、こ
の程度は放射能で汚染されていると覚悟せざるを得ない。
煮干しは骨ごと食べるので、放射性セシウムだけでなく、放射性ストロンチウム汚
染も心配だ。放射性ストロンチウムは骨に蓄積するので、怖い放射能だ。
イワシは放射能汚染海域で漁獲されたものが多く、銚子漁港を筆頭に、千葉県と茨
城県で多く水揚げされている。だから、100円寿司でも放射能が検出されている。
煮干しを食べるなら、東シナ海、日本海、瀬戸内海産にするのがいい。この産地の
煮干しを関東以北で買おうとすると、少し探さないと見つけにくい。
小若順一 著 『食べるな危険!』、PP.36-37
【目刺しの食文化小史】
目刺(目刺し、めざし)は、干物の一種。カタクチイワシやウルメイワシなどのイワシ類
の小魚を塩水に漬けた後、目から下あごへ竹串やワラを通して数匹ずつ束ね、乾燥させた
もの。通常はそのままではなく、焼いて食べる。また「目刺」は春の季語のひとつでもあ
る。なかでも目刺しは「目を竹串や藁(わら)などで刺して干したもの」、頬刺し(鰓刺
しとも)は鰓から口に竹串や藁(わら)を刺し通して干したもの」。目刺しは千葉県が代
表的な産地、頬刺しはもともとは九州を中心に作られたもの。千葉県で作られる目刺し・
頬刺しではマイワシは3尾、カタクチイワシは4尾で一串としたという。目刺しを含めた
干物の歴史を辿ると、奈良時代には、各地で作られた干物が、宮廷への献上品や租税とし
て納められている。交通も保存技術も発達していなかった当時、日本各地から奈良の都に
海の幸を運ぶには、干物に加工する必要があった。『正倉院文書』などの記録では、イワ
シなどの小魚の丸干しは「きたひ」、鮭やマス、スズキなど大きな魚の身を細く切って干
したものは「すわやり」と呼ばれていました。こうした記録から、このころすでに塩味を
つけて干したり、煮てから干すなど現在にも伝わる製法が確立していたことがわかってい
る。平安時代になると、漁獲量とともに干物の生産量も増え、京の宮廷では、干物を「ひ
もの」と読まずに「からもの」と読み、酒宴に欠かせない肴であった。『源氏物語』にも、
光源氏たち平安貴族が興じた宴の酒肴として「からもの」が登場する。これらは生鮮魚介
類の少なかった平安京ではたいへん珍重され、都の市には干し魚の店が出ていたと、古書
に掲載されている。そして、江戸時代には各地の名産干物が発展。当時地方の大名は、幕
府への献上品として、また藩の産業振興のためにも、競って名産品の製造を奨励したため
だ。元禄時代に編纂された『本朝食鑑』には、小田原のあじの干物を絶賛する記述もあり、
その他、明石の干しだこ、長崎のからすみなど、今に伝わる名産干物の多くは、各藩の努
力の賜物でもあった。食生活が豊かになっていった江戸時代には、干物は庶民の食卓にも
のぼるようになり、『東海道中膝栗毛』の弥次さん、喜多さんがお伊勢参りに行ったよう
に旅をする人も多く、日持ちのする干物は、当時から旅のみやげとしても人気だったとい
う。
【目刺しの栄養学】
カタクチイワシか小型のマイワシを食塩水に漬けた後、干したもの。通常4尾一単位で藁
か棒で刺し通してある。焼いて食べる。成分表では廃棄量15%となっているので頭は食べ
ない前提の成分値。 栄養成分は高たんぱくで脂質も多くビタミンD、ビタミンB6、ビタミ
ンB12、ナイアシン(ビタミンB3)、カルシウム、マンガンが豊富。いわし丸干しと比較す
るとたんぱく質が半分程度で脂質が三倍以上。塩分はいわし丸干しより少ないが干魚とし
ては多い方。 一尾3~20g程度。一尾 21.8Kcal、たんぱく質 1.5g。現在は塩を控えた生
干しが主流。現在も魚の干物は、ふだんのおかずにも、旅のみやげにも欠かせない存在。
大きく様変わりしたのは、塩をきかせてしっかり干したものよりも、塩を控えてさっと干
した生干しや一夜干しなどが主流になった。これには、保存技術や交通の発達で、生に近
い状態でも流通するようになったことや、塩分を控えたいという健康志向も影響している。
生干しや一夜干しは、干物とはいえ保存性はそれほど高くないので、要冷蔵か要冷凍保存。
また、干物の最大の敵は「油焼け」、つまり脂質の酸化が進んで、風味が落ちる。これを防ぐ
には、ぴったりとラップをして空気に触れないように保存する。
【アラカルト:めざしのおろし漬け】
す-カルシウム補給に効果があるとして紹介されているが(COOKPAD)、それによると、
おつまみ用めざし4~5匹に対し大根を用意。めざしにたっぷり大根おろしをのせて、ラ
ップをして、冷蔵庫で一晩置く。めざしがやわらかくなり、大根おろしにだしが出る。炊
きたてのご飯にのせるだけの簡単レシピが、ここにポン酢(食酢でもよい?)を降りかけ
てみたい。さらに、"焼き目刺しの酢漬け"も柔らかくできるので良いかも。
っても、完璧に痛みが取れたわけでない。そこで、中山道を急いで上ることに。今夜は本
庄宿の滞在となる次第。本庄宿は、中山道六十九次(木曽街道六十九次)のうち江戸から数え
て10番目の宿場。武蔵国児玉郡の北部国境付近に位置し、武蔵国最後の宿場。現在の埼玉
県本庄市に当たる。江戸より22里(約88km)の距離に位置し、中山道の宿場の中で一番人
口と建物が多い宿場街。それは、利根川の水運の集積地としての経済効果もあった。江戸
室町にも店を出していた戸谷半兵衛(中屋半兵衛)家は全国的に富豪として知られていた。
市街地の北西端には、中山道と信州姫街道の追分がある。場所は、現在の千代田3丁目交叉
点付近。追分はT字路状で、江戸側から見ると、左折すれば信州姫街道、右折してすぐ左
折という枡形ルートで中山道京都方面となる。
元禄6年(1693年)頃では384軒ほどだったが、享保7年(1722年)には500軒となり、文化
8年(1811年)には1072軒、文政5年(1822年)には1088軒、天保14年になると1212軒とな
る。この天保14年をピークに、その後は次第に減少へ転じている(『武州本庄宿ふるさと
人物史1』より)。中山道では本庄宿に次いで大宿なのが、近江国の高宮宿(64番目)、武
蔵国の熊谷宿(8番目)、上野国の高崎宿(13番目)、美濃国の加納宿(53番目)となる。
崎線が、南部に関越自動車道と上越新幹線が東西に横断している。市街地は本庄駅付近に
集中する。国道17号(本庄駅北側)より北部は畑が広がり、住宅密集地は本庄駅の南部方
面に広がっている。本庄北部は畑が広がっている為、風をさえぎる物がなく、秋冬では西
風が強い。内陸の台地で比較的安定した風土を保つ。旧市内域(児玉町合併以前)では、
3分の2が台地上に当たる。一方で、児玉南部方面は山麓地帯である為、夏場では山間独
特の湿度の高さがあり、土砂崩れも多いという。利根川に架かる坂東大橋が架け替えられ、
2004年3月6日に開通。また同年3月13日には、上越新幹線の本庄早稲田駅が開業した。
いとん」。「つみっこ」の呼び名は、養蚕の仕事である桑の葉を摘み取る様子と、小麦粉
を練ったものを手で「つみとる」ようにちぎって鍋に入れたことを言い表した本庄地方の
方言だという養蚕・機織りが盛んだった本庄市で、仕事の合間に食べられた繭の町本庄の
伝統を受け継ぐ庶民の味とか。そこで、恒例のご当地ラーメンの創作なのだが、さいたま
市はB級グルメで"豆腐ラーメン"が有名だとか。あっさりした鶏がらスープの醤油ラーメ
ンで、その上に醤油ベースのなめらかな絹豆腐と挽肉の餡がたっぷりかかった麺料理。餡
は見た目は麻婆豆腐に見えるが、辛さはそんなにない豆腐あんかけの縮れ麺が特徴。
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