極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

ぼくは洋上にいる。

2011年09月01日 | 時事書評

 

 




黙々と われらの地を這い 木を植えり サザンクロスのまたたく果てに

                              栽松

 
【エネルギーのソフト模様】

京セラ株式会社は、国内住宅用分野において、屋根材一体型の太陽光発電シス
テム『HEYBAN(ヘイバーン)』をリニューアルし、屋根との一体感を向上させ、
よりデザイン性を追求した『新型HEYBAN』を製品化した(2011.8.29)。

 富士経済、太陽電池関連の世界市場の調査結果を発表(2011.8.30)

・太陽電池の世界市場規模(モジュール販売ベース):
 ・2010年:3兆4,162億円(前年比203.3%)
 ・2011年見込:4兆5,171億円
 ・2030年予測:13兆3,140億円(2010年比389.7%)

・太陽電池の種類別の市場動向と予測:
 (結晶シリコン太陽電池)
  ・市場規模:
   ・2010年:2兆9,000億円(前年比230.5%)
   ・2030年の予想:9兆円(2010年比310.3%)

 (薄膜シリコン太陽電池)
  ・市場規模:
   ・2010年:2,000億円(前年比147.6%)
   ・2030年の予想:8,000億円(2010年比400.0%)

 (CIS(CIGS)太陽電池)
  ・市場規模:
   ・2010年:670億円(前年比196.5%)
   ・2030年の予想:1兆6,000億円(2010年比23.9倍)

 (CdTe太陽電池)
  ・市場規模:
   ・2010年:2,350億円(前年比120.5%)
   ・2030年の予想:8,000億円(2010年比340.4%)
 
 (色素増感太陽電池)
  ・市場規模:
   ・2010年:僅少
   ・2030年の予想:300億円

 (集光型太陽光発電システム)
  ・市場規模:
   ・2010年:135億円
   ・2030年の予想:5,000億円(2010年比37.0倍)


 (カーボン太陽電池)

  耐磨耗性や・低摩擦特性に優れる非晶質の硬質薄膜「ダイヤモンドライク
  カーボン(DLC)」を用いる太陽電池。
  資源制約が殆ど無い炭化水素で構成され、比較的安価での製造が可能。
  現在は産学共同研究が進められている状況。
 
 (量子ドット太陽電池)
  理論効率は75%と最高。
  しかし現在は、研究機関(大学など)での原理検証の段階であり、実用化
  までにはかなりの時間が必要と予想される。

 ・部材市場:
  ・市場規模:
   ・2010年:2兆5,525億円(前年比198.3%)
   ・2030年:8兆903億円(2010年比317.0%)

【レイジーな読書録】 

   

Ihavelanded.png 


※フタバガキ科(学名: Dipterocarpaceae)は熱帯に自生する常緑高木600種
らなる。木材
はラワン材として利用されているが、生長が遅いため乱伐や乱開
発により絶滅
が危惧されるものも少なくない。また、娑羅双樹もこの科に属す。

※ホスピタリティ産業は、主に人的接客サービスを提供する業種の総称日本
国内では一般に、宿泊業、運輸業、旅行業等を指し、広義には教育、医療、福
祉を含む。

File:Meister der Ikone der Trinität 001.jpg


【ぼくは洋上にいる】

  

グールドはニューヨーク市のクイーンズで生まれた。彼の父レナードは法廷速
記官で、母エレノアはアーティストだった。グールドが 5歳の時に、彼の父は
アメリカ自然史博物館の恐竜館に彼を連れて行き、初めてティラノサウルス・
レックスと出会った。「私はそんな物があるとはしらなかった。私は畏敬の念
に打たれた」とグールドは後に振り返っている。彼はその時古生物学者になる
決意する。グールドは世俗的なユダヤ教徒の家庭で育ち、宗教的な教育を受け
なかったので、彼は不可知論者と呼ばれることを好んだという。政治的には「
マルクス主義の父によって育てられた」けれども、彼の政治観は父親とは「か
なり違っていた」と自己評価している。

スティーヴン・ジェイ・グールド(1941年9月10日 - 2002年5月20日)はアメリ
カ合衆国の古生物学者、進化生物学者、科学史家。1973年にハーバード大学の
比較動物学教授となり、1982年からハーバード大学アリグザンダー・アガシ記
念教授職を務めた。ダーウィン主義をベースにした進化論の論客であり、膨大
な読書量からくる博学の科学エッセイストとして活躍し、今日最も広く読まれ、
最も影響力の大きな大衆科学作家の一人である。そのグールドを松岡正剛は、
「そのグールドの書くものは、あのばかでかいスミソニアンの自然史的展示物
のすべてを手玉にとって縦横無尽に駆使しているカレイドスコープのようなの
である。ぼくはそういう博物館の中に生きつづけているような人物がめっぽう
好きなのだ。スミソニアン博物館のホワイト鉱物室長などは、その代表人物だ
った。まるでデューラーの版画に出てくるメランコリーな住人だ。日本でいえ
ば、いまは名古屋科学センター館長の樋口敬二さんだろう。この人は体の中に
寺田寅彦や中谷宇吉郎が生きているフランケンシュタインなのである」と評す。



 人間という特殊な生物がネオテニー(幼形成熟)をもっていることの理由
 をさぐろうとしたもので、深い考察がないにもかかわらず、なかなか考え 
 させる。このネオテニー人間生物学の問題は、ヒトの発育が著しくスピー
 ドが遅いということをあらわしている現象でもあるのだが、ぼくも『フラ
 ジャイル』(筑摩書房)でこの問題を「幼ななじみの生物学」と銘打って
 あれこれ議論しておいたように、実はその根拠ははっきり説明されてはい
 ない。そこでモントレーでグールド自身にこの気になっていることを聞い
 てみた。「いったいネオテニーはヒトという生物のどんな本質を説明でき
 るのか」という質問だ。グールドはニコニコして答えたものだ、「ネオテ
 ニーの問題は人間という生物は進化するかどうかという問題ですよ」。こ
 の答えは意外だったので、ぼくはちょっとだけ食い下がったものだった。

 セイゴオ「人間が進化するかどうかですって?」
 グールド「うん、発育不全によってネオテニーが生じたということは、そ
      の欠陥を何かで補ったからヒトができたということですよね」
 セイゴオ「ええ、著しく学習をする動物になったわけですね」
 グールド「そうですね。でも、その学習は遺伝するとはかぎらない。では、
      学習的な生物は何によって進化できるのか、問題はそこに向か
      ってしまうんです」
 セイゴオ「ヒトはまだ進化するんですか」
 グールド「地質学的な時間ではかれば、そういうこともおこりえますよね」
 セイゴオ「アフターマン?」
 グールド「あはは、あの絵はまちがいが多いですけどね。どのように進化
      するかどうかはわからないけれど、おそらく進化は突然変異的
      におこるでしょうね。そのときにネオテニーを補完する何かが
      発現するかどうかです」
 セイゴオ「はあ、そうすると、そのときは学習しない人間になるかもしれ
      ない?」
 グールド「そうそう、そういうことです」
 セイゴオ「ええーっ、内部器官で処理してしまう人間ができてくるわけで
      すか」
 グールド「いやですか?」
 セイゴオ「ネオテニーのままでいいでしょうね」
 グールド「ぼくもそうです。人間は永遠に発育不全のままのほうがいいん
      です」


                        
松岡正剛の千夜千冊
                   スティーヴン・J. グールド著
                      『パンダの親指』上・下


ぼくは上陸している 上 ぼくは上陸している 下

1901年9月11日の出来事を描いた表題作から ナボコフの蝶研究にまつわる誤解、
フロイトの未発表の生物学論文、岩石や人の病気も自分の分類法を適用しよう
としたリンネや、ハイドンの『天地創造』に見た『創世記』と進化論との関係、
羽毛恐竜か二足歩行する鳥かについてなどについてなど、名手の連作エッセイ
の最後を飾る珠玉の31篇。人文学の広い知識をもとにした独特のスタイルで進
化生物学を語ってきた科学者グールド。本書はその彼が真骨頂を発揮した、
25
周年の集大成。『ロリータ』の著者ナボコフは、蝶の分類の専門家としての顔
も持っていたが、多くの文芸評論家に誤解されている。その誤解とは? ダー
ウィンの代表的な弟子である進化生物学者ランケスターが、なぜマルクスの葬
儀に出席したのか? 熱烈な進化論者ヘッケルのとてもわかりやすく大評判に
なった―が、必ずしも正確ではなかった―著書の余白に、進化論の反対論者だ
ったアガシが残した言葉とは? ウィットに富み、蘊蓄を織り交ぜたエッセイ
は、科学の愉しみへといざなう。2002年に惜しまれながら亡くなったグールド
の最後の科学エッセイ集だ。





松岡正剛とグルードとのやりとりがすべてを語っているように思える。という
よりかこれで読み切ったように装う程に疲れ果て、かつまた、時間的な融通が
つかないまま雪隠を詰めた状態にあるが、「ぼくもそうです。人間は永遠に発
育不全のままのほうがいいんです」といっていられないほどに、わたしたちの
環境は大きく変化し生存そのものが危うくなっているのだ(上図「温暖化で日
本はこう沈没する-「列島海進」のビジュアル・シナリオ」参照)。

I have landed”ならぬ“I have gone to the ocean”  つまり、「 ぼくは洋上にいる 」と
語らなければならいないようだと、ひとまずこう結びたいわけだ。
 

 

 

 

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