さんぽ道から

散歩中の雑感・モノローグを書いてみました

お土産

2005-10-09 16:02:50 | Weblog
 人を訪問する時に持って行く手土産より、旅先からの土産物に悩んでしまう。宅配便を使うと嵩張るもの、重いものも買えるようになり、地場産品の全てが対象となる。手帳につけるほどでもないと、あれもこれもと買って行くと、予算が、個数が、いつの間にかオーバーする。「何にしよう」「折角買うんだから心のこもったものにしよう」「高いな、相応の値段に見てくれるだろうか」クラス分け、プライオリティーもあり、悩むことが多い。新婚さんが多いハワイ旅行では、出費の三割、滞在時間の半分を土産物に費やすとの統計もあるようだ。土産物で日本が、日本人が揶揄されることも多いと聞く。
 みやげの語源は「神社への供物を入れる‘器・みやけ’」「神社から授かる‘しるし’」と書物にあった。神社への供物を参集者に振舞う、神さまの‘おかげ’お裾分けがお土産だという。神様への三大供物は飯、酒、餅であるが、お裾分けし易いのはお餅。遠距離の土産には軽量・小物で長持ちの薬、お茶、海苔、和紙などが主であったが、江戸期には饅頭が餅の代用に多用され、饅頭がお裾分け、人気の土産となった。交通機関が発達した今では饅頭が一番無難な土産品だが、出だしが江戸中期だとは知らなかった。この期の社会規範、同族的なイエ、地縁的なムラ社会への帰属意識も、強く土産物に影響したという。特に、湯治、寺社詣などの名目を必要とした江戸時代の旅では、帰郷後のムラへの、そして家の長老への治療、験の報告は義務に近いものであったという。旅の報告義務に旅土産がついてまわる現在の原型は、300年も前に確立していたのだ。
 山に海に自然に感謝して神社に豊作豊漁・家内安全を祈る、お願い事をする、また、イエ、ムラといった江戸期に固まった日本人のウチ意識はなかなか消え去るものではないとすると、土産を配る意識は我々のDNAに刷り込まれているようだ。だとしたら、旅に出たら土産を買おう。受身的にではなく積極的に買おう。日頃お世話になっている人たちに、日常を飛びだした旅の話をしよう。会話がすすみ、人間関係も円滑になる。全員の心の糧にもなる。土産物を買うのは大変だが、土産を買う労を惜しまないようにしよう。外国人がなんと思うと、気にはしない、恥ずべきことをしているわけではない。むしろ現地にお金を落として感謝されて然るべき。現在、旅の話を出来る方には土産を買うようにしている。国内では、饅頭か饅頭の親戚の和菓子を、海外では、スーパーマーケットで食料品を土産物として買い求めるようにしている。何せスーパーではどんなに買っても1万円にはならない。減量中の身でも貰い物は食べ物がうれしい。食べたいものを土産にするようにしている。見栄を張らないように心がけている。此の頃は旅しても気が重くなることはなくなった

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