<「とっても美味しいわ」と彼女は口いっぱいにオムレツを頬ばりながら言った。 「ありがとう」 「どういたしまして」とフランクは答えた。 「こんな立派なキッチンで料理をするのは久しぶりだ。素敵な家だね」 「ありがとう。わたしも自分でそう思っている。といっても、この家はわたしたちのものではないんだけれど――ここに住まわしてもらうのにプレンディシオ・トラストに毎月一万二千ドルも払っているのよ。キャルなんていつも言っているわ、借りるより買った方がいい、同じお金でもっといい暮らしができるのにって。でも、わたしはここがとても気に入っているの。それに、結局のところ、わたしたちはみんなこの世ではすべてを借りているに過ぎない。ちがう?」 その点についてはフランクも同じ意見だった。>クリス・ホルム著田口俊樹訳「悪魔の赤い右手・殺し屋を殺せ2」P242より
これはギャングに追われているフランクが、逃げ込んだ高級住宅で、この住居の住人たるご婦人(ご主人の名はキャル)とキッチンで交わしている会話の一節です。
ご婦人の言葉、「世の中すべては借りもの」は気になりました。
・何となく分かるが、あくまで何となくかなぁ
・誰に借りているのだろうか
・代々受け継ぐ不動産も借りものだろうか
・相続はどのように解釈したらよいのだろうか
・相続人がいないときはこのように考えがちになるのでは
・また、あとに遺すものがない方や遺さない方には受け入れやすい考えなのでしょう等
を思いました。
そして割り切りのいい・人のいい方々にこのような考えを持つ方が多いのでは?
日本人に多いのではと思いました。
そういえば欧州で真夜中酔っ払って街灯に激突した車の事故で、警察に捕まった時、警察官から、日本人はすぐ罪を認めるので、扱いやすい(コーヒーを勧められました)、ほかの国の人とは全く違うと(褒められた?)云われたことがありました。割り切りのいい日本人の代表格とみられたのでしょう・・・
そして小生も、どちらかというと、世の中すべて借りものにしたい派・・・
最近中国でやたらとスパイ容疑で日本人が捕まるのは(気楽に、罪の意識なく)珍しい写真を撮ったり・現地の人と話しをしたり・(出張レポート用に)こまめにノートをとったりして、これが誤解されるのでしょう。中国では、意図より行為のものに重点を置いて罪が問われる(性悪者が多いベースで取り締まりが行われている中国だから?)からでしょう。韓国の、執拗でなんでも反日は、日本人の気前の良さを逆手に取らない方がおかしいとの考えでしょうか。ロシアの対日交渉上手は、人のいい相手には、ポケットのなか(北方4島)を見せて交渉すると、(オホーツク海の漁獲割り当て交渉の成功経験から)うまく運ぶと確信しているからでしょう。米国が対日交易・米軍駐留費負担交渉に自信を持つのは、日本の大臣は、どんなの要求にもニコニコして、善人同士の交渉事と信じて臨むからでしょうね。
そしてこれらの交渉結果はすべて国民につけが回ってきますね・・・
つけも借りもの?
すべては仮のものとしたい気持ちにもなるというものです・・・