マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

澤地久枝さんの仕事

2010年04月28日 | 読書

 過日の「情報公開裁判」で澤地久枝さんが原告の一人であった事を知り、彼女の著作『密約ー外務省機密漏洩事件』をオンライン予約しました。実はこの本を読んだ様な気もしていましたし、未読だっかも知れないと思い、予約したのですが、借りてきて未読である事が直ぐに分かりました。著作のかなりの部分が公判の記録と国会の委員会記録で埋まっています。

 本の内容は以前のブログと重なる部分が多いので大部分省略します。澤地さんがこの本を発刊するに至った経緯と、仕事に対する姿勢を書き留めておきたいと思います.。

 1963年、「婦人公論」の編集次長を退職した澤地さんは、五味川純平氏の資料助手として『人間の条件』の脚注を担当するかたわら、『妻たちの二・二六事件』を書きあげます。これが彼女の処女作でした。五味川氏の下を去った彼女はフリーライターの道を目指します。その時に遭遇したのが「外務省機密漏洩事件」です。本来裁かれるべきは「密約」の存在を否定し、国会等で”嘘”を通し続けて来た政府。にも拘わらず法定で裁かれようとしているのは「密かに、情をつうじ」たとされる男女2名。その事に”腹を立てた”澤地さんは、時間的に余裕があった当時、裁判傍聴に出掛ける事になります。
 1973年8月4日の第14回公判は西山記者に対する被告人尋問が予定されています。澤地さんはこの日が初めての裁判傍聴。蓮見さんは被告人尋問のあった5月31日を最後に出廷しなくなっていましたが、何故かこの日に姿を見せ、西山記者への長時間に亘る尋問を聞いているのでした。尋問の様子は裁判記録がそのまま記述されています。
 その後の尋問は蓮見さんに対して。このときの蓮見発言を聞きながら澤地さんは違和感を覚え始めます。国家権力に”いけにえ”にされそうな一女性の気持ちに寄り添いたいとの想いも裁判傍聴の動機の一つ。それが<おびえつついっそうの情事の深間に溺れて秘密書類を持ち出させれた受身一方の弱い女>を演じている様に感じられたとも書いています。
 蓮見さんの気持に寄り添いたいとの想いからの裁判傍聴。傍聴後、蓮見さんに会う事を願う長文の手紙も書きますが、返事は来ません。
 その後1974年1月31日の判決まで毎回傍聴に出掛けて、最終的に『密約ー外務省機密漏洩事件』を書きあげます。
 私はこの『密約』と『妻たちの二・二六事件』に澤地さんの原点を見ます。『烙印のおんな』の序で<わたしは、無名の、歴史などに一行も名の残らない人生を送る人々が好きである。思わぬことから、うしろ指さされる境遇に落ちながら、それでも真摯に生きている人が・・・>と綴ります。更に”いけにえ”を作りだす権力への反抗精神。この様な姿勢でその後、数々のノンフィクション作品を発表。2008年度の朝日賞受賞にも輝きました。
 その姿勢の原点を彼女の生い立ちの中に見るのは穿ち過ぎでしょうか。敗戦後の満州での難民生活。定時制高校(旧制向丘高女)に学び、夜間大学を卒業した経歴にも親近感を覚え、『火は我が胸中にあり』や『あなたに似た人』『昭和史の女』など、彼女の初期の著作物の多くを愛読してはいましたが、『密約』は抜け落ちていました。中村哲さんとの共著の最新作を読んで見たいと思います。

 (またまたの付記ですが、澤地さんと蓮見さんは同年同月生まれ。苦学生としての青春と闘病。努力していわば這い上がった人生。お二人の共通項はあまりにも多いのでした)