マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

新派『犬神家の一族』を観る

2018年11月30日 | 映画・美術・芝居・落語

 11月22日(木)、新橋演舞場で『犬神家の一族』を観て来た。なんと、この作品が新派の舞台で演じられたのだ。
 横溝正史の著作は中学生時代から愛読してきた。『八つ墓村』・『悪魔が来りて笛を吹く』・『犬神家の一族』・『本陣殺人事件』・『獄門島』など、そのおどろおどろした題名とともに懐かしく思い出す。昭和20年代から30年代にかけては貸本屋全盛の時代だった。街には多くの貸本屋があった。本が安く借りられることもあり、中学生だった私はそこへ足繁く通った。取分け、江戸川乱歩と横溝正史をよく借りた。母に発見されないように隠れて読んだ。



 『八つ墓村』は東映映画になり、「五反田東映」まで観に行った。確か金田一耕助役は片岡千恵蔵で、洞窟内で鉄砲を撃ち合う場面があったと記憶している。『犬神家の一族』は市川崑監督によって映画化され、金田一役を石坂浩二が演じ、一世を風靡し大ヒットした。テレビドラマでは古谷一行がやってお茶の間の人気番組となるなど、何度もドラマ化されてきた。舞台でも演じられたらしいが観たことはなかった。
 新派11月公演の『犬神家の一族』のチケットがありますとの連絡を頂いて、妻と私は小躍りした。妻にも興味津々たる舞台化だった。しかし、当日、妻にはカルチャーでの講師役があり、22日に行くこと能わず。そこで、中学時代のクラスメイト馬場さんと二人、演舞場の二階の前から4番目の席で観劇したのだった。
 新派でこの作品が上演されなかったのは、金田一役の役者がいなかったからと説明されていた。その役を演じたのは喜多村緑郎。2年前、猿翁の弟子だった市川月之助は歌舞伎界を去り、二代目喜多村緑郎を襲名し、新派に所属することとなった。その襲名披露『婦系図』も頂いたチケットで観た(2016/9/14のブログ)。背の高いイケメンで、新派にも喜多村にもベストの転向と思われたようだ。その喜多村を主役にしての『犬神家』。
 ストリーは書くまでもないだろう。
 物語の鍵を握る琴の師匠を水谷八重子。
 犬神家の三姉妹は、長女の松子を波乃久里子、次女の竹子を瀬戸摩純、三女の梅子を河合雪之丞。
 佐清と青沼静馬の二役をゲストの浜中文一、橘警察署長を佐藤B作。全ての財産を相続出来そうな野々宮珠代を春本由香と河合宥季のダブルキャスト。
 
 スピーディーな舞台展開で
面白く観た。ただ、おどろおどろしさは薄かった。本や映画・ドラマだと目の前で惨劇が繰り広げられるのに対し、2階からの観劇だったこともあり、一歩退いた視点から観たからかも知れない。
 原作で忘れられないシーンが2つあった。”波立つ水面から突き出た足”とゴムマスクを脱いだときの主人公の顔のむごさだ。湖面からの足を舞台では
どんな風な仕掛けで見せるのかに興味があった。花道に足が二本にょきつと出て、本当に人の足の様に見えたが、それも一瞬で照明はすぐさま舞台へと切り替えられた。双眼鏡を使用してマスクを脱いだ時の顔を見ようとしたのだが、顔の惨さははっきり見えなかった。
 この作品の発表の記者会見で、横溝作品こそ新派に相応しいとの発言があったらしい。今後『八つ墓村』などの横溝ミステリーを新派で是非観てみたい。
 
 今日の二葉:東大本郷キャンパス正門附近
 
 

 
 
 
 


音更の新居に2泊

2018年11月27日 | 身辺雑記

 11月10日から12日まで、息子一家の住む音更に2泊して来た。新居の建坪は180と聞いていたが、思っていた以上の広さ。一階が20畳のリビングと夫婦専用の部屋。2階には8畳の和室が2つと洋室。北海道では土地の広さに比例するかのように家々の造りが大きい。一家が住む住宅街を散策すると大きな家が軒を並べている。新居はこの地では普通の広さらしい。私達には家具が置かれていない広々とした2階の8畳の一室が用意されていた。2階の他の部屋にはヤヨイちゃんのお父さんも長期宿泊していて、久し振りの対面。
 その20畳のリビングは上の孫の遊び場だった。子供用のブランコと滑り台が置かれ、色んな遊び道具が床を占領していた。そこで両親は本当に良く遊んであげていた。私も”鬼ごっこ”のような遊びに参加させられた。鬼役の場合、紙の剣で刺されると、”やられた”と床に倒れなければならない。私が大げさに倒れるのを孫が気に入ったらしく何度も何度も鬼役をやらさられた。楽しかったけれども相当疲れた。
 お土産に動物将棋と北田如水さんから頂いた将棋盤を持参したので遊び道具はまた増えた。
 生まれて1ヶ月の下の孫とは初対面。ベビーベッドで寝ていることが多かったが、恐る恐る抱っこして泣くのをあやしたり、ミルクを飲ませたりした。


  

 滞在初日、その食卓で豚肉のしゃぶしゃぶを食した。十勝は豚丼が有名で、豚肉が大量に生産されている。それを安く販売するお店があり。帯広駅まで迎えに来てくれた息子の車で私達も一緒に買い物に付き合った。しゃぶしゃぶ用の薄厚の豚肉は100グラム159円と安い。「ハピオ」とかいう地元野菜専売所で、ホウレンソウ・水菜など4種類ほどの青菜を買い込み、しゃぶしゃぶを食した。地元で生産された豚肉と青菜は非常に美味かった。特に灰汁の全くでない肉は柔らかく、珍しく妻の喉をするすると通っていった。このしゃぶしゃぶ用の肉が気に入った私は二日目も食べたくて、珍しくオゴった。
  
 北海道に行く前から頼まれていることがあった。息子が新たに勤務した会社の仕事で、大晦日から新年にかけての出張の仕事があるらしく、ヤヨイちゃん一人が二人の子供の面倒を見ながら夜を過ごすのが心配だから音更に来てくれとの依頼。二人で北海道行くのがベストなのだが、今年だけで3度もの
北海道となってしまう。交通費がバカにならない。体力のない妻を一人やる訳にもいかず、最終的に私ひとりで音更に行くことにした。初めての経験だが12月28日~元旦までが北海道滞在。航空券の手配も終了した。
 寒さ厳しい帯広の地。外を歩くのは危険だという。散歩オタクの私はその4泊5日をどう過ごそうかあれこれ悩んでいる。

 今日の一葉:千石3丁目の洋館
 
 
 

 
 


『ああ三百七十里』を聴く

2018年11月24日 | 映画・美術・芝居・落語

 10月28日に聲香さんのひとり語りを聴いたのは早稲田奉仕園。地図には都バス西早稲田近辺とあった。行ったことの無い場所へ、それも初めて乗車する都バスを利用して目的地まで行くのは楽しい。この頃は殆どの場所へシルバーパスのみで行けるように下調べしてから行く。その時に活躍するのが縮尺7000分の1の『東京23区 便利情報地図』とネット情報。
 地下鉄三田線を春日で都バス[上69 小滝橋車庫前行]に乗り換え西早稲田下車。狭い路地を入って行くと早稲田奉仕園があった。その近辺には日本キリスト教会館の建物が幾つかあり、その一つがスコットホール。早稲田奉仕園
の事業に強く賛同されたアメリカ人スコットさんによって寄贈されたもので、1922年の献堂式を経て建てられたもの。格調高いレンガ造りの建物で、関東大震災で一部補修した以外は原形が当時のままだそうな。幾つもある建物に囲まれている広場に集う人々からはキリスト教的な雰囲気が漂う。

  

 内部は礼拝堂で2階席もある。今回の語りは2階も利用していたので多くの聴衆を収容できるからか公演は1回のみ。珍しく聲香さんは一段と高いところに立って語り始めた。
 今までの語りの対象はどちらかと言うと虐げられた人や貧しく逆境にある人が多かった。『奉教人の死』・『山月記』・『高瀬舟』・『雪明り』がそうで、今回は人ではなく動物だった。

 語りは今までで一番トーンが高かった。
 主人公の象はいずれ妻にと思い込んでいたバナガンガを殺され、悲しい別れ。その象使いへの激しい怒り。道中での難儀。思い違いをする護送役への違和感。異郷の地で見世物にされ、独り淋しく死んでいった。『ああ三百七十里』に込めて、杉本はその哀しみと怒りを作品化し、その作品に共感した聲香さんは、ごく自然に象へ感情移入し、象の想いを語った。熱演だった。

 





 今日の一葉
:東大正門付近で。今年は紅葉が晩い。
 

 


『ああ三百七十里』と『象の旅』を読む

2018年11月21日 | 読書

 享保14(1729)年3月13日、象は長崎を出発し、65日後の5月27日、江戸城に参上し将軍吉宗に謁見した。およそ370里(1480Km)の長旅だった。1日の移動平均距離は約22Km。象はもとより象を護送する人々にも、迎い入れ送り出す宿などにとっても難事業だったことが『象の旅』から窺える。
 象は初め牡牝の2頭で、現在のベトナム・ホーチミン市から出航し、長崎に入港した。享保13年のことである。そこでの慣らし飼育中に牝象は死亡。結局牡象のみが翌年に江戸へと送られた。その道中についてはノンフィクション『象の旅』に詳しく書かれている。
 長崎⇒長崎路⇒山陽路⇒東海道⇒中山道⇒美濃路⇒東海道⇒姫街道⇒東海道⇒江戸。本州に入ってからは山陽道・東海道以外に中山道や美濃路をも利用した事が分かる。

 『ああ三百七十里』の冒頭はこう始まる。「わたしはひどく気が滅入った。妹か娘のように可愛がったバナガンガが、病死してしまったのだ。それだけのことなら、あきらめもついただろう。彼女はじつは、象使いのトササナに殺されたのである」と。何と物語の語り手は牡象(カニシカ)で、牡象カニシカの眼を通して「象の旅」は語られる。小説家ならではの着想と感心した。しかも最初に牝象は単に死亡したでけでなく殺されたとあった。『象の旅』と比較して読むと、相異なる場面が多々あるが、こちらは創作なのだと理解したうえで、何度か読み直した。
 船が長崎の岸壁に横づけになった朝、長崎港には象を一目見ようと夥しい人々が集まってきた。そこでカニシカは、象使いトサカを地上に叩きつけ死に至らしめ、バナガンガの復讐を果たしてしまう。象の第一印象は”狂暴”となってしまった。
 この物語には脇役が登場する。護送の大役を仰せつかったのは与力・江藤と同心の篠村と須原。意のままには進んでくれない象に憎しみを覚える一方、象は難儀な旅の恨みを護送役に向ける。
 象は京都御所ではとんでもないことをしでかした。中御門天皇に拝謁した折、既に天皇は出御しているにも係わらず、御簾が降りていてまだ天皇は出御に及んでいるとはつゆ知らず、今のうちにと排泄をしてしまう。御簾の中からどよめきが起こり、象は面目を失い、護送役は宿に帰ってから象を罵るのだ。
 (象の名誉の為に付け加えると『象の旅』では、この場面で「・・・前足を折り、正座した格好で巨大な頭を垂れて最敬礼。鼻を高々と差し上げてご挨拶した」とある)

 杉本本で、京を後にした象一行は、「草津・守山・武佐・高宮・鳥居本・・・。美濃路から東海道の熱田に抜ける・・・」とある。草津から中山道に入ったのだ。
 京都から江戸へは草津で東海道と中山道に分かれる。草津から象は何故東海道を進まなかったのか。杉本本にはそこは書かれていない。そこで石坂本を参照した。
 「・・・東海道には鈴鹿峠の難所もあるが、それにも増して桑名から宮までの海上七里の船旅を避けたのであった。関門海峡の海上での苦難が骨身にしみたようである」とある。
 象にとって陸路にまして海路と川が難儀であった。軟な橋は象の重さで壊れてしまう。浅瀬ならば水に浸かりながらでも象は川を渡った。幅の広い川は浅瀬を求めて上流へ足を延ばした。しかしあの大井川はそうはいかなかった。4日待っても水は減らず河を渡れなかった。止むに止まれず船を用意し、川を渡ることにした。船はかしいで、象もろとも人間も投げ出されてしまった。悲鳴とともに流されていく江藤らを、象は追いかけ鼻でつかみあげ背中に乗せた。岸まで遠かったが象は力一杯泳いで川岸に辿りついた。
 憎んだり、うんざりしたり、誤解したり・・・、象と護送役のあいだのへだたりが解けた一瞬。これ以降、なにも起こらず、享保14年5月25日に江戸到着。27日に吉宗に謁見した。「はるばるのところを、大儀であった」と将軍は護送役を労った。象はくちなしの花を4つに折り、3人の護送役には別れの挨拶に、将軍にはちかづきのしるしに、心をこめて贈った。
 杉本本はここで終わっている。石坂本は後日物語を書いている。一時は江戸の大人気者となった象は浜御殿で飼われたが、数年後には貧しい象小屋に移され、寛保2(1742)年、21歳の若さで独り淋しく死んだ。
(写真:『象のかわら版』に描かれた象)

 
 
 
 


『ああ三百七十里』を読む・聴く

2018年11月18日 | 読書

 中山道へ出掛ける4日前の10月28日(日)、聲香(こゑかほる。北原久仁香)さんの、~ひとり語り『ああ三百七十里』~、を早稲田奉仕園スコットホールで聴いた。

 




 この公演の案内が届いたのは9月。封を開けて初めて、今回の語り『ああ三百七十里』の著者が杉本苑子で、内容は、長崎から江戸までの、象の旅と知った。江戸時代、外国から象が将軍吉宗に献上されたことは知っていた。それを杉本苑子が作品化していたことは知らなかった。早速借りてきて読んだことは言うまでもない。
 久し振りに聲香さんの語りを聴きたかったことに加え、語りの対象が好きな杉本作品で、これは是非と思った。更に開催場所が早稲田奉仕園で、まだ訪れたことの無い建物。それへの興味もあり、直ぐに参加希望のメールを打った。

 聴く以前にある謎を感じていた。彼女からのパンフレットには、象の「長崎から山陽道東海道を経て江戸へ、はるばる三百七十里の道中を、どうぞ、ご一緒下さい。」とあった。この山陽道東海道に引っかかった。長崎から江戸まで、象は確かに山陽道と東海道を通ったであろうが、中山道を通らなかったのだろうか?いや確か中山道も通ったはずだ、という疑問。

 2年前の12月、近江八幡を旅した私達は八日市線で武佐(むさ)へと足を延ばした。武佐宿は中山道67番目(『浪漫の旅』には66番目とある)の宿場。いずれそこを訪れるはずだから、前もって一目見ておこうという積りだった。その折に、街角の一角の立て看板に「享保14(1729)年に、長崎から江戸に運ぶ象がここに一泊した」と書かれた文と絵を思い出した。
 京都から江戸まで、象一行は一時東海道を離れ、どこかで中山道へと入っていったずだ。その謎を解いておきたいと思い、『長崎から江戸へ 象の旅』(著:石坂昌三)を借りてきて併せ読んだ。
 『ああ三百里七十里』を聴いた感想の前に、その著作と『象の旅』で知った内容を次回ブログに綴りたい。
 
 今日の一葉:大森のお宅に咲くムラサキツユクサ