マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『観音さまに逢いたい』 第167回奈良学文化講座を聴く

2019年07月25日 | 仏像

 7月17日(水)に奈良学文化講座に参加した。その後輪投げ大会や高水三山縦走などがあり、書きそびれているうちに、この分野に詳しい妻が、とあるところでその感想を書いていた。なるほどそうだったかと思える内容で、今日はおんぶにだっこでそれをそのままこのブログに載せた。





 『「霊木の来た道(西山克氏講演 奈良学文化講座・観音さまに逢いたい」
 その奈良学講座は、主として奈良でだが、東京での講演があると、時に、聞きに行く。

 今回は、7月17日。18時からだが、開場の17時に行ったら300人位並んでいたか、驚いてしまった。観音様は、講演でも圧倒的吸引力をお持ちなのかしらね。聴衆は圧倒的に年輩の男性で、ちょっと珍しい。
 講演2つの他に、間に10分ほどの長谷寺の声明と風景紹介の映画が挟まれ、結構イメージ化に役立った。

 講演は、西山さんのを書きたい。知っていること、知らないことが繋がって、心地よかった。
 パワーポイントで、画面に纏められていることに、お話が加わり、慌ててメモすることになる。考えを及ぼす。なかなか楽しい。

1 まずは、観音さまに会いたい、となるとどうするか。例えば、熊野の勝浦、外部と遮断された塞がれた船に乗った僧が、補陀落浄土を目指して行ったという渡海行、誰にもできるわけはないから、

2 聖地巡礼、西国観音巡礼となる。現在、一番青岸渡寺 結願華厳寺 だが、長谷寺が一番のルートもあったとか。そう言えば、昔巡った時に、長谷寺参道の近くに、「三十三所の巡礼を広めよ」と、閻魔王から言いつかった(718養老2)徳道上人の霊廟を祀ったというお寺があったっけ、と納経帳を見たら、結願のすぐ後にありました。




3 縁起によると、この10m以上あるという観音像(現存は16世紀再建)は、517年三尾明神の守護する恐ろしく祟りをなす霊木が、琵琶湖に流れ出し、停留地はことごとく疫・飢饉など祟られ、人々は初瀬まで曳き運ぶ(御柱みたい? 西山さんは、「川じゃないか。瀬田川宇治川淀川大和川初瀬川」。賛成、当時の大幹線です)。伝説の仏師、地蔵と観音の化身の稽文会・稽主勲によって、祟る霊木から霊験あらたかな観音が誕生する。日本人には、祟る鬼神の力で助けてもらうという発想があるらしく、恐いほど、味方になったくれたら験があって万歳、らしいね。
 

    
4 長谷同木信仰 木彫仏の材料を御衣木(ミソギ)と言う。長谷観音と同じ御衣木を使ったという信仰だが、すぐ思い出したのは鎌倉の長谷寺で、小学校の遠足で聞いたお話。霊木の半身がこれだって。小学生、信じましたよ。随分遠いなぁと思ったけど。西山さんは、大坂の葛井寺のホンとは乾漆の千手観音、香川志度寺の十一面閻魔を紹介された。

 最後に西山さんは、観音さまに会うことで、誰かに会っている。誰に会いたいですか と問われた。誰だろ。』

 今日の一葉:受講の帰りに芝公園から見る東京タワー
  
 


東博ミュージアムシマターで『空海 祈りの形』を観る

2019年06月29日 | 仏像

 6月19日(水)東博で『奈良大和四寺のみほとけ』を拝観後、東洋館の地下1階に移動し、ミュージアムシアターで『空海 祈りの形』を観た。平日の水・木・金は12時・13時などから35分ほどの上映で、料金は500円。70歳以上無料などという特権は無い。人生そう甘くはないのだ。
 3月~6月に、特別展として開催されていた、東寺講堂・立体曼荼羅の世界をVRで解き明かそうとする作品だ。東博で拝観した立体曼荼羅の世界は東寺講堂の構成とは異なっていて、実際の曼荼羅を拝観したことの無い私には、VRながら実際の空間を観られる有難い作品だった。細部まではっきりと映し出される仏像の見事さに観入った。


 制作は凸版印刷だけあって実に美しい映像に仕上がっていた。かつて、黒田日出男氏の講演「舟木本洛中洛外図と豊国祭礼図の謎解き」を聴いたとき、彼は凸版印刷の開発したデジタル技術を絶賛していたが、その凸版印刷の制作だけあって迫力のある見事な映像だった。
 退館するときに冊子『東寺』を購入して、帰宅後観て来たばかりの世界を本で眺めていると、「お試し下さい。スマートフォンをお持ちになり360度の画像をお楽しみ頂けます」との文章が目に入った(下段の左の図)。スマホで無料アプリ「AReader」をダウンロードし、この冊子内のARマーカを撮影すれば良いと分かり、実際にやって見た。
 冊子内のデーター(下段の右図)を読み取ると動画が現れた。講堂内の帝釈天や不動明王を須弥壇上でバーチャル拝観が出来るのだった。更にスマホを持って一回転すると、講堂内の景色も回転した。スマホで講堂内を写真撮影している様な不思議な経験。初めて体験する世界だった。



 
 
 結局、立体曼荼羅の世界を、実際拝観で、ミュージアムの映像で、冊子で、スマホでと、4方面から観たことになった。

  


 


特別企画『奈良大和四寺のみほとけ』を観る

2019年06月27日 | 仏像

 6月19日(水)、妻に誘われて、東博で『奈良大和四寺のみほとけ』展を観て来た。展示会場は平成館ではなく本館の11室、特別展示ではなくて特別企画だった。
 奈良大和四寺の四寺とは岡寺、室生寺、長谷寺、安倍文殊院のことと会場で知った。奈良より更に南に位置する、近鉄大阪線や吉野線沿線の寺々で、安部文殊院以外は何度か訪れたことがあった。こちらから出掛けるには随分遠いところからのお出ましで、「良くぞお出で下さいました」との呟きが聞こえた。有り難いことに、国宝など、寺の選りすぐりの名品を鑑賞出来た。国宝4点や重文など全部で15点の展示。そう広くはない会場をゆったりと回った。(写真:図録表紙の室生寺の十一面観音菩薩立像)



 岡寺からは《開祖義淵僧正坐像》(国宝)。顔に刻み込まれた皺や浮き出したあばらなど、そのリアルな造りに驚かされる。初めて観たのが《天人文甎》で、解説文には「甎とは焼いて仕上げた煉瓦のことで、ひざまずく人物は天人と思われる」とあった。小さい《菩薩半跏像》も初めて拝観した。岡寺本像の像内から発見されたと伝えられ、31cmと小さく可愛らしく思える仏さまだ。(写真:右は《菩薩半跏像》で下は《天人文甎》




 室生寺からは国宝2点を含め全部で4点。2012/11/23のブログに書いた様に、7年前に金堂内で《薬師如来坐像》と《十一面観音菩薩立像》を拝観した。その両国宝がお出でになっているとは!しかも直ぐ目の前で拝観できるのだった。十一面観音さまはふっくらとした頬でふくよかなお顔。細い線で刻まれた衣文線が美しい。
 仏像よりも本堂舞台の印象が強い長谷寺からは2つの十一面観音菩薩立像を含む6点。本尊の十一面観音菩薩立像の移動はあり得ないか?
 安倍文殊院からは、快慶作《文殊菩薩像》の像内から発見された国宝の経巻、《仏頂尊勝陀羅尼・文殊真言等》のみ。
 
毎度のことではないが、今回は東博の入館料620円(70歳以上無料)のみでこの特別企画を拝観できる。会期は6月18日~9月23日とのことで、再度ここを訪れたい思っている。

 今日の一葉:漸く横顔を見せたシロクロエリマキキツネザル。25日撮影。  
     
 
 

 
 


六阿弥陀(その2 常楽院別院)

2019年06月07日 | 仏像

 今朝の早朝散歩は、バスを池之端1丁目で下車し、不忍池を一周し、本郷通を歩いて帰って来たのだが、不忍池を散策している途中で「東天紅」の看板を目にして、そこに常楽院の別院があることを思い出し、お参りしてきた。(写真:不忍池。蓮の花はこれから)





 阿弥陀様は東天紅の裏側に祀られていた。こじんまりはしているが綺麗な別院で、小さなお堂の奥に阿弥陀様がおわしました。模刻の阿弥陀様だが、実は初めて見る六阿弥陀さま。

 

 脇に「江戸六阿弥陀縁起」が書かれていた。今までに無量寺と與楽寺は回っているが、六阿弥陀について詳しく書かれたたものを目にするのは初めて。大変面白い物語なのでその概略を記す。
 「聖武天皇の頃、武蔵國足立郡に沼田の長者藤原正成は長年子宝に恵まれずにいた。ある時、熊野権現に詣でて祈願したところ一女を授かった。
 この息女は
足立姫と呼ばれる程にみめ美しく聡明だった。豊島郡に嫁がせると領主の姑が事々に辛くあたり悲嘆の日々。里帰りの折に思い余って沼田川に投身。五人の侍女もその後を追った。
 後日、息女らの供養に諸国巡礼の旅に出た長者が再び熊野権現に詣でたところ夢に権現が立ち、一女を授けたのはそなたを仏道に導く方便であった、これより熊野山中にある霊木により六体の阿弥陀仏を刻み広く衆生を済度せよ、と申されたのであった。
 光輝く霊木を見つけ海に流し、帰国すると霊木は沼田の入江に流れついていた。諸国巡礼の途に沼田の地に立ち寄られた行基菩薩に乞うて六体の阿弥陀仏を彫り、六人の女性ゆかりの地にそれぞれお堂を建ててこれを祀った」そうな。

 第五番常楽院は上野広小路の繁華街(現ABAB 赤札堂)にあったので彼岸などは特に賑わい、江戸名所図会にも描かれている。広小路のお堂は関東大震災と第二次世界大戦の焼失を継て、ご本尊は調布市に移ったが、参詣の便を図ってここ東天紅の敷地を拝借して別院を設け、模刻の阿弥陀さまをお祀りしている、とも書かれていた。
 沼田とは現在の小台あたりで、沼田川が現隅田川であることも知った。(説明板文に沼田川は現荒川とあるが、これは隅田川の誤りか?)

 今日の一葉:東大本郷キャンパス工学部付近の銀杏の大木
 
 


立体曼荼羅の世界へ

2019年04月08日 | 仏像

 4月4日(木)、妻と東博の『東寺 空海と仏像曼荼羅』展を観て来た。東寺講堂には空海が作り上げた立体曼荼羅の世界を体感できる21体の仏像が安置されているそうな。その仏像曼荼羅のうち15体の曼荼羅が東博にお出ましになるという。随分前から楽しみに待っていた。



 展示は3月26日に始まったばかりだからまだ混まないだろうと予想して、東博に10時到着、やはり、ゆったりと見て回ることが出来た。

 立体曼荼羅を中心に拝観して来た。出品目録を見て立体曼荼羅が第2会場に展示されていることを知り、まずは第2会場へ。こちらの入口には国宝「兜跋毘沙門天立像」がすっくと立っていた。その昔、平安京の入口羅城門に祀られていたと言われる毘沙門天。鎧を纏い、右手には戟を持ち、邪心ある者は入れないぞという雰囲気だ。8年前にここで開催された『空海と密教美術展』では展示されていなかったと思う。私は初めての鑑賞で、唐から招来し我が国に伝来した彫像だそうな。






 五大虚空蔵菩薩坐像を過ぎると、圧巻の曼荼羅の世界。広い部屋全部をひとつにして全部で15体の曼荼羅が配置されていた。私は曼荼羅といえば平面に描かれた「両界曼荼羅」を思い浮かべてしまうが、空海が東寺講堂に作り上げたのは立体の仏像曼荼羅。当然、東寺講堂とは異なった配置だそうな。




 中でも主役は象の背中に座する「帝釈天騎象像」。この仏像のみ撮影可能だった。良くぞ東寺は決断してくれたなと思う。ここもまだ空いていて、正面からあるいは
左右からと何枚も撮影した。瞑想しているように見える端正なお顔。








 その帝釈天に向かい合う様に、国宝の菩薩坐像・明王立像や持国天・増長天が配置されていた。ひとつひとつ一回りして拝観した。一番奥におわしますのが、宝生如来坐像などの4体の如来。この仏様だけが重文という不思議。1486年の土一揆による火災で失われ、1834(天保五)年に再興されたと知って納得。




 空海は「密教は奥深く、文章で表すことは困難である。かわりに図画をかりて悟らないものに開き示す」(『御請来目録』)と述べたそうな。悟る悟らないの次元ではないが、今年の秋には東寺講堂も含め京都を訪れようと妻と話している。(写真:休息所から庭を撮影)