マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

PCR検査とワクチン接種

2021年05月28日 | 身辺雑記

 全くの偶然からPCR検査を受け、陰性との結果が届いた。ワクチン接種は今日の午後。コロナを巡り、私にも幾つかの動きがあった。

 東京新聞に東京最古のソース会社「トキワソース」の工場で販売する「滝野川やきそば」が紹介されたのは5月4日のこと。焼きそばファンの私は、早速5月12日(水)に自転車に乗って買いに行った。美味しい焼きそばで、面白い話しが幾つかあるのだが、先を急ぐ。(写真:敷地内に置かれている車内で調理されていた)





 帰路地蔵通りを巣鴨まで戻って来ると、空き地の一角に内閣官房による「新型コロナウイルス感染症モニタリング検査」場が設置され、数人が列をなしていた。物見高い私は早速列に並んだ。スマホにアプリを登録できて、検査キットを次の月曜日までに郵便局へ持ち込み可能ならば受検できるとのこと。条件は満たすので、キットを貰い、唾液を採取して、郵便局へ。



 PCR検査を思い切って増やして欲しいとの多くの国民の切なる思いにこの国の政府は背いて来た。検査数は世界146位だった。厚労省が秘密裏に作成していた内部文書が明らかになり、そこには「希望者に広く検査を受けられるようにすれば医療崩壊に繋がる」と書かれていたそうな。多くの批判を浴び、遅ればせながら開始した無料検査。17日に陰性との結果が届き、少し安心はしたが、嬉しさは中ぐらい。それよりも今後に拘わるワクチン接種の方に思いが行く。(写真:この容器で唾液を採取する)
 
 5月14日(金)が、文京区のワクチン接種第2回目の予約日だった。今回は2万人分の予約を受けつけるという。当然ネット予約を試みた。9時丁度にアクセスを開始したが、全く繋がらない。妻の方は1時間半ほどで予約完了。その時閃いたらしい。このサイトをログインのままにしておけば、私の予約も可能だと。そこで妻使用のパソコンに移動してアクセス。その結果私も直ぐに予約完了。28日の今日の午後二人ともほぼ同じ場所での接種とあいなった。第1回目の様なシステムエラーなどは起こらずホッとした。
 

 この間ラジオ体操会場富士神社でもいろいろな動きがあった。
 第1回予約日の翌日には区長がやってきた。第2回予約日の当日には日本テレビが取材に来てその様子が4チャンネル「バンキシャ」で放映された。富士前福寿会のYさんがインタビューを受けていた。私にも取材があったのだが、こちらはカットされていた。(写真:当日朝の風景)。最近は参加者50人ほどのラジオ体操。最少年齢3歳から最高年齢90歳までと幅広いが、殆どが高齢者で、話題は必然的にワクチン接種となる。
 今になると接種予約を客観視できる。文京区の場合、検査を一日も早くと思わないのであれば、ネット予約を焦ることなく予約日の午後遅くにアクセスにするので充分だったし、精神衛生上も良かった。アクセス出来てしまえば、高齢者にもそう難しい操作ではなかった。でもこんな経験二度としたくないな。


日本橋川を下る(その2)

2021年05月21日 | 江戸の川・東京の川

 千代田区にある三崎橋から歩き始め中央区の豊海橋(とよみばし)を過ぎるとゴールの隅田川だ。日本橋川にはその間5km弱の距離に24もの橋が架けられている。鎌倉橋を越え、山手線などの走るJR高架線を潜る寸前から川は千代田区と中央区の区境を流れる。その区境に架けられている橋は3つ。新常盤橋・常磐橋・常盤橋と「ときわばし」が3つもある。その真ん中に位置する常磐橋こそ、小石川門の石垣を移設して1877年に建造された石橋だ。(5月10日に新装開通した常磐橋)


 日本橋川を下ろうと決めていた8日の東京新聞の朝刊に、全く偶然にも「千代田区、工事終え、10日13時から、常磐橋10年ぶり開通」との記事が載った。この川歩きを開通後に変更しても良かったが、常磐橋を開通前後の2度見学するのも良いかなと考え、8日に予定通りに出掛けていくと、橋の入口両側には簡易な柵が作られていた。
 10日の朝、千代田区へ「橋の開通式はあるのですか」などとアホな電話をすると、「コロナ禍ですから中止です」と。そこで開通後11日早朝、ラジオ体操前に橋見学に行った。三田線を大手町で下車すると徒歩20分弱で常磐橋に到着する。朝5時台の散策だったので一組の高齢のカップル出合っただけだった。(常盤橋門跡側から常磐橋を見る)


 庭園にあるものを除けば都内に現存する最古の石橋とされる。長さ28.8m、幅12.6mの、実に美しいアーチ型の石橋だ。歩行者のみが通れるというのも嬉しい。3・11震災の揺れでアーチが変形し、崩落の危険が生じたため修復が必要となったとのこと。橋の千代田区側は常盤橋公園とつながる。その公園の整備完了を待って橋が利用可能となったそうな。(親柱には常磐橋と刻印されている)







 幾つかの逸話や実話がある。
 江戸城・大手門へ向かう外堀の正門前に木造で架けられていた常橋は、石造りに架け替えられたとき、橋名が常橋となった。(右は浮世絵に描かれた常磐橋と常盤橋門)
 橋の解体で、バラバラになった石には池田藩(岡山県)の刻印があった。池田藩が築造した江戸城小石川門の石垣の石を再利用していたことが分かった。(実証出来たという意味か)





 実は、常磐橋の危機は2度目だった。関東大震災で被災し、復興事業として50m下流にコンクリート製の常盤橋が造られ、「不要」と見なされたのだ。渋沢栄一の支援で常磐橋は1926年に修復が実現した、との逸話も。公園の一角には栄一翁の像が建てられてはいるが、その経歴文の中にその逸話は登場してはいなかった。







 開通式こそ開催されなかったが、報道陣向けにボートが用意され撮影会が行われたとのこと。右の写真は東京新聞に登場していたもの。水面から見上げるような角度からの写真は地上からでは撮影出来ないものだ。

 上流から新常盤橋→常磐橋→常盤橋と並ぶ3つの「ときわばし」は古い順に書き並べれば常磐橋・常盤橋・新常盤橋(竣工1988年)となる。
 
 
 
 


日本橋川を下る(その1)

2021年05月14日 | 江戸の川・東京の川

 行徳で生産された塩の運搬経路を遡り、小名木川を経て大川(現隅田川)に辿り着いたのが4月19日だった。川を歩く途中でも、さて塩の最終到達点は何処だったのだろうなど考えたり、ネットで調べたりしたが、よく分からなかった。そこで「中川船番所資料館」に問い合わせると、いとも簡素な答えが返って来た。「さまざまですよ」との。
 その答えを聞いてすぐに理解した。塩の下ろされる場所は小名木川開削当時から時代の変遷とともに変化したことだろうし、商人によっても荷下ろし地点は異なっただろうことを。到達点は様々あったのだ。さすれば、小名木川西端から先のルートは少なくも4つはあったことが推測出来た。①大川を下る、②大川を遡る、③大川を遡り神田川に入っていく、④大川を下り日本橋川に入っていく。
 旧江戸川沿いにあった常夜灯には行徳・日本橋小網町間には行徳船が運航されていたと書かれていた。そこで、上記4つのルートのうちまだ歩いたことのない日本橋川を辿ろうと、5月8日(土)、日本橋川を小石川門・三崎橋を起点にして、隅田川まで下ったのだった。

 日本橋川は一見不幸な川に見える。川の大部分が、1967年に開通した首都高5号線に覆われているのだ。この高速道路は川に覆いかぶさるように造られている。川の情緒を楽しむには程遠い。しかし、今回の川下りではこの川に関連する多くの歴史的遺跡を目撃することが出来興味は尽きななった。又この川は日本橋を初めとして、川に架かる橋こそが主役とも思えるのだった。(写真:右は高速道路に覆われた日本橋川。下はあいあい橋で)
  

 神田川に架かる小石川橋を下ってすぐのところから日本橋川が分流するが、その小石川橋そばの掲示板に興味深い事柄と地図が書かれていた。一番先頭に掲示したものがその地図で、日本橋川がどの辺を流れていたのかや、大川・神田川・日本橋川の関連を知るには相応しい地図だ。詳細は何回かに分けて綴りたい。
 今回は小石川橋に関して。
掲示板には凡そ次の様に書かれていた。
 神田川から日本橋川が分流する直前に神田川に架けられていた橋が小石川橋で、江戸時代の橋は門とともに架けられた。その門が小石川門で、江戸城外郭門のひとつ。1636年に岡山藩主池田光政によって建造されたが、明治維新後の1872年に、枡形石垣は取り壊され、その石材を利用して1877年に日本橋川下流の常磐橋の石橋が建造された。
 1895年に甲武鉄道飯田町駅が近くにできると、橋も修繕されたが関東大震災で被災。1927年には鋼橋に架け替えられたが、老朽化のため2012年に改修された、と。
(下は、現在の小石川橋)
 
 

 


ワクチン接種予約騒動記

2021年05月07日 | 医療

 文京区の掲示板に右の貼り紙を見たのは4月19日のことだった。高齢者への新型コロナワクチン接種について文京区は都内23区の中でも最終ランナーになりそうな報道を耳にしていたから、4月30日から予約開始は頗る意外だった。私はワクチンのリスクよりもその効果の方がはるかに大きいと信ずる人間なので、これは有難いと思い、早めに接種を受けようと、直ぐに予約準備を開始した。
 コールセンターへ電話連絡するよりも予約専用サイトへネット予約する方が予約確率は高いと思い、自分なりにネット予約を素早くする幾つかの工夫をして30日9時を待っていた。しかし、思わぬミスがあり、9時の予約開始時直ぐに予約最終サイトには到達しなかったが、9時30分には「慈愛病院 11時15分」の予約場面に到達していた。そこで「予約」をクリックすると「システムエラーが発生しました」。吃驚、がっくり、がっかりである。
 外出しなければならなかった妻の予約も10時半ごろには最終サイトに到達し、予約ボタンをクリックすると又しても「システムエラー」となった。その原因が分からずお手上げとなった。電話連絡に切り替えたが、時は既に遅く、コールセンターには全く繋がらず、虚しくときは過ぎ、予約受付最終時刻18時がやってきてしまった。
 専用サイトにシステム上問題があったのかも知れない。自分に操作ミスがあったのかも知れない。どちらかは分からないが私は自分を責め、この日は落ち込んだ。

 翌日、ラジオ体操に行くと、なんと区長がラジオ体操に参加していて、体操終了後挨拶をした。ワクチンに関する話で趣旨は2つあった。「前日は予約が殺到し区民の皆さんにご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありませんでした」との話が一つ。もう一つは「5月14日から2度目の予約を開始します。区の高齢者4万4千人に対して3万8千のワクチンを用意していますから、慌てずに落ち着いて予約をしてください」と語った。その後区長を囲む対話の輪が出来、幾つかの質問が出された。私は最終的にシステムエラーとなったがどうしてですかと尋ねた。納得のいく即答は望むべくなく、お詫びの言葉があったが、区民ひとり一人の疑問に応えようとする自治体トップの姿勢が嬉しかった。
 午後にコールセンターに電話し、「最終場面でシステムエラーが出てしまいましたが、他にもそのような連絡は入っていますか」と問うと、「連絡は入っています。システムの点検をし直します」との事。落ち込みから少しは回復し、もう一度予約サイトにアクセスしようと思い始めた。
 ラジオ体操仲間(現在50名ほど)ではネット予約完了者が2名、電話予約者が1名だった。