マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

都高教退職者会「東京歴史散歩」に参加して(その2)

2023年11月04日 | 東京散歩

 神仏分離令は具体的にはその多くが廃仏毀釈となって現れ、富岡八幡宮の別当寺だった永代寺はその地を追われ廃寺同然となり、その境内は深川公園となった。その後同公園内には深川不動堂が建立されたので、現在深川公園は深川不動堂を挟んで東西に分断されている。(右写真は江戸東京重ね地図より。再掲)
 その深川公園は、1873(明治6)年、太政官布達によって定められた日本で最初の公園のひとつ。そのとき同時に公園となったのは、芝公園・上野公園・浅草公園・飛鳥山公園で、私は深川公園以外はそのどれにも行ったことがあったがここは初めてだった。その公園内で格別に目立つのが「石造燈明台」だ。
 以前は、深川不動堂境内の南東にあったが、2008年に深川公園へ移築された。高さが83.94m、約37m四方の燈明台で、地上の灯台といったところか。 
 日清戦争の戦勝を記念して明治31年に竣工された。設計者はジョサイア・コンドル(ニコライ堂の設計者)に師事した佐立(さたち)七次郎。内部は煉瓦積みで螺旋階段が付けられていたと思われ、周囲には寄付をした人々の名前が石版に刻まれていて、市川團十郎、尾上菊五郎、市川左團次ら歌舞伎役者の名前が見える。一番上には八角形の火袋があっが、関東大震災で倒れたらしい。


 深川公園を後に富岡八幡宮に向かったが、数年前、神社にはあるまじき不祥事件が発生していて、私は参拝する気にならず、素通りして「大関力士碑」や「横綱力士碑」へ急いだ。鶴岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の地して知られ、明治年間には歴代横綱の名を刻んだ横綱力士碑が建立された。最近の横綱名を見ると鶴竜・稀勢の里と続き、照ノ富士で終わっている。さてその次は誰か。確信をもって名を挙げられないのが今の相撲界の現状だ。
 
 
 さてその次に回ったのが八幡橋。旧弾正橋で、明治11年に架けられた鉄製の橋で、東京市に架けらた最初の鉄橋。日本に残っている鉄橋のなかで最古の部類に入ると言われている。鋼製ではなく純粋の鉄の橋で、現在残っている鉄の橋としては非常に珍しいものとか。見た目にも鉄だけで造られているのがはっきりわかる。関東大震災後の復興事業で川や運河が再興され、橋は使われなくなってしまったが、その由来を惜しまれ、昭和4年現在地に移設され、昭和52年に国の重要文化財に指定された。私たちはこの橋の下で記念撮影。帰りはこの橋を渡ったのだが、少し揺らしても揺れは感じられなかった。(写真:八幡橋下で)

 最後に向かったのが江戸三十三間堂跡。京都の三十三間堂で行われていた流し矢の流行を受けて、寛永19(1642)年に、京都三十三間堂を模して建立されたのを始まりとする。元禄11(1698)年に焼失したが、元禄14(1701)年富岡八幡宮の東側に再建された。しかし、明治5(1872)年、廃仏毀釈により、江戸三十三間堂は廃された。こちらは南北六十六間の堂舎で、本尊は千手観音であったとされる。歌川広重の「名所江戸百景」ではありし日の姿を見られるが、現物はもはや見られない。この建物も見たかった。廃仏毀釈とは罪なことをしたものよ。(写真は広重「深川三十三間堂」より)
 門前仲町駅付近で10名参加のもと懇親会。

 11日から孫の七五三の為帯広に出かけてきますのでブログ更新は相当間が開きます。


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