マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

『京都:天下無双の別荘群』を観る

2010年05月30日 | 身辺雑記

 昨夜(5月29日)の8時からのNHK総合テレビ「ワンダー×ワンダー」は南禅寺界隈の別荘群を取り上げていました。クラスメイトBさんからのメールで初めて知り、録画もしつつ鑑賞しました。

 取り上げられていた別荘群は南禅寺付近にある、對龍山荘、碧雲荘、何有荘(かいうそう)、清流亭、流響院などなどです。
 ナレーターは語ります「京都東山:観光に訪れる人が必ず足を運ぶ名所が集っています。しかしそこにはどんなガイドブックにも載っていないお屋敷がある事をご存じでしょうか。そのお屋敷は何時も頑なに門を閉ざしています。今日は特別に中をご案内しましょう」として紹介されたのが南禅寺界隈の別荘群です。それらは私邸故え堅く門を閉ざしています。その閉ざされた門内にカメラが入り、極上の池や庭や屋敷などを紹介していました。この素晴らしいお庭を是非観たいものとの思いで、録っておいた映像を今日も観ました。(以下の画像はテレビを映したものです)

       (南禅寺界隈の別荘群地図)



      (對龍山荘の庭屋一如)

        (何有荘門前)



        (何有荘内の滝)

          (碧雲荘)



           (流響院)


 これらの別荘群に共通する主役が水です。池や滝や庭に巧み水を引き入れます。その水こそ琵琶湖からトンネルを潜り抜けて流れ来た”琵琶湖疏水”。私が好きなイン・クラインの脇で地上に出て、そこから何有荘を左手にして一気に流れ下り、南禅寺内の「水路閣」を経て別荘群にも流れ行きます。作庭者も共通しています。「旧古河庭園」の庭をも手がけた小川治兵衛です。

 実は小川治兵衛作の庭に
偶然にも2つほど出会っています。紅葉を観に出掛けた2004年の12月の京都で2つ訪れました。一つが「洛翠」です。その当時は「ゆうりぞうと京都 洛翠」と呼ばれたいわゆる「かんぽの宿」。私達は昼食をとったのち庭を散策しました。パンフレットに作庭者小川治兵衛と書かれていました。郵政民営化の影響か現在は閉鎖中です。
 もう一つがなんと「何有荘」です。私が初めてイン・クラインや琵琶湖疏水に巡り合い感動したときです。地下鉄蹴上駅からイン・クラインへと曲がるトンネル付近でビラが配られていました。今現在、駅付近で配られるビラの様に渡されたビラには「何有荘いよいよ公開」と書かれていました。この様に渡されたビラ、有難味をまるで感じません。イン・クラインから何有荘へは”秘密のトンネル”のような地下道を潜り入荘しました。潜りぬけると茶室があり、そこの高台からは東山を借景とした南禅寺の山門が望め、何有荘の紅葉も見渡せました。安易に作られたビラに反し、想像を超える規模の大きさに驚き、紅葉と溶け合った滝を飽かず眺めました。何有荘はある時期、それもほんの僅かな期間公開されたようです。私達が入荘出来たのは全くの偶然でした。
 
 テレビで紹介された別荘群は何れも維持・管理に膨大な費用を要し、所有者が変遷している別荘もあるようです。何有荘はアメリカの実業家の手に移ったと語られていました。流響院の現在の所有者は宗教団体「真如苑」、5月と11月には市民に開放するとホームページに書かれていました。對龍山荘や碧雲荘など抽選でも良いから公開の道があれば有難いと思います。

            


 南禅寺付近では、山形有朋の別荘跡「無燐庵」のみが現在公開されています。 (写真は小川治兵衛による無燐庵内の庭:今年4月6日映す)
 
 
 

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ブログ開設1周年

2010年05月29日 | 身辺雑記

 1年前の5月28日にブログ『マーちゃんの数独日記』を始めてから、昨日でちょうど1年が経過しました。その当時パソコンのあれこれを教えて頂いた先生のところへ伺い、ブログを開設して頂き、画像の取り組み方法を習いました。目的は、超難問数独の解き方を解説することでした。

 1度だけの教習を経て、最初はこわごわ「数独の手始め」と題して1行程度のブログを書きました。これが”ブログの手始め”でした。どんな超難問の数独も解決出来ると確信し、その方法論を文章にしたかったのです。37回にわたる解説文を書き終えたとき、このままブログを終了してしまうのが”勿体無く”感じられ、散歩や旅や山を友とするマーちゃんは、その体験談や見聞してきた事を書き続けたいと思いました。

 私のなしていることの中心は体を動かす事、もっと端的に言えば足を動かすことです。頭を使う時間はかなり減りました。ラジオ体操に続く早朝散歩とご近所のスポーツクラブでの水泳。この間に見た掲示板情報等をもとにしての遠出など、
そのときに感じた楽しさや疑問や意外な発見などの即時情報を書き連ねてきました。出歩くこととブログに書き綴ることで予想以上に時間がかかり読書量が半減しましたが・・・。(68歳の身、疲れて寝ていることも多いのですが・・・)。

 私よりお歳を召された方たちが元気に働ている地域で生活しています。70歳を超えられた、お元気な方々と会話を交わすと、自然とこちらが元気になります
。「こんな低い年金では生活出来ないから働いてるんだよ」この言葉をよく聞きますが、結果論として働くことを続け、それが健康に繋がっているように見受けられます。
 私も出来得ればそのお歳くらいまで元気に生活したいと思っています。元気の源が働くこと、体を動かす事だと実感し、今後も散歩や旅や山行を続け、そこでの見聞を書き続けられればと願っています。

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『旧古河庭園』へ

2010年05月27日 | 東京散歩

 今日(5月27日)の昼食を「霜降銀座」入口の「西尾中華そば店」(1月10日のブログに登場)で済ませ、そこから自転車で5分の「旧古河庭園」に向かいました。早朝散歩で、「バラフェスティバル」が5月14日~6月20日に掛けて開催されている事に気が付いたからです。
 12時少し前に到着すると門前にはかなりの人・人。入園料は150円ですが、65歳以上は半額で端数切り捨ての70円。そのためだけでは無いでしょうが、入園者は殆どの方がそれなりの年齢を感じさせる人とそれ以外には女性グループです。

 ここ「旧古河庭園」はもと陸奥宗光の別邸でしたが、次男が古河財閥の養子になった時、古河家の所有となる。戦後、国へ所有権が移り、地元の要望もあり、東京都が国から無償で借り受け、一般公開されたと言う経過を経て、現在は「東京都公園協会」が委託を受け管理・運営しています。
 
 <現在の洋館と洋風庭園の設計者は、英国人ジョサイア コンドル博士(1852~1920)です。博士は当園以外にも、旧岩崎邸庭園洋館、鹿鳴館、ニコライ堂などを設計し、我が国の建築界に多大な貢献をしました>と紹介されています。

 庭園は高低差があり、斜面を下ると風景が一変します。下側は和風の日本庭園の作りになっています。この作庭者が京都の庭師小川治兵衛(1860~1933)である事を初めて知りました。彼は円山公園、南禅寺界隈の別荘庭園などを作庭した人物で、私達が今年4月に訪れた山県有朋の京都別邸である無鄰菴や平安神宮神苑(4月9日のブログの登場)も小川治兵衛の作でした。

 



 この洋館の建物は「大谷美術館」として、美術品の展示はないものの、許可制で公開されていて、内部閲覧が可能です。2年ほど前の11月のミニクラス会で訪れたことがあります。







    
        (ゴールデン メダイヨン)



       (マダム サチ)


 夜来の雨に洗われ、五月の太陽をいっぱいに浴びて、多種多様の薔薇が咲き競っていました。








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『根津美術館』へ

2010年05月25日 | 東京散歩

                        
 1週間前の5月19日(水)の午前中、家人に誘われて根津美術館に出かけました。根津美術館は3年半を掛けての新築工事が終わり、昨年10月7日新創開館していました。開館から1年間は、8回にわたる新創記念特別展が開催され、今回がその5回目。「琳派コレクション一挙公開」と名打って「国宝燕子花図屏風」などが展示されたのです。 (写真:美術館前に張られたポスター)




 私は改築前の根津美術館へも行った事がありません。全てを家人に任せ付いて行きました。美術館到着が10時直前、5月23日(日)の最終日が近いせいか開館前に既に多くの方が並んでいます。
                                                           
                                          
尾形光琳の国宝「燕子花図屏風」は、『伊勢物語』第9段に登場する三河の国八橋の燕子花を題材として、意匠的な画面構成と優れた技法が渾然一体となった日本絵画の名品です。この「燕子花図屏風」が、4年ぶりに根津美術館の初夏を彩ります>とあります。
 高校時代学んだ『伊勢物語』に登場した「かきつばた」、これを題材として尾形光琳が描いた屏風を目の当りにしました。絵心の分からない私ですが、濃淡の群青と緑青によって描かれた燕子花、美しいと暫し見入りました。(写真:庭から美術館を見る)


  
 

 他に「桜花蹴鞠図屏風」や「四季草花図屏風」なども展示されていて、尾形光琳が描いた色彩鮮やかな世界を垣間見て、庭に出ました。細い坂道を下ると小さな池があり、そのには何と「かきつばた」が群生しています。見事な演出にも思えます。ここ根津美術館は庭園としても素晴らしい。高低差を上手に利用しての庭園。森林浴も楽しめ、何度も訪れたくなるお庭でした。(写真:池へ下る坂道)














 根津美術館を後にして、家人は「教え子がやっている小さなお店に行ってみたい」と言いだしました。「雑誌に登場して、元気に活躍しているらしい。一度行った事があるので何とか行きつける」とも言いました。少し迷いましたが、全く偶然にその教え子さんと再会。そこは中国古美術品を扱うお店で、カフェも兼ねていて、家人と教え子さんは”いにしえ話し”に花を咲かせ、私は木のカップで美味しいコーヒーを味わい暫しの休息の後表参道を後にしました。

 

 
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『黒田塾』第6回

2010年05月25日 | 行政書士奮戦記

 5月22日(土)、この週の土曜日も晴れ。午後1時に六義園内「心泉亭」を後にし、渋谷へと向かいました。

 『黒田塾』第6回目からは事例研究です。「黒田行政書士事務所」に相談に来られ、遺言公正証書の原案作成を依頼された件について、遺言者・依頼者の意向や周辺事情を踏まえてどのような原案を作成したが研修内容。今後はこの事例研究が、最後まで続く事と思います。

 左の図で今回の事例1の周辺事情を述べます。依頼者は三男E男、遺言者はその母B子。B子の夫は既に死亡し、現在は三男夫妻とその子供たちと生活を共にしています。
 問題はその推定相続人の三男、後遺症のため、やや判断能力が衰えています。その三男の妻は遺言者である義理の母B子の世話ばかりでなく、夫の日常生活も補助しなければならない状況にありました。こういった実情は訪問をして初めて知る事。一度は訪問した方が良いと先生は強調されます。

 遺言者の最大の心配は三男が自分より先に死亡すること。その場合、自分の財産は推定相続人のC男とD男が相続することになってしまいます。E男死亡後も遺言者B子はF子に世話をして貰うことになるのが一番良いと考え、三男E男が相続するはずの財産を嫁F子に”相続”させたいと望んでいます。そのような遺言状の原案作成をE男が依頼に来たのです。

 「遺留分」の問題を避けて通れません。現在は比較的裕福な生活を送っている推定相続人C男もD男も、母の全財産がF子に”相続”されたとなれば、「遺留分減殺請求」するかも知れません。どちらにもかなりの割合の「遺留分」があります。この様な場合に、黒田先生にはゆるぎない方針があります。遺言執行をあえて複雑なものにしないためにも、相続人の交際関係を悪化させないためにも、遺言者に了解を求め、相続人全員に相当の財産を相続させる遺言原案を作成するのです。

 調査した結果財産は①土地付き居宅の不動産G(B子とE男一家が居住) ②土地付き居宅の不動産H ③その他預貯金約1,700万円

 これらの状況のもと作成された「遺言公正証書」の原案は、その趣旨の部分を抜書きすると
第1条 遺言者は本日以前に作成したすべての遺言を撤回する
第2条 遺言者は、不動産Gを、三男E男に相続させる。遺言者と同時もしくは遺言者より先にE男が死亡した場合には、不動産GをE男の妻F子に遺贈する。以下各条においても同様とする。
第3条 遺言者は不動産Hを息子3名に各1/3の割合で相続させる
第4条 遺言者は預貯金のうち、長男B男に100万円、次男D男に100万円相続させ、残額は三男E男に相続させる。
以下略
 

 この遺言状には2つのポイントがあると感じました。一つは第2条で、三男が遺言者より先または同時に死亡し、相続が出来ない場合に備えて、その場合にはF子に遺贈するとした部分。二つ目は長男・次男にも相続分を指定したこと。遺留分までいかないまでも相当の財産を相続させることにより、円満な相続を図っていることです。

 遺言状は最後に第10条で付言を書きます。その中で遺言者の母はこう書きます。
 〈誰でもそうですが、若くなって行く者は一人もなく、皆、老いながら生きていきます。まして、望まぬ病を抱えながらの生活は並たいていではありません・・・〉と、病を抱えながら生きていくE男一家へ配慮した心根を述べ、その理解を長男・次男に語りかけるのです。この様な文書、初めて遺言を書く人に出来るはずがありません。母の心情を察し、その思いを文章にしたのは黒田先生が母の気持ちに寄り添い、その気持ちを理解したからこそだと思います。さらには視点をもう少し広げ、長男・次男へも配慮した原案を作成したのでした。
 争いを避け、円満解決を図ろうとする道筋こそ行政書士が目指すべき方向。少しは理解出来ました。
 

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