マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

「ハイジャック」と駒込

2010年02月27日 | 身辺雑記

 ラジオ体操開始の5分ほど前になると常連さんが集まってきて、井戸端会議ならぬ”神社端会議”が始るときがあります。その時の話題は、暴落したJALの株の話でした。しかし、突然、何時もラジオを持ってきて下さる86歳のSさんが「私の幼馴染で、JALをハイジャックしたのがいるんですよ」と。そこにいた4・5人皆吃驚。年齢を考えてもそんなことありえないと思いました。
 「中岡達治と言ってね、私と昭和小学校時代6年間何時も机を並べていた同級生。『よど号ハイジャック事件』から2年後の1972年の50歳くらいの時にやったんですよ」とも。

 帰宅してネットで「中岡達治」で検索すると、一項目だけ登場して来て「昭和47年の衆議院運輸委員会」の議事録に確かに載っていました。その議事録を読むと、「1972年11月6日、日航福岡行第351便((注:「よど号」と同じ便)
がハイジャックされたが、怪我人も無く犯人無事逮捕」と書かれていました。長い、長い議事録故、犯人名はここでは読みとれませんでしが、この犯人がSさんの幼馴染の西岡達治という事なのでしょう。
 その後折を見て、西岡達治なる人物についてSさんに伺うと、概略の話「実家は不忍通り沿いのパン屋さん。駒込に支店があり、R大学へ進学しラグビーをやっていたが、中退しアメリカへ渡り、そこで結婚し、映画会社を起こして成功した」との事。そんな人物が何故現金要求の「ハイジャック」などを起こしたかは謎だそうで、懲役10数年で出獄したとの事。長く生きてこられた方はいろいろなことに遭遇し、また知っているものと感心しました。

 そこで思い出したのが、1970年に起こった「よど号」事件です。この「よど号」事件とその犯人達のその後を追ったノンフィクション作品『宿命』(サブタイトル 「よど号」亡命者たちの秘密工作 著者高沢皓司 新潮文庫 1998年刊行)は講談社ノンフィクション賞受賞作品。評判になり買ってきて、面白くて一気に読んだ事がありました。その中で第1回目の謀議は、確か駒込の喫茶店で行われたと書かれていた様な記憶。そこでその本を捜せども見いだせず、図書館から借りてきて調べて見ました。
 『ハイジャックの謀議は1970年3月14日の夜、東京、駒込駅前の名曲喫茶「白鳥」ではじめられた』とあり、記憶の通りでした。この頃の駒込は人通りの少ない寂しい感じの駅周辺。本郷の東大方面への、都バスの始発駅でもあったことなどが、”謀議”に最適な場所であったのかなと、要らぬ推測をしていますが、1973年頃北区に住んでいて、初めてこの地を散策した私達の視界に「名曲喫茶白鳥」は入ってきていません。何処にあったのかも知りませんが、あれからほぼ40年、駅周辺には駅接続のホテルが建ち、六義園は「枝垂れ桜」などで多くの
観光客で賑わい、当時の面影はあまり残っていません。2つの「ハイジャック」に、駒込が微かに絡んでいました。
 『宿命』は685ページにもわたる大作、再読しても面白く、一夜で3分の1ほど読み進みました。


「富士宮やきそば」から確定申告へ

2010年02月25日 | 身辺雑記

           (シーフード入り富士宮焼きそば)                                                               

 ご近所に「富士宮やきそば」のお店が出来ました。焼きそば大好き人間としては嬉しいニュースです。一人出掛けて見ました。メーニュを見ると、「富士宮焼きそば 1玉500円、2玉700円、3玉900円」とあり、オプションで「シーフード200円」とありました。今日は「1玉+シーフード」700円を頼みました。


   
 
   (免許皆伝を示す幟旗)
 
「富士宮焼きそば」は”全国区”になるほど有名ですが、まだ一度も食べた事がありませんでした。出来あがった焼きそばを食べ始めると、ご主人らしき人が「紅ショウガと出汁」を入れると美味しいですよとのアドバイス。率直に従いました。そこから話が弾み、色々聞いてみました。「富士宮やきそば」を正式に名乗るには、2万数千円を払い3日間の講習に通い、最後に作ったやきそばが一定のレベルを超えて初めて”免許皆伝”となるそうで、その証が表に掲げてある幟旗だそうで、帰りに撮影しました。普通のソース焼きそばと何処が違うのですかと尋ねますと「麺にこしがあります」と。食してみると確かに、こしがしっかりしています。いわゆるソース焼きそばの様にソースはあまり使用していないようですが、なかなか美味しいものでした。かけた出汁が何か聞いたのですが思い出せません。この振りかけた出汁が効いている感じです。
 「富士宮焼きそば、B級グルメですからね」。「B級グルメ」を目指すマーちゃんはこの言葉が気に入りました。何度か通おうと思いました。ただ、私の家から半径3km以内には行列の出来る麺類のお店が5件ほどあります。とんこつラーメンなら「千石自慢ラーメン」、ダブルスープなら天神下「大喜」、「西尾中華そば店」、つけ麺なら「哲」と「四代目けいすけ」。麺好きな私には有難いことですが、何処へ行こうか迷いも増えました。

 食後、確定申告へ。今年は自宅のパソコン処理では無く、必要書類全てを持ち込んで手助けして貰いながら「e-tax」でパソコン入力で完成。ここ「本郷税務署」の職員の方々は皆とても親切です。妻の分も含めて40分で全て完了。何がしかの還付金があり、自分の収め過ぎた税金ではあるものの、良い気分で帰宅出来ました。


高校生の就職内定率74・8%

2010年02月24日 | 身辺雑記

 昨年12月末時点で、今春卒業予定高校生の就職内定率が74.8%と、科学文部科学省より発表があった。前年同時期と比べて7・5%も低い内定率だそうで、個人にとっても、学校にとっても、国にとっても由々しき問題です。
 昨
年12月段階で、進学の選択肢として大学や専門学校を考えなかった生徒達にとって、最後の”砦”が就職だったはずです。その就職希望者の4人に1人の就職が内定していないのです。人生の最初の一歩が閉ざされているのです。社会から拒絶されている想いも芽生えているのではないでしょうか。その様な状態に置かれている高校生や、ご家族にとって辛い辛い日々だと思います。更に悪い事に、卒業年度に就職が決まらないと、その先の就職はより困難になるという現実もあり、学校の先生・親御さんも含めて、今後、どうしようとの思いを抱きながら、必死の就職活動が続いていることと、心痛みます。

 国にとっても大変な問題のはずです。厚生年金等の納入者が減少することに繋がるでしょうし、諺にある様に”恒産無ければ恒心なし”の若者が多くていい筈はありません。国が解決すべき、優先順位高度の問題です。具体的には職業訓練所の拡大・充実が急務でしょうが、根本的解決にはなりえません。
 「大企業の内部留保を人件費や設備投資にもっと回せる方策を検討するということだ」という「首相周辺」の発言が「日経新聞」に書かれていたそうですが、その様な政策を期待したいです。何といっても採用当事者の企業に頑張って欲しいと思います。自己の業績だけに目先が行くのでなく、社会全体へも思いを馳せて欲しいものです。今年度採用者を1.2倍に変更などとの緊急措置を取ってもらえれば、有難いと思う未定者は数多くいることでしょう。

 折りしも『日本でいちばん大切にしたい会社』(坂本光司著、あさ出版)の続編が売れ行きが好調なようです。前編で村上龍氏は「金銭・利益以外の価値、それが何なのかを示す必読の書」と帯に書いています。著者は前書きのなかで「会社は、従業員やその家族、顧客や下請け会社・地域社会など、その企業に関わる全ての人のものです」と書き、「会社は社会みんなのものである」との思想が底流に流れています。業績拡大を目指すのではなく「企業の継続」を第一に考え、業績は超ゆったりの右上がりの会社が5つほど紹介されていました。「日本理化学工業株式会社」「伊那食品工業株式会社」「中村プレイス株式会社」「株式会社柳月」「杉山フルーツ」です。続編はまだ購入していませんが、どんな会社が紹介されるのか楽しみにしています。

 


『あの夏、少年はいた』(川口汐子 岩崎寿弥共著)を読む

2010年02月22日 | 読書

 「事実は小説より奇なり」と言いますが、この本は「事実は小説より奇跡なり」を教えてくれる”往復書簡集”中心の本です。

 もう3年ほど前、新聞のコラム欄で本の紹介記事を読み、買ってきて読みました。

 登場人物の一人、岩佐寿弥さんは2003年の夏、NHKが終戦特集として、かって放送した昔の番組をDVD録画していました。
8月22日、そのうちの『昭和万葉集』を見ていました。その中に登場した短歌の詠み人「川口汐子」さんは、自分が奈良女高師付属国民学校の4年生だつた昭和19年に、教生として出会った「雪山先生」ではないかと思い至ります。そこで彼女がインタビューを受けているアップショットを齣止めし、昔のアルバムと見比べます。その結果、間違いなく「川口汐子」さんは昭和19年当時教生にいらしたあの「雪山先生」に違いない事を確信するに至ります。

 昭和19年当時小学校4年生だった岩佐少年、雪山先生に憧れ、”密かな恋心”を抱いていたのでした。その先生との、映像を通してではあるが衝撃的な再会でした。昭和19年と言えば太平洋戦争真っ最中のとき、誰でも暗い時代を想定しがちですが、ここ奈良の国民学校では、担任の先生や教生の先生の指導のもと、生徒達がのびやかに、自由に学び遊んでいたのでした。「雪山先生に恋焦がれていく感情。昭和19年はわたしの中に沸き立つような喜びとなって刻印されているのです」とも書いていますが、忘却の彼方へと飛び去った刻印が、奇跡的にも思い出された岩佐さんは、逡巡した挙句、川口先生へ上記の様な内容の手紙を出します。9月21日の事です。
 川口先生からは10月2日付けの返信が出されます。先生にとっても昭和19年は忘れる事の出来ない年でした。教生としての実習、川口大尉との結婚、その思い出深い時に出会った一生徒からの分厚い封書に接し、喜びに満ちた返信が、岩佐さんのもとに届きます。
 この様にして始まった手紙のやり取り。お互いの手元には共通のアルバムが残されていました。更に当時の雪山先生の手元には、びっちりした細字で書かれた、200ページにもわたる「教生日記」が残されていたのです。この「教生日記」を通じ、昭和19年の教室での様々が思い出され、お二人の感情は19歳の少女と9歳の少年となったり、70歳と60歳の今に立ちかえったり、不思議な感情の交感が繰り広げられます。思い出は尽きる事なく続くのでした。
 往復書簡は二人の再会からその後へ物語へと続きますが、これは創作されたメルヘンでは無く、事実が織りなすメルヘンなのです。一読して羨ましいと思いました。

 その本を読み終えてから3年、妻がNHKアーカイブ「荷風と谷崎 終戦前夜の晩餐」録画のついでに「あの夏 60年目の恋文」を録画していました。その「あの夏 60年めの恋文」のタイトルを見て、妻はこう言いました「あなたが感動したあの本に関係するのではないの」と。その通りでした。二人の往復書簡集を基に2006年に製作されたドキュメンタリーが「BS20年 ベストセレクション」として再放送されたものを、偶然にも妻が録画していてくれたのでした。本で読むのとは違う、より強い感動に満たされました。60年近くの歳月を経て、お二人が奇跡的に再会し、更に、そこから又新たな物語を紡ぎ出す。映像は川口先生のお孫さんの視点も加わり重層的な物語に仕上がっていました。感動とともに羨望も感じるドキュメンタリー。何度か涙しました。この放送を観て「あの夏・・・」を再読しました。
 最後に川口汐子さんの次の歌で終わっています。
 『少年も少女も齢(よはひ)重ねたりふつふつと粥煮ゆるときのま』

 本は「れんが書房新社」から出版されています。蔵書としている図書館も多々あると思います。私の拙い感想文よりそちらの一読をお勧めします。
NHKの番組を”購買”することも可能になってきていると聞いていますが、その道筋を私は知りません。
 観終わり、読み終わり、心豊かな気分に満たされています。


風景5題

2010年02月21日 | 身辺雑記

 この数日間で撮影した風景5つです。
 ①は2月18日雪景色の六義園。開門は9時ですが、8時55分には門を開けてくれました。
 ②は2月19日、「池尻大橋」から「目黒雅叙圓」へ歩いた途中にあった「菅刈公園」の梅の木です。
 ③は②と同じ日「西郷山公園」に咲いていた河津桜です。
 ④は2月20日、富士神社内の河津桜です。2月4日に蕾を見せた河津桜は漸く満開まであと数日です
 ⑤は写真を撮影したもの。北海道「利尻山」の”紅富士”です。珍しい写真なので載せました。カメラマンと記者は2週間粘ったそうです。

 
              ①雪の六義園


      ①「和歌浦」を写した池1


     ①「和歌浦」を写した池2


    ①「和歌浦」を写した池3


          ①その池で泳ぐ鴨の群れ


      ①「藤代峠」からの眺め  
  

       ①雪を冠した梅の木


          ①椿その1


           ①椿その2


      ②「菅刈公園」の梅の木


       ③「西郷山公園」の河津桜


      ④「富士神社」の河津桜


       ⑤ある新聞に載った「利尻山」の紅富士